断続的な振動。
地に足が付かず──と言うよりも踏ん張った地面自体がグラグラと不安定なバランスを保つ場所。
鉄の大蛇が腹の中へと人を飲み込み、ウネウネと紆余曲折を繰り返しながらゾゾと進んでいく。
幾多の人々が雑多に入り乱れる交通機関──電車。
広々とした蛇腹はしかし、時間帯によりてはこれ以上ない密林に変貌する。
日の傾むくこの黄昏時こそ、大蛇の満腹時間。
所謂、帰宅ラッシュ。


「ぅっ……」


微かな呻きを漏らした少女は、押し込められた人々に押し潰されては懸命に足を踏ん張るしかない。
少女──リョーマよりも背の高い人間がウヨウヨと犇めく車内は、さながらアリの巣だ。
スーツ姿の男が周りを囲み、リョーマの手元には体を支える術がない。
頭上に吊り革はあれど、ダラリと垂れたソレはつい先ほど隣の男に捕まってしまった。
ガタガタと揺れる車体の中で、持ち前のバランス感覚に物を言わせて耐えるより他に方法がないのだ。


「っ……たッ!」


カーブに差し掛かったか、グラリと重心がブレた。
倒れぬように足に力を入れたリョーマだが、如何んせん、ここは電車の中。
周囲がバランスを崩したならばドミノ倒しに衝撃は来るわけで。
ドスンと背中にかかった負荷に華奢な体躯が容易く揺らぐ。
が、テニスで鍛えたバランス感覚と脚力でドミノの一員へ参加を阻止。
二次被害は出ずに済んだ。
しかし、誰かの鞄か何かに引っ掛かったのか、背中の半ばまで伸びた黒髪がチクンと頭皮に抵抗を示す。
束ではなく一本だけの抵抗なのだから大した衝撃にもなり得ないが、一本は地味に痛い。
プチと音を立てて髪が抜けた。


「…………」


ムッツリと眉間に皺をこしらえ、左手で後頭部をさする。
こんな事ならば髪を上げてくればよかったと、口の中だけに後悔を吐き出しながら。
ともあれ、原因は恋人にある。
髪を結い上げるのは気に入らないらしく、上げていると必ず外せと言ってくる。
何度も繰り返されたその我が儘に渋々ながら、リョーマは髪を上げる事を止めた。
今となっては購入したシュシュや髪ゴムは専ら部活動や試合中にしか使用されなくなった。
なのでソレらの住居は越前家の洗面所からリョーマの鞄へと引っ越しとなった。
今日もこれから恋人に会うとあって、髪は下ろしたまま。
それがこんなところで災いするとは。
ツイてない、と普段ならば気にも止めないような些細な出来事にすら、犇めく人波に苛立った頭は一大事の如く神経に障る。
目的地まで、あと三駅。
時間にしておよそ十五分。
十五分もこの人波に揉まれなければならないのかと、小さな唇が溜息を吐いた。
直後。


「っ!」


ビクリと華奢な肩が震えた。
体格のいい大人に囲まれた今、その些細な動作は完全に呑まれてしまったが、リョーマからしたならば叫びぐらい上げたとておかしくはなかった。
倒れまいと力を入れた脚の、太股。
スカートから覗くその部分に。
生暖かい感触。
シットリと湿った皮膚が、触れている。
否、触れているなどと生易しいものではない。
摩っているのだ。
明らかに。
意思を持って。


──ち……かん……?


いやらしい手つきで肌を嬲るその感触。
認識した途端、一気に全身の毛が逆立った。


──気持ち悪い!


振り払おうと身じろぎを試みれば、犇めく人波に阻まれて反転すら許されない。
隣に立つサラリーマンが、迷惑げに目を細めて咳ばらい。
そうしている間にも、太股を撫でる手は止まず。
ムッチリとした太股を鷲掴んでは摩ってと繰り返し、繰り返し。
いっそ叫び散らしてやろうかと思ったが、何故だろう。
声が出ない。
声を出したいのに、言葉が体と喉の境目で逆流していく。
代わりに出たのは、体に走る小刻みな震えだけ。
触れてくる手を捕まえてしまえばいいのだと思考は回るのに、体が動いてくれない。
動け動けと脳が命令するのに、勝手に震えという行動を実践した四肢は見事に無視を決め込む。


「──────ッ!!!!」


咄嗟に、リョーマの唇が噛み締められる。
迸しりかけた悲鳴が、声帯の奥に沈んだ。
太股を撫でる手が、上がった。
太股よりももっと上、スカートの中の奥まった部分。
下着に覆われた秘所の、その場所で。
無骨な指が殊更ゆっくりとソコをなぞって、往復し始める。
何度も、何度も。


「ッ……」


声にならない呻きとともにジワリと涙が目頭に滲んだ。
ただ、気持ち悪かった。
そして、怖かった。
抵抗すら出来ない自分が情けなくて、悔しくて。
ジッと身を固くする以外、出来ない自分が。
不意に下着をなぞるだけだった指が、ピタリとその動きを止めた。
そして。


「んッ!!」


ビクンと再び肩が跳ね上がる。
カッと一気に体内温度が上がった。
指が、下着の上から秘所へと食い込んだ。
明らかな意思を持ったソレはクルクルと回りながら強引に布を押し上げてくる。


「ゃ……」


漸く搾り出された声は、酷く掠れていた。
俯いたその顔は羞恥に赤く染まり、恐怖に涙を零して、戦慄に唇を震わせる。
指先は尚も布越しの侵入を諦めず、敏感な胎内へと入り込んだ僅かな布がえも言えぬ嫌悪感を募らせた。
だが、それだけで終わる事は、なかった。


「ゃぁ……!」


指先は侵入を一転、まるで布をないかの如く律動を始めた。
突き入れては引き抜いて、周囲を捏ねくり回して。
感じるつもりなど微塵もない──それどころか恐怖感しか感じてはいないのに、侵入物に対して潤いを持ち始めた秘所が下着の滑りを助長した。
それを悟られてしまったか指の動きは更に激しくなり、あまつさえ秘所の上に小ぢんまりと咲く花芯までをも標的とし始める。


「ッ……ふ……ゃ、ぁッ」


荒々しくまさぐられ、掠れた声が震えた。
と、背後に感じた感触。
尻の肉に押し当てられた、固いソレ。


「ッ……」


ボロボロと止まらない涙。
押し付けられた男の隆起に、恐怖心が関を切って溢れ出た。
震えが止まらない。
指の動きも、押し付けられた隆起も、全てが怖くて悍ましくて気が狂いそうだった。
と、不意に感じる頭皮の痛み。
先にも感じたソレは、髪を一本だけ引かれる感触。
プチリと再び抜けた微かな痛み。
しかし、リョーマが感じたのは痛みによる不快感ではなく──更なる嫌悪と戦慄だった。
髪が、撫でられている。
人に埋もれた、肩から下の髪を。
そして、もう一本抜かれる髪。
もはや、悲鳴すら出はしなかった。
自分を凌辱している指の持ち主が、意思を持って自分の髪を欲しているのだという事実に。
決壊した防波堤が次々と水分を垂れ流し、それでも抵抗の一つも出来はしない。
ただ震えながら、為されるがままに立ち尽くすだけ。
膝が、ガクガクと役目の放棄を叫ぶ。
今にも崩れ落ちそうな恐怖。
男の指が、下着の脇から──秘所へと触れた。


『ご乗車ーありがとうございます。●●駅ー●●駅ーです』


プシューと蒸気音を立てて、二枚の壁がゆっくりと口を開けていく。
外界の雑踏と雑音が流れ込んだその刹那、リョーマの体が一瞬だけ、その意思を宿した。


「ッ!!!!」


男の指を振り払い、扉へと人波を掻き分ける。
渾身の力で人々を押し退け、ただ外へ。
背に突き刺さる抗議も聞こえぬまま、密室の外へと転がり出た。


「─────」


踏んだ途端に崩れ落ちたコンクリートの上。
バクバクと早鐘を打つ鼓動。
今だ涙も止まらず、不自然に上がった呼吸が肩を揺らす。
震えた体は支えにもならず、一度落ちた体は立ち上がる事すらも不可能だった。


「……リョーマ」

「っ!」


雑踏とざわめきの中、頭上に降り落ちる耳慣れた美声。
全身の震えは脳の命令を無視したくせに、聞こえた男の声にだけはその視界を弾き上げた。
行き交う人々の群れの眼前に、常は無表情な男が些かの困惑を交えて──そこにいた。


「何をしている」

「……………」


恋人──手塚の呆れたような台詞。
突然電車から飛び出したかと思えばその場にしゃがみ込んだリョーマは、端から見たならば立派な異常者だ。
怪訝と困惑を宿した冷たい筈の言葉はしかし、リョーマの胸郭に酷く安堵を齎して。
顔が、クシャリと歪んだ。


「──ッ!」


言葉を持たぬまま、リョーマの体は手塚の腕へと飛び込んだ。






◆◇◆◇







「……成る程な」


泊まる予定だったホテルの一室。
手塚家の人間が主立って支援してくれたお陰で実現した二人だけのお泊り。
部長業の引退を間近に控えたりとは言え、現役最後の仕事とやらで会場へと赴いていた手塚は出先から直でコチラへと向かった。
故に、現地集合という形での待ち合わせとなった。
荷物は既に彩菜が郵送してくれたらしく、手塚は常と変わらぬ荷物。
楽しくなる筈だった一泊二日。
まさかそれがこんな形で始まる事になるとは、どちらも想定外だった。

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