伸ばした指先に舞い降りる蝶は、蒼く煌めく翼を揺らし。
音もなく消えた。
◆◇◆◇
「っ……」
チクリとした痛みに顔を歪め、指先を持ち上げる。
人差し指の先に、赤い粒。
徐々に膨れるそれが、指先にチョコリと乗り上げて、流れ落ちた。
「刺したのか?」
隣から腕を奪われ、リョーマがハッと目を見開く。
鮮やかなアッシュブロンドが、小さな傷痕を丹念に確認。
大した傷ではないと判じたのか、溜息とともに指を咥え込まれて。
流れ落ちた軌跡までザラリとした感触が拭った。
「気をつけろよ」
クシャリと髪を乱す跡部の手に片目をつぶり、擽ったさにリョーマの瞳が細められる。
フワリと香る彼の好むオーデコロン。
既に主張を取り辞めた指先は、プツリと白い皮膚を浮き立たせたまま。
「ねぇ。景」
痛みは既になく。
一瞬感じたピリッとした衝撃も、思い出すに至らない。
振り向く跡部を見上げ、その背後に広がる空を仰いだ。
「俺ね。薔薇、嫌い」
澄み渡る空。
清廉な汚れなき晴天。
綺麗。
だから、嫌い。
「蝶も嫌い」
柔らかく頬を撫でる風。
優しく撫でては消えていく。
気持ちいい。
だから、嫌い。
「みんな、同じ。だから嫌い」
美しい物は、その身を守ろうと触れる者を傷付けていく。
薔薇は艶やかな華で誘っておきながら、張り巡らせた刺で触れた指先を傷付ける。
蝶はきらびやかな羽を見せ付けて、触れれば体内に蓄えた毒で伸ばした手を腐敗させる。
自分を守るために周囲を傷付けていく。
同じ、だから嫌い。
「俺は……」
鎧であり剣。
触れる事は何人たりとも罷りならぬ。
聖域?
違う。
醜悪。
見上げた空。
澄み渡り過ぎて、吐き気がする。
どれだけちっぽけなのかと。
不意に、包まれる感触。
一面の青の、喪失。
「景?」
「いいぜ。幾らでも傷付けろよ」
包む腕。
容認の言葉。
突っ張ろうとした手が、唐突に意志を失う。
「俺はそれぐらいじゃ引かねぇぜ。例え、俺の身体が腐り落ちてもな」
抱き寄せる跡部の腕の中。
リョーマが触れた場所から変色し、腐敗していく錯覚。
「だから、ココにいろ。お前の羽も、花弁も。欠片も残さず食い尽くしてやるよ」
むせ返る程の腐臭。
なのに、まだ跡部は離れてはいかない。
美しい物は自らを守るために他者を傷付ける。
それは、脆弱な己を隠そうと暴れる子供とよく似ている。
だから、リョーマは美しい物が嫌いだ。
見たくもない自分そのもの。
「お前を食い尽くしたら、次は俺様がなってやるよ。お前を覆う刺でも、毒でもな」
齎される腕は優しいくせに、言葉はそれらを裏切り。
逃さない事を雄弁に物語る。
有毒生物を狩る、酔狂な捕食者。
あまりに滑稽で、美観で。
堪えきれない笑みが零れた。
◆◇◆◇
この身に触れたければその腕を捨てなさい。
この身を喰らいたければその命を枯らせなさい。
ただそこにいるだけで傷付け、腐敗させていく有毒亜種。
それでもこの身を求めるのなら、捧げましょう。
この全て。
ただし、その身が朽ち果てても構わないというのなら。
朽ちた骸の中、真紅の華が──一輪。
舞い降りた蒼い羽が、その指先に羽を休めた。
END
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