「……………」


鏡を見て、絶句した。
本来人間であれば耳という器官は目の脇から備わっているものである。
けれど、今鏡の中に映る自分は──人類の定義から明らかに掛け離れた姿だった。
耳が、頭にある。
正確には本来人間の耳が存在する箇所の僅か上に、横向きに。
フワフワとした黒毛に覆われた、異様な耳が。


「……猫……」


触ってみれば冷たいその感触は普段触り慣れた愛猫の耳によく似ている。
神経を集中させてみればピコピコと動く。
間違いなく自分の耳。
決して悪趣味なカチューシャなどではない。
僅かな期待を抱いていただけに、胸に沸き上がる落胆は存外に大きかったが。
そして、チラリと首を傾げて自分の背後に視線を落とせば、更なる異常事態が存在している。
ユラユラと身をくねらせる蛇のような物体。
否、それは蛇などではなく──。


「……尻尾……」


ヒョロリとしたその物体は耳と同じく黒い毛に覆われており、その根本は丸い尻の間──尾てい骨。
こちらも耳と同じく意志に応じて動いてくれるようで。
やはり自らの体に生えてしまっているらしい。


「……どうすんのコレ……」


途方に暮れた呟きは、情けない顔を曝す自らの虚像だけが聞いた。






◆◇◆◇







「──ってワケなんだけど。どうするべき?」

「俺が知るか」


困った時の神頼み──ならぬ困った時の手塚頼み。
異様な現象の体験者であるリョーマがまずとった行動は、恋人である手塚を呼び出す事だった。
そして渋面の手塚を迎え入れ、事の次第を説明。
助言を乞おうと試みたが、敢え無くスッパリ切り捨てられた。


「何それ。冷たくない?恋人が悩んでるってのに」

「そもそも生物学的に有り得ない現象だ。更にそれが起こった状況が“起きたらなってた”でどう答えろという気だ貴様」


ジトリと据わった目を突き刺すリョーマを、手塚もまた同様に迎え撃つ。
手塚の弁解に、間違いはない。
むしろ正論だ。
手塚からしたならば無茶ぶりもいいところというものだ。


「じゃあどうすんのコレ」

「知るか。乾あたりにでも聞け」

「やだよ。解剖されそうじゃん」

「…………」


確かに。
仮にもチームメイトである男だが、乾ならばやりかねないかもしれない。
渋面に言葉を飲み込んだ手塚の前で、リョーマの肩がヒョイと跳ねた。


「ま、いいや。そのうち治るっしょ。大方乾汁のせいだろうし」

「……可能性は最も高いな」


人類の到達しえない究極の効能を過去に幾つも齎してきた伝説の飲料、乾汁。
過去に起きた事象は若返りだったり性格変動だったり。
その効能は種々様々だったが、乾汁が到達した究極の頂きとは何も効能だけではない。
その味もまた究極のものだ。
いっそ革命的。
人類に於いてあれほどに破滅的な味を生み出せる物など、他に存在しないだろう。


「あーぁ。もうなんか面倒臭くなってきた」


フワァと大きな伸びと欠伸を一つ。
伸び上がった腕とともにピンと立った尻尾が何とも猫らしい。
フリフリと揺れる尻尾が一度ピシリとカーペットを叩き、大きな瞳が手塚を見据えた。
そして、ノソリと身を揺らして。


「……おい」


乗った。
手塚の膝に。
リョーマの頭が。
突然の行動に抗議を吐いた手塚が退かそうと伸ばした腕。
しかしそれはピシリと尻尾によって叩き落とされ。
大きなアーモンドアイがツイと細められた。


「ちょっと貸してよね。猫は膝枕大好きなんだから」


ま、アンタのは固くて寝心地悪いけど、と。
可愛いげのない言葉とともに瞳が瞼の下に。


「おい」


声をかけてみても、恐ろしく寝付きのいい恋人は既に夢の中。
寝付きのよさを争うオリンピックが存在すれば、リョーマは間違いなく上位入賞者だ。
もっとも、不名誉極まりない栄誉だろうが。
スヤスヤと眠りの中に沈むリョーマを眼下に、手塚の口からは巨大な溜息。
指触りのいい髪を梳けば、ピクピクと震える耳。
そして抗議するように腕を叩いてくる尻尾。
むずがる子供のように唸り、モゾモゾ身を捩る様も猫が体を擦る姿とよく似ていて。
浮かぶ笑みを抑え切れず、小さな震えが声帯を刺激する。
見上げてみれば、明るい空。
こんな日には、日向ぼっこもいいかもしれない。
手間のかかる猫を膝に、手塚の双眸が緩やかに細められた。






◆◇◆◇







猫が甘える相手は心を許した者と決まっているから。






-END-


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