君と僕。
もしも互いの姿が見えなくなっても。
君は僕を探してくれますか。






◆◇◆◇







「ねぇ侑士」

「ん?何や」


ゆったりとしたソファに身を沈め、長い脚を組んだまま小さな本のページをめくっていく。
そんな些細な仕種ですら絵になってしまう男──忍足侑士。
低く甘い低音は、腰をゾクリと疼かせるようだ。
その男の後ろ、背凭れの向こう側から腕を伸ばすリョーマは、ダラリと忍足の首から腕を垂らしている。


「何やねんな」


甘えるように肩にグリグリと押し付けられる額。
背凭れ越しの抱擁を仕掛ける腕をポンと叩き、忍足の指がパラリとまた一頁を捲る。


「ねぇ」

「何や」


忍足の目が活字を追って流れ、連動して首に絡まる腕を撫でて。
擦り寄るリョーマの腕が、キュッと強まった。


「それ、面白い?」


それ、と示されたのは忍足の手の中で大量の文字を浮かべる紙。
数ヶ月前に発売された恋愛巨編らしく、発売当初は書店でも売り切れ続出のベストセラーだ。
映画化も決定したと大々的に発表され、近日中にキャストによる記者会見が開かれるらしい。
当然恋愛小説に目のない忍足が買わない筈もなく。
予約注文によって漸く手に入れた代物だ。


「せやな。おもろいで?主人公の葛藤もよぉ表現されとるし、何より先の展開が読めへんからなぁ。読みごたえあるわ」


瞳を細めて答えているのに、視線は活字を追ったまま。
もう一枚めくられた頁が、ゆっくりと左から右へと収まった。


「ふぅん」


けれど、リョーマの反応は至極詰まらなそう。
普段からしてテニス雑誌かペット関連の雑誌ぐらいしか目にしないリョーマにとって、恋愛モノはさしたる関心を抱かない。
それも日本語、漢字や熟語などが所狭しと並ぶ小説だ。
英語ならばいざ知らず、リョーマにとって論外にも等しい書物。
何がそんなに面白いのか理解に苦しむ。
それが率直なリョーマの感想だった。


「ねぇ。何で恋愛小説好きなの?」

「何でっちゅわれたかてなぁ。せやなぁ。話ン中の人間にな、共感出来るんや」


表紙の裏に挟んでいた栞を摘み上げ、読んでいた頁に挟み込む。
パタンと乾いた音とともに閉じられた表紙には赤々とした紅葉の並木が舞い散り、並木の奥に行くに連れて徐々に葉は失われていく。
そして並木の最奥には葉を無くした枝が雪を積もらせていた。
秋から冬への移り変わりを表す並木道。
そこに佇む後ろ姿の男性と、その先に佇む女性。
水彩絵の具で書かれたような絵が、並木や二人の男女を緩やかに滲ませている。


「この話はな、まぁ言うたら悲恋なんやけどな。秋の並木道で出会(お)うた二人の男女がな、冬の同じ道で別れてまうんや」


並木に包まれた男女。
女性は長い髪を風に遊ばれ、男性は女性を静かに見詰めているよう。


「色んな葛藤があってな。せやけどその後、男が海外に行くん。ほんで、ホンマに会えへんようなる。せやけど好きおぅてんねやから諦められへんて女を迎えに行くんや」


海を隔てた場所からでも、たった一人を想い続けて。


「せやけど日本に着いた男が見たんは、変わってもうた故郷やったん。でっかい地震で仰山犠牲が出て、建物も山もみぃんな崩れとってな。女も生きとるかどうか解らん。むしろ絶望的やったん」


辿り着いた場所が齎した物は再会の喜びではなく。
郷里の崩壊という絶望。
そして、彼女を喪ったかもしれないという、耐え難い現実。


「せやけど男はな。捜し続けんねん。女は行方不明者の一人で、遺体は上がってへんかったから。ずぅっと。何年も」


知人の遺体を見付け、家族の変わり果てた姿を目にして。
追い詰められながら、絶望しながら。
それでも一人の人間を求め続けて。


「俺が読んだんは男が日本に帰って一年半経ったっちゅうとこまでや。それまでずぅっと女ン事捜しとったんや」


緩やかに表紙を撫でる忍足の指が、ソファの上へと移動する。
そして、背凭れ越しの小さな腕を叩き、前へくるように膝を叩く。
一瞬怪訝に眉を寄せたリョーマだが、比較的素直に忍足の膝へと収まった。
目の前にある愛らしい容貌。
艶やかな黒髪を指先に遊びながら。
忍足の瞳が甘く綻ぶ。


「俺もな、多分この男と同じやねん」

「……同じ?」


コトリと傾く首。
不思議げな瞳に頷き、小さな肩を抱き寄せる。
スッポリと収まってしまう華奢な身体。
酷く頼りなくて、愛おしい。


「せや。多分な、俺かてこないな立場ンなったら何ゆうたかてリョーマ捜し出す。他の誰を──オカンやオトン、跡部や岳人たちが死んでもうたかて、リョーマを捜す事だけは諦められへん」


例え他の誰を喪っても。


「そら、知り合いのぅなったら悲しいやろな。ホンマ夢やと思いたなるやろ。せやけど、リョーマがいぃひんねやったら、捜し続けるわ。一生かかったかてな」


この物語の男と同じように。
知人の死を嘆き、肉親の死を受け入れられず。
悶え苦しみながら、それでもたった一人を捜し続けるだろう。
きっとまた、出会えると信じて。


「せやからな、止められへんねん。こないな状況やったら、俺かてこうなる思える。そう思たら、つい没頭してまうんや」


もしもリョーマがいなくなったら。
もしもリョーマの生死が不明だったなら。
生きていると信じて、一生涯を捧げてでも捜し続けるだろう。
命を賭けて、愛した人であるから。


「っ……それ……反則っ……!」


酷く優しく、極上に甘く。
低く甘やかな声音で囁かれる言葉がリョーマの耳朶に触れる度、フルリと震える肩。
羞恥か喜びか。
判別はつかなくとも、赤く染まった頬は既に耳まで染まって。
フイと逸らされた視線。
拗ねたような仕種はリョーマなりの照れ隠しであるのだと、忍足は知っている。
だからこそ、愛しくも可愛くも思う。
他の女がしたところで何の感銘すら受けないだろう仕種でも、リョーマがすればこんなにも魅力的。
これだから、離れるなど出来ないのだ。
例え死んでも捜し出したいと思う程に。


「……たら……よ……」

「ん?何や」


ポソリと、逸らされた唇から呟かれた何か。
けれどそれはあまりに小さく、聞き取るに至らない。
覗き込むように問い返す忍足を、リョーマの大きな瞳がギッと睨み返した。


「だからっ!アンタが行方不明になったら捜してあげてもいいって言ったのッ!」


怒鳴る、というよりは叫ぶ、と言った表現が正しい。
勢いと自棄の成せる技か、一気に言い放っては忍足の膝から飛び降り、遠ざかって行く小さな背中。
バタバタと慌ただしく遠くなる足音を、忍足はただ呆然と聞いた。
バタンッと響いた隣室のドアの音。
途端に静まった空間に、忍足の肩が小刻みに揺れ動いた。


「アカン……ホンマ敵わんわ……」


額に押し当てた掌が眼鏡の奥を覆い隠す。
きっとリョーマは、捜さないだろうと思った。
愛されてないとは、思わない。
愛してもいない人間と付き合い、身体を許す程リョーマは酔狂ではない。
けれど、きっと自分の方が愛しているのだ。
リョーマがいなければ生きていけない程に溺れているのだ。
そう、忍足は思っていた。
なのに。


「どっちが反則やっちゅうねん」


額から離れた掌の下。
表情を変える事など滅多にないそれが、仄かに赤く染まり。
ゆるりと額にかかる前髪を掻き上げた。


「まさか俺が赤ぅなる日が来るとはなぁ」


頬をペシリと一つ叩き、ゆっくりと立ち上がる。
隣の寝室で丸くなっているだろう小山を、崩しに行く為に。
ソファに置き去られた本が、僅かな風にフワリと頁を浮き上がらせた。






◆◇◆◇







やっと見付けた君は、君であった時間を失っていた。
漸く出会えた君は、その唇で“初めまして”と紡ぎ出す。
崩れ落ちそうだった。
けれど、君は君だから。
幾つもの人たちが過去になる中、君は今に生きていた。
それだけで、僕は──。
「初めまして」
差し出した手を取って、君は微笑んだ。
出会った時と同じ、柔らかな木漏れ日のように。
鮮やかに色付く紅葉たち。
君と初めて出会えたこの場所で。
また始めよう。
一から築こう。
君の手を、離さないように。
僕たちを出会わせてくれた、この場所で。
二度目の《初めまして》を──。

[紅の道](著:綾坂 敦子)より抜粋




どれだけ離れようと。
どんなに絶望的だろうと。
捜し出してみせる。
もう一度君に、出会える為ならば。
そうすればきっと。
どんな形でもまた、出会える筈だから。
何度でも、何回でも君を見付ける。
だから、この手を取って。
伸ばした手は、いつかきっと、届く筈だから。




END


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