手塚の返答を聞く間もなく、クルリと踵を返したリョーマがコートに向かう。
手塚が溜息を吐いたのは、その直ぐ後だった。













リョーマの相手に名乗りを上げた男──松平がコートに立った。
対するは勿論、リョーマ。
大人と子供並の体格差からか、それとも子供扱いからか。
外野からは手加減を促す野次が次々と嘲笑とともに降り注ぐ。
サーブ権は、松平。


「……あいにく、手の抜き方を……」


ゆっくりと利き腕を引き、腰を落とす。
まるでビリヤードのような体制まで身を落とした松平の手から、トス。


「──俺は知らない」


高々と上がったトスが、落ちる。
低めた姿勢から体を捻り、松平の腕が振り上げられた。


「マグナムッ!!」


気合いとともにガットに叩き付けられたボールが、反射によって勢いよく相手コートへと飛び込んだ。
黄色い球体が直線を描き、真っ直ぐにリョーマの元へ。
ボールは視認の暇なくコートに突き刺さり、構えるリョーマの脇を擦り抜けた。


「ああーっ惜しい!!松平のマグナムサーブ!」


ラフプレイに託つけた流血を期待していた外野からは落胆の声。
と、瞬間。
フワリと、漆黒がたなびいた。
松平のサーブによって起きた風圧にリョーマの帽子が煽られ、ポスリとコート脇に落ちる。
その下から覗いたのは、腰まであろうかという艶やかな黒髪。
風に揺らされ、鮮やかな艶を揺らす射干玉の髪。


「なっ……お……女……」


帽子の下から現れた少年らしき人物の容貌は、しかし甘やかな少女の物。
黒髪だけに非ず、大きなアーモンドアイ、滑らかな白磁の肌、熟れた唇。
まるで精巧な人形のように愛らしい少女のソレ。
中学テニス界の者達がリョーマへと並ならぬ感心を寄せるもう一つの要因、それこそがコレだ。
女でありながら中学男子テニス界の頂点に立った者。
それこそ興味をそそられない者がいようか。
驚愕の声を上げる高校生たちの中、フッとリョーマの瞳が細められた。


「ふーん」


クスクスと楽しげに笑う唇の下、ラケットに帽子を拾い上げたリョーマが再び松平に向き直る。
艶やかに風に揺れる髪、その上に帽子をポスリと乗せて。
再度構えたリョーマを前に、少年だと思っていた対戦相手が女だと知った松平の動揺は生半ではなかった。
なぜ女なんぞを相手に試合をしなければならないのかとか、なぜ女がこの選抜にいるのだとか。
兎に角動揺していた。
それを知ってか知らずか。
リョーマがクスリと笑んだ。


「ねぇ。早く打ってくんない?」


煽るように。
構えていた身を起こし、肩にラケットを担いだ。


「ま、このままデフォ負けしたいっていうなら、止めないけどね」

「ッ!こンのクソガキ……!」


小馬鹿にした言葉の上に明らかな嘲笑の折り混ざった台詞。
決して長くない松平の堪忍袋が音を立てて切れた。
再びサービス位置に付き、黒髪を靡かせて佇むリョーマを睨んだ。


「ガンガン当ててけ!!」


女、しかも年下に莫迦にされ、したたかに矜持を傷付けられたらしい松平の手から、再びトス。
そして、先よりも強烈なサーブがリョーマの立つコートへと突き刺さった。
砂埃すら巻き上げたソレが高速でリョーマの脇をすり抜ける──筈だった。
しかし、ニヤリと唇を揺らしたリョーマが一歩踏み込み、左手をテイクバック。
瞬間。


「か、返した!?」


コンパクトなスイングによってあっさりとボールはガットの波に捕えられ、軽快な音とともに松平の元へと弾き飛んだ。


「ほう……マグナムを返すとはな。少しは楽しめそう……だっ!!」


コーナーへと返った球を追った松平が、嘲笑も露わに吐き捨てる。
年下で、更には女。
負ける要素などないのだと、彼の目が雄弁に語る。
クスと、小さな笑みがリョーマの唇を彩った。













ゲーム開始から約三十分。
試合展開は未だ一ゲーム目のまま。
秋と言えど照り付ける日差しは強く、こだまするインパクト音がその温度を更に上昇させていた。
一ポイント毎のラリー時間は、およそ十分近く。
長いラリーの中、コートに立つ二人を眺める外野から催促の声が上がり始めたのは、四球目のサーブが松平から放たれた後だった。


「いつまで遊んでるつもりだ。松平さんよ」

「何やってんだ!早いトコ決めろよ!後つかえてんだぜ!!」


鳴り響くブーイングを背に、松平がコーナーに突き刺さるボールを拾い上げた。
浮き上がる汗がこめかみを伝い、熱を持った息が肩を揺らす。
その顔には、焦躁。


──こ……こいつまさか……


リョーマのコートに返った球はスライス回転をかけながらエンドラインに抉り込み、長い黒髪が軌跡を描きながらソレを捉えた。
クスリと、リョーマの口端が釣り上がる。
松平の目が、有り得ない核心に見開かれた。
瞬間、捉えられた球はスライス回転をかけて松平のコート、そのエンドラインへ。


──この女……俺のショットをそっくり真似て遊んでやがる……!?


クスクスと、微かな笑い声が聞こえた気がした。
刹那、松平の足元。
その間に、黄色い軌跡が突き刺さった。


「1-0」


高々とした審判のコール。
クルリと身を翻したリョーマがサービスラインへ。
呆然と立ち竦む松平に、新たな笑みが降り注いだ。


「……ねぇ」


甘やかなアルトが呼び掛ける。
その手には、ラケットとボール。
悪戯を思い付いた子供のように、口角を上げて。


「さっきのサーブ、面白いね」


抑揚を欠いた、けれど至極悪戯な響きがコートに拡散する。
途端、外野からザワめき。


「あの構えはっ!?」


一様に目を見開く外野が凝視するのは、リョーマが取ったフォーム。
身を後ろへ低く沈ませ、利き腕を伸ばしながら構える。
まるでビリヤードのような……──。


「なっ!」


驚愕の声を上げる松平の眼前。
高々と上げられたトス。
揺らぐ黒髪を風に遊ばせ、リョーマの上体が捻られ左腕が振り上げられた。
ドッと鈍い音が空気を打ち鳴らす。


──こ……これは俺のマグナムサー…………


「ぶっ……!」


繰り出されたサーブのソレに松平の驚愕が響く間もなく。
松平自身が放つ物、その速度を遥かに越えた威力のボールがコートに滑り込み。
視認した頃にはそのボールは目の前。
避ける間もなく顔面に受け止めた松平が、コートに倒れ込んだ。
鼻血を撒き散らして昏倒した松平を眺め、再びリョーマが目を細める。
乾いた風が吹き抜け、枯れ葉が一枚コートを横切った。


「──まだまだだね」


ラケットに寄り掛かり、松平を見下ろすその姿は──まさに越前リョーマその人。
全国大会に於いて驚異的な力を見せ付けた、中学テニス会最強選手。
クスリと零された高慢な笑みだけが、コートを横切る枯れ葉を追った。






そして、波乱が幕を開ける。






END


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