blind
─2─





手塚が異変を告げられたのは数時間前。
リョーマは中学卒業と同時にアメリカへ渡り、ハイスクールへと進んだ。
手塚は拠点をドイツからアメリカへと移し、双方両親の了解の元同棲を始めた。
同棲と言えどプロテニスプレイヤーである手塚は頻繁に家を空ける事が多く、大抵はリョーマの一人暮らしだ。
しかし、現在のようにアメリカにて開催される大会直前には、調整に入るためリョーマと棲むマンションに腰を落ち着ける。
その時期にはいつもリョーマは脱兎の如く帰宅し、調整と銘打って手塚との打ち合いに興じるのだ。
だが、大会三日前の今日。
リョーマが、帰って来ない。
振り仰いだ際、時計は既に夜の九時を回っており、常の彼女の帰宅時間を三時間以上経過している。
リョーマもたまには友人との付き合いでもあるだろうと始めは気に止めていなかった。
だが、流石に遅すぎる。
眉間に俄かに力を篭め、時計を睨んでもそこからリョーマが出て来るはずもない。
カチカチと一定のリズムを刻む時計と暫く睨み合い、ソファの脇に放置されている携帯へと視線を移した。
シルバーのシンプルな様相のソレは、無機質なまでに無言。
何か連絡が来ていないかと開いてみても、着信、メールともに無し。
吐き出そうとした溜息を喉に溜めた直後、不意にザワリと胸がざわついた。
怪訝に眉を寄せ、ディスプレイを睨む。
待ち受けに設定されているのは、リョーマと一度だけ行った某有名テーマパークの写真。
黒い耳のカチューシャを強制的に着けられ不機嫌顔の手塚と、心底可笑しそうに口許を押さえているリョーマ。
断固拒否はしたのだが、リョーマが強制的に待ち受けに設定してくれた代物だ。
それからこちら、わざわざ変えるのも面倒でそのままにしてある。
睨み付けた画面は変わることなく同じ光景だけを映し出して。
不愉快なざわつきに突き動かされるように、手塚の指先がアドレス帳を開いた。
慣れた手つきで呼び出された『A』の欄。
その先頭の名前をクリックすれば、数秒の間を開けてコール音が耳に届いた。
ワンコール、ツーコール、スリーコール……。


『Hello?』


フォーコールの途中で聞こえたのは、この数年で耳に馴染みつつある声。
中学から何かと縁のあった男だ。


「忙しいところすまない。少しいいか」

『……手塚かよ。何の用だ』


電話の相手は、跡部景吾。
中学の頃から何かと関わりがあり、現在に至っては手塚のスポンサー企業の人間だ。
祖父が社長を勤め、父が勤める証券会社に高校卒業とともに入社。
現在は大学と仕事の二足の鞋だ。
下手に知識を詰め込むよりも実際に肌で体験すべきとの祖父の言葉により、現在跡部は父の部下として実践を積んでいる。
百聞は一見に然ず、と言ったところなのだろう。
大学は飽く迄基礎知識と教養のためであり、社会に出たならば企業によって形態は千差万別であるからとの理由もあるらしい。
しかし、社長を祖父に持つ跡部の発言力は十九歳にして絶大。
自身も年齢にそぐわぬ業績を上げているため、それは尚のことだ。
故に、跡部の推薦もあり手塚は跡部コーポレーションという強力なスポンサーを得るに至った。
現在跡部は自身の父とともにアメリカに来ている。
商談やら取引やらがあるとのことらしく、大学の休みを利用して見学も兼ねているとのことだ。
丁度手塚が参戦する大会との時期も合うため、気が向けば観戦に来るとの連絡も貰っている。


「跡部。リョーマがそちらに行っていないか?」

『アーン?来てねぇよ。まさかお前ら、喧嘩でもしたか?あぁ?』

「違う」


リョーマも手塚と同じく跡部とは中学から交流があり、よく連絡を取っている。
が、跡部はリョーマを虎視眈々と狙う危険人物であると手塚は認識している。
ビジネスでは良きパートナーだとは思うが、プライベートともなれば最悪のライバルだと思う。
しかしリョーマはそれを知ってか知らずか暇があれば跡部と連絡を取ったり会いに行ったり。
実際それは手塚が遠征に行っている間の様子を聞くための手段なのだが、手塚がそれを知る術はない。
だからこそ喧嘩をしたのかとの問いには間髪を入れず否定を返す。
妙なことを考えられでもしては堪らない。


『チッ。つまんねぇな』

「お前に娯楽を与えてやる謂れはない」

『いい加減リョーマを諦めやがれ』

「それはこちらの台詞だ」


恒例となりつつあるやり取りを交わしつつ、結論から言えば跡部のところにリョーマはいない、ということだ。
落胆と安堵と不安。
複雑な心中を表す溜息を吐き出し、跡部との通話を切断した。
もはや通話終了の挨拶など必要ない。
寧ろ二人の間で交わされる通話が挨拶で終わったことなど数年前のことだ。
礼儀を重んじる手塚にあるまじきことと思われそうだが、本人たちからしてみれば既に当たり前の事だった。
通話を終えた携帯をダラリと垂れ下げ、再び時計を仰ぐ。
九時三十分。
本人の携帯にかけてみようかとも思ったが、友人とともに居た場合を考えると気が引ける。
しかし、言い知れない不安感には逆らい難く。
再び携帯のアドレス帳を開き、『R』の欄を呼び出す。
無機質な携帯のディスプレイランプに照らされた名前。
『Ryoma』と記された文字にカーソルを合わせ、通話ボタンを押そうとした瞬間。
見計らったようなタイミングで鳴り響いた着信音。
ディスプレイに写し出された着信の相手。
画面に点滅していたのは、今し方押そうとしていた『Ryoma』の文字。
あまりのタイミングの良さに一瞬呆けた手塚だったが、急かすように鳴り響く着信音に慌てて通話ボタンを押した。


「リョーマ?お前今どこに……」

『Hello?Mr.TEZUKA』


耳に押し当てた携帯電話から届いたのは、聞き慣れたアルトヴォイスではなく。
軽薄そうな男の声だった。
そして、嘲笑とともに伝えられた事実。
誘拐されたリョーマ。
返して欲しければ三日後の試合を負けろ。
更に十万$(約一千万)を当日までに用意しろ。
警察には連絡するな。
これらの条件を破った場合、人質の安全は保障しない。
用件とともに断ち切られた電波。
唐突に突き付けられた現実に、ただ目を見開き唖然とする。
そして、漸く我に返ったのはそれから数分後。
徐々に纏まってくる思考とともに、沸々と沸き上がってくる怒り。


「……ふざけるなよ……」


携帯をこれでもかと握り締め、唇を噛み締める。
そして、抑え切れぬ怒りと激情を押し殺し、携帯のリダイヤルを呼び出した。
警察に知らせたいのは山々だ。
だが人質の状態が一切不明の状況で下手に犯人を刺激しては危険だ。
しかし捜査のプロの協力は必要不可欠。
となれば、手は一つ。


『Hello?』


先と全く同じフレーズが鼓膜を揺らす。
叫び散らしたい葛藤を押し殺し、現在出来得る限りの冷静さを総動員する。
そして、一つ深呼吸。


「……跡部。頼みがある」


犯人は警察の介入を許さないと言った。
ならば介入させる者は警察でなければ問題ない。
いったい誰に喧嘩を売ったのか。
脳の薄い奴らへ知らしめてやろうじゃないか。


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