人々の煩悩を祓う荘厳な鐘。
清廉なまでの重厚な音が響き渡り、新たな年が幕を開けた。






◆◇◆◇







年の始め。
新たな年へと期待に胸を膨らませた者たちが、神々の元へと集う。
行く年を無事に越す事の出来る感謝と、来る年を平穏にとの願いを伝えるために。
所謂、初詣。
人波でごった返す神社は、もはや冬とも思えぬ熱気と息苦しさ。
深夜と言えどガヤガヤと騒がしい境内。
行き交う人々の顔付きは、何処も興奮気味。
年明けともなれば、誰しもが心踊る物なのだろう。
そんな光景の、片隅に。
佇む少女が、一人。
風情を醸し出す、縦横にぶら下がった提灯の明かりの僅かに外。
暗がりと明かりの狭間に佇む少女は、人目を呼ぶものだった。
まず目を引くのが、彼女の身に纏う着物。
日本古来の伝統的な染技法──淡い桜から鮮やかな椿へと移り変わる艶やかな色合いは、京友禅。
薄紅から紅と見事なグラデーションを描く布地には、華やかな牡丹が咲き乱れる。
咲き誇る布を纏める帯は、穏やかな撫子色。
愛らしさと艶やかさを演出するその色彩。
一目にも華やかで、そして高価と解る出で立ち。
しかし、少女が人目を集める理由はそれだけに留まらない。
滑らかで透けるような肌理細やかな肌。
ツンと上を向いた鼻筋。
大きな琥珀の瞳。
瞬く度にあえかな影を落とす睫毛。
寒さに薄く開かれた愛らしい薄紅の唇。
恐らくは長いであろう見事な漆黒の髪は後部に纏められ、振袖と同じく牡丹をあしらった簪(かんざし)がそれを飾る。
覗く項の滑らかな事。
まるでお人形のよう。
ポツリと佇む少女はその風情も相俟って詫び寂びを象徴せんばかり。
年代を問わず、感嘆の吐息が漏れ聞こえた。


「…………」


少女の潤みを抱く唇が、ホゥと白い吐息。
憂うように半分だけ伏せられた瞼が、長い睫毛の影を落とす。
正月早々いい物を見たと、眼福とばかりに少女を眺めた参拝客たちがゆっくりと流れていく。
それらを横目に、少女は佇んだまま。
このまま景色に溶け込んでしまうのではないか。
はたまた、神社に奉られた神様が遣わした御使いか。
そんなあらぬ想像まで掻き立てるばかりに、少女は儚げで。
眺めゆく人々はそんな美観を眺めやっては、参拝へと歩を進めていく。
──のだが。


「ねぇねぇー」


年明けともなれば、妙な者も多くなる物で。
その身近な一例として挙げるならば、年末から年明けまでをひたすら飲み明かし、酒の勢いのままに闊歩するような大莫迦者。


「俺らとあそぼーよー」


そして例に漏れず。
そんな大莫迦者は有り難くもなく、今年もそこかしこに溢れているらしく。
少女に声をかけた二人組は、まさしくその大莫迦者。
赤ら顔にアルコールの臭いを撒き散らし、互いに肩を組んで少女を覗き込む。
美観に水を差された傍観者たちは、あまりの不愉快さに眉を潜めて視線を逸らした。


「ねー一緒に初詣しよーよー」

「そーそー。俺らいいトコ知ってっからさー」


なー!と声を揃えて互いに首を傾げ合う男たち。
完全に出来上がった男たちに囲まれた少女は、愛らしい唇を引き結んだまま。
男たちに怯えたのだろうか。
大きな瞳が、長い睫毛の下に隠された。
そうして、華奢な少女は男二人に引かれるままに連れ出され。
目撃者たる参拝客たちはただ、その異常事態に俄かなざわめきを広げては少女を懸念する瞳を投げかける。
しかし、救いの手は伸ばされる事なく。
不粋な男たちに引きずられるままに、少女の姿は境内から消えうせた。













押し込められた雑木林。
神社に程近いその中で、少女の小柄な体躯が巨木の腹へと押し付けられた。


「幸先いーなー俺ら」

「なー!こーんな可愛い子一発で捕まるんだしよー」


下品な笑いとアルコール臭を振り撒く男の眼下。
木に押し付けられた少女は、華の容貌(かんばせ)を伏せたまま。
俯く少女に構う事なく、男二人は上機嫌。


「どうちたのー?怖いんでしゅかー?」

「おまえマジきめぇー!」


耳障りな笑いが響き渡り、少女の肩がピクリと震えた。
そうして微かな──消え入らんばかりに儚い呟き。


「……も……な……」

「んー?なんでしゅかー?」


酒の勢いそのままに少女に顔を近付けた男。
瞬間。


──ドゴァッ!


「あー腹立つ!もう知らない!もうキレた!買い物袋ブッツン逝ったッ!」


腹を抉る轟音とともに、男の一人が吹っ飛んだ。
比喩ではなく、事実男の腹は少女の膝によって抉られたのだけれど。
長い袖を翻し、儚げだった筈の美少女が大きな瞳を吊り上げる。


「アイツの言うこと聞いてるとロクな事ない!解ってんのにファンタで釣られた俺が腹立つッ!」


吹き飛ばした男の脇で唖然と立ち尽くす男を睨み、少女が吠える。
ついでに細い腕が背後の木を苛立ち紛れに殴りつければ、ミシリと微かに凹んだ。


「着せ替え人形にされるはお節食いっぱぐれるは寒いは足痛いは歩き難いは眠いは腹減ったは怠いは取り敢えず腹立つ!」


マシンガンよろしく矢継ぎ早に撒くし立てられる不平不満。
キーッと歯を噛み締める美少女。
ポカンと口を開けっ放しに立ち尽くす男その二が、ハッと我に返った。


「テメェ!このクソガキがぁ!」


仲間をやられた事への憤怒か、それとも予定の破綻に対する怒りか。
どちらにしろアルコールを摂取した人間は感情の高ぶりが早い。
故に少女に殴り掛かる男もまた、今まさに少女を辱めんとしていた事実は忘却の彼方。
突き出した拳で少女に制裁を加えることしか頭にない。
が、しかし。


「言ったっしょ。俺、今超絶機嫌マックス悪いから」


男から突き出された拳は、クシャリと右に踏み出された少女の足によってヒラリと躱される。
そして伸び切った腕へ、少女の華奢な手が添えられ。


──ドゴッ!


男の拳を避けるとともに反転し、その遠心力とともに男の脇腹へ強力なエルボー。
堪らず吹っ飛んだ男、その後方から先に吹き飛ばされた男が覚醒、突進。


「くそガキャァァァァアアア!」


少女を殺さんばかりに血走った目を向ける男へ、琥珀がフワリと綻ぶ。
と、少女が身を捻った。
途端、舞い上がった長い袖がバフリと男の顔を直撃。
突き出された男の拳は空を切り、舞い上がった布に視界が消える。
刹那、男の視界は暗闇から一転。
無数の星が煌めいた。


──ボグッ!


舞うように身を沈めた少女が、下方から下品な顎へ向け掌底。
鈍い音を立て、衝撃にグラリと男がよろめいた。
その懐へ、フワリと舞い込む薄紅の蝶。


「──Good-night(おやすみ)」


艶やかな羽を震わせた少女の腕が軽やかに舞い、そして──たたらを踏む男の頭を無慈悲に鷲掴み全体重をかけて地面へ叩き付けた。
余波に浮き上がった袖が、シンナリと地へと降り立つ。
男の目は、白目。
二人の男の悉とくを撃破した少女が、緩やかに身を起こす。
そして、彼方を一睨み。


「見てたんなら助けろよ」


刺々しいばかりの少女の声は、境内とは真逆へ。
するとカサリと動く気配。


「いい見世物だったな」

「悪趣味」


奥から現れた長身の男へ、少女が愛らしい容貌(かんばせ)に苦虫を噛み潰す。
砂埃の纏い付いた布を叩き、着崩れた衿を整えた少女がジトリと据わりきった瞳を長身の男へ向けた。


「っていうか。新年早々こんなモン着せてあんなトコに放置とかどういう了見?しかも『一言も喋るな』とか。腹立って腹立って腹減ったじゃん」

「知るか」


不平を撒くし立てる少女──リョーマを鼻先に嘲る男──手塚。
至極楽しげなこの男。
暇潰しの名の元に恋人であるリョーマで遊んでくれやがったのである。
曰く、『黙って立ってろ。そして俺を楽しませろ』だそうだ。
リョーマは誰が見るにも愛らしい美少女。
そんな彼女が高級な京友禅を纏い憂い顔──実際には怒りに任せて周囲を睨んでただけだが──で佇んでいれば、先のような下衆な人間は喜んで寄って来るだろう。
それこそ鴨が葱を背負って来たかの如く。
そしてそんな奴らに対してリョーマが如何な反応を示すか。
それが新年一発目の手塚の手塚による手塚のための暇潰しである。
しかしながら、手塚も鬼ではない。
恋人であるリョーマに危険が及んだならば助けを寄越す算段はあった。
──ただしそれは、リョーマが暴れすぎて警察沙汰になった場合の物であったが。


「あーもー。動き難いし。なんでファンタに釣られた?ってかまずなんでアンタなんか彼氏にしたの俺?選択ミスりすぎじゃん」

「俺以上の男がこの世に存在すると思うのか」

「自意識過剰だし最悪だし性欲魔神だし。まぁでも顔だけはイイ男だし……いいや」

「死ぬか?」


恋人らしからぬ会話を飛び交わせ、昏倒した男たちを踏み付けて。
二人が向かうは手塚宅。
徐々に遠ざかるざわめきを背に、艶やかな薄紅の蝶が端正な男の腕に留まる。
ただし、それは恋人としての触れ合いとしてではなく。
関節技による触れ合い。
そしてリョーマの目論見は手塚によって防御され、反撃を受ける。
それは街中の道路のど真ん中という公衆の面前での、卑猥すぎるディープキス。
そして、祝賀ムードを切り裂く怒号が響いたのは、その直後。






◆◇◆◇







新たな年を告げる日に、薄紅の蝶が舞う。
ヒラヒラ、ヒラヒラ。
けれど気をつけて。
綺麗な蝶の鱗粉は猛毒なのです。






今年の参拝にはお気を付けください。
最凶カップル、出没中。






END


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