夢があるのだと言った。
初めて出会った時のように、好戦的な瞳で。
真っ直ぐに上だけを見据える瞳で。
世界の頂点に行くのだと。
リョーマは言った。













リョーマの髪が好きだ。
サラサラと指触りもよく、梳けば隙間から零れ落ちて行く。
艶やかな黒髪。
背の半ばまで伸びたそれは、六年前からずっと伸ばしているのだと言っていた。
父にテニスで勝てるようにとの願掛けに。
母に女らしい格好をしろと言われていたのもあり、ずっと切っていないのだと。
いつか願いが叶った時、一気に切るのだと。
長い月日をかけた願いが叶った証に。
今ではその願いは父だけでなく、全てのプレイヤーに勝つ事に変わり。
髪を切るのも近いだろうと挑戦的に笑った。
滑らかな髪。
プレイ中にはポニーテールに結い上げ、帽子の中に収まってしまっているその絹の手触り。
それを梳く事が許された自分に、無上の喜びを覚えた。
髪を遊べば心地良さそうに目を細め、一房を手にキスを落とせば擽ったそうに身を捩る。
歩く度に揺れ、振り返れば軌跡を残して舞う。
鮮やかな清流にも似て。
好きだった。
リョーマの意思の強さを表すその髪が。
リョーマを飾るその美しさが。
好きだった。
なのに。






◆◇◆◇







「ぐっ……!」

「景!」


抉るような鈍痛が腹から競り上がり、跡部の顔が歪む。
悲鳴のような声が突き刺さり、くの字に折った身体を持ち上げた。
見上げたソコは、薄暗い倉庫のような場所。
だだっ広く簡素な作り。
港脇に備え付けられた物であり、使われなくなって久しいのだろう古ぼけて埃臭い。
窓は小さく、遥か頭上に幾つかが申し訳程度の明かりを齎すだけ。
入口はしっかりと閉じられ、男が三人。
数メートル先には、下卑た男に両手を後ろ手に抑え付けられたリョーマ。
そして、跡部はと言えば。
両手は後ろ手に回され、胴体と纏めて何重にも縄によって縛り付けられている。
先に腹に受けた衝撃は、目の前に立つ奇妙な作りの白装束に身を包んだ男からの蹴りによるもの。
リョーマだけでも解放しろと反論した答えだ。


「げほっ!」

「やめろ!離せよ!」


リョーマの怒鳴り声が聞こえる。
口の中が鉄臭い。
胃の中身が競り上がってくる。
最悪だ、と口の中だけで一人ごちた。










事の起こりは数時間前。
リョーマと跡部が会うのは実に二週間ぶりだった。
全国大会やそれに備えた練習などがあり、互いに全く時間が取れず。
更には跡部が生徒会長である事もあり、電話すらもままならない多忙ぶりだった。
そうして漸く捻り出せた時間。
久々の逢瀬を楽しもうと、二人外へと出た。
映画や遊園地などの物は互いに好まないし、更には平日の夕方と言う時間帯もあり、二人が訪れたのは住宅街を離れた自然公園。
広々と開放的な雰囲気が二人ともども気に入り、度々訪れる場所だ。
夕方だった時間は到着した頃には夜に変わり、人気も疎ら。
公園の端から臨む東京湾と、そこから見える夜景も麗しい時間帯だった。
そこで何をするでもなく、ただ飲み物を片手に近況報告などを交わし、笑い合った。
油断していた自覚は、跡部自身にもあった。
しかし、こんな展開など誰が予想しえようか。
時計が八時を指し示し、そろそろ引き上げようとリョーマの腕を引いた瞬間。
背後に、気配。
そして、頭に衝撃。
意識が一気に霞み、耳朶にリョーマの悲鳴が突き刺さる。
消える意識の片隅で、グラリと傾くリョーマの身体と。
緩やかに波打つ黒髪が、見えた。










跡部とリョーマを襲ったのは、ある宗教団体の一味だと知れた。
跡部の一族は財閥と言われるものであり、政財界に知り合いも多い。
当然警察関係者とも関わりがある。
宗教団体は先日、儀式と称した異常な猟奇殺人によりクシミ様と呼ばれる教祖とその幹部、合わせて二十人近くが逮捕された。
二人を攫ったのは、彼等の釈放を求めるためであると。
バスジャックやハイジャックなどと手の込んだ事をするよりも政財界、そして警察関係に顔の利く跡部財閥の御曹司を人質としたほうがリスクが少なく、確実だとの判断だろう。
そしてリョーマは跡部とともにいたため、口封じのために連れてこられたのだ。
冗談ではない。
跡部の心情はその一言。
自分一人ならばまだいい。
どうなろうが、油断していた自分にも非はあるのだ。
しかし、リョーマは何の関係もない。
こんな目に合わせなければならない謂れも、理由もない。
ギリッと、跡部の唇から血臭が広がった。
床に転がされ、肩で息を繰り返す跡部を眺めるしか出来ないリョーマもまた、謀らずも同じ心中だ。
冗談じゃない、と。
こいつらの頭が捕まろうが何だろうが跡部にも自分にも何の関係もない。
なのに何だこの状況は。
謂れのない拘束を受け、更に自分だけでも逃がそうと進言した跡部は複数人によって暴行されて。
他人に屈服することを良しとしないあの跡部が、苦痛に顔を歪めて身悶えている。
それが、彼のプライドをどれだけ踏み躙っているか。
否、踏み躙られているのは跡部のプライドだけじゃない。
目の前で暴行を受ける跡部を、ただ見ていることしか出来ないリョーマの矜持も、したたかに傷付けられた。
どんなに声を荒げても。
どんなに身を捩っても。
男一人の拘束からも逃れられない。
自分自身の非力さに、吐き気がした。


「かはっ!」

「景っ!」


新たに脇腹に加えられた蹴りに、跡部の口から少量の血が散った。
瞬間。
一気にリョーマの頭に血が上った。
ザワリと全身が総毛立ち、指先が掌に食い込む。
怒り、憎しみ。
どちらか解らない。
敢えて言うなら衝動、としか言いようがない。
両手を背中で一纏めに押さえ付ける男に全身の体重を一気に傾け、一瞬よろけた所に脇腹へと振り上げた肘をめり込ませる。


「ぐっ……うっ!」


醜い呻きを上げた男から素早く両手を引き抜き、左足を軸に半回転して肘を埋めた横腹へと勢いよく膝を叩き付けた。
がたいのいい男が僅かに飛び、壁へと突っ込んで白目を剥く。


「貴様っ!」

「神聖なる御使いを足蹴にするなどっ!」


色めき立った他の男が一斉にリョーマを取り囲んだ。
だが、リョーマの瞳に怯えなどない。
ただ言い知れない衝動で頭が真っ赤に染まっている。
取り押さえようと延ばされた手を交わし、身を捩って反転。
反動を利用して男の後頭部を肘で強打する。
脇から向かってくる男には身を屈めて足を払い、よろめいた所に鳩尾へと膝を埋めた。
何人かが鉄パイプを手に襲って来たが、テニスで鍛えた動体視力と反射神経によって何とか躱す。
そして一人の鉄パイプを避けると同時に手首を掴み、身体を引き寄せてこれも脇腹を蹴り飛ばした。


「小娘がっ!」

「おのれぇっ!」


咆哮を上げる男たちに眼光を突き刺し、振りかぶられた鉄パイプを後退して避ける。
後頭部を強打されてよろめいた男が横から手を延ばして来て、咄嗟に手首を掴んで捻り上げた。
チラリと跡部を視線だけで見遣れば、苦悶に歪む目でリョーマの立ち回りを見詰める。
加勢したくとも出来ないのだろう。
縛られた縄を解こうと身じろぎを繰り返している。
視界の端に男の一人が迫っているのを見付け、捻り上げている腕の持ち主の背中をそちらへと蹴り飛ばした。


「はぁ……はぁ……」


流石に息が苦しい。
一対六だ。
新たな男がナイフを片手に突進してくる。
ギッと歯を食いしばり、最小限の動きでそれを躱して下から肘に拳を叩き込む。
筋肉が伸び切ったところに関節を逆方向へ強打すればダメージは大きい。
殆ど本能に近い行動だったが酷く理に適った物であり、男はもんどりうって転がる。
カシャンとナイフが高い音を立てて転がった。
反射的にそれを目で追い、僅かに意識が男たちから逸れる。
それが、致命的だった。


「──リョーマっ!」

「っ!」


跡部の怒号が耳に刺さった刹那。
頭皮を襲った痛みに声にならない悲鳴が上がった。
同時に身体が引き倒され、引き摺られる。
したたかに打ち付けた背中が、喉から呻きを絞り出させた。


「手間を掛けさせやがって」


怒りに顔を赤く染めた男が、黒い何かを手に握っている。
それが自分の髪であるのだと気付いたのはその数秒後だ。


「リョーマっ!」


叫ぶ跡部の名を呼ぼうと開いた口は、ギリッと引かれた髪によって苦痛に歪む。
頭皮が引き攣れて痛い。
反射的に痛みを軽減させようと髪の生え際を握った。


「この娘……どうしてくれよう」

「このままではまたいつ我らに歯向かうか……」

 

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