困惑に揺れる琥珀が幸村を見遣るけれど、当の本人は穏やかに瞳を細めてみせただけ。
両手の指先を組んで顎を乗せる幸村の瞳は、ひどく楽しげ。


「坊やと跡部へ向けたメッセージだ」


少女の困惑を示すように、柔らかな花弁が撫でられる度にフリフリと揺れる。
手持ち無沙汰に花を撫でるその仕種が幼くて、幾度目かの微笑みが幸村の唇をこぼれ落ちる。
女性と見紛うばかりに端正な幸村の容貌が、ふわりと綻ぶ様はあまりに優美。
けれどそれを向けられた少女はただ首を傾げるのみ。
再び伸びた幸村の腕が、花を持たない黒髪をサラリと梳いた。


「さぁ、お茶のお代わりでも頼もうか」


脳内を疑問符に埋めた少女を置き去りに。
黒髪を遊ぶ指先がクルリとソレを巻き付け、一際艶やかな笑みを咲かせた。













リョーマが幸村の元を退出したのは、それから一時間ほど。
白薔薇を差されてからの会話は、特筆すべきものもなく。
終始テニスに始まりテニスに終わった。
幸村ほどの実力者とのテニス談議は、テニスの虫たるリョーマにとって非常に楽しく有意義なものであった。
ゆえに、夕食の時間が近付いてることにも気付かず一時間も話し込んでしまった。
時間を認識するや食事の前にせめてシャワーだけでも浴びるべく、慌ただしく幸村の元を離れた次第。
そうして割り当てられた自室に戻るべく足早に宿舎内を歩いていたリョーマだったが、歩き出しからの僅か五分後。
自室に戻る道すがら、その足は強制的な停滞を余儀なくされた。


「やっと見つけたぜ?リョーマ」

「げ……」


聞き覚えのある声が眼前に立ちはだかる。
長く続く宿舎の廊下、そのド真ん中に。
宿敵登場。
某モンスター捕獲ゲーム風に表現するならば、『あ! やせいの あとべ が あらわれた!』といった感じか。
リョーマの喉から思わず漏れた、蛙を踏み潰したような無残な音が示す明確すぎる心境の吐露。
苦虫を噛み潰すリョーマの視線の先には、ポケットに手を突っ込んだまま鮮やかに笑む跡部の姿。
──と、その傍らで苦笑を零す白石。
リョーマの視線がそちらに向くや、包帯のない左手で白石の左手が謝罪を示した。


「スマンなぁ越前さん。幸村クンに言われててんけど……止められへんかったわ」


左手一本を顔の前に立て、右目をつぶる。
謝意を示すその仕種と台詞。
唐突な謝罪に一瞬面食らったリョーマだが、幸村という単語と『止められない』との台詞から大方の予想はついた。
どうやら幸村は白石に跡部の足止めを依頼してくれていたようだ。
なんとも用意周到なことだ。


「幸村さん……面倒見いいんスね」


匿ってくれたばかりか跡部からの妨害まで依頼している手回しのよさ。
流石の視野の広さというべきか、フェミニストというべきか。
もっともこの場でリョーマと跡部が遭遇してしまっている時点で作戦失敗は疑いようもないのだが、それでも心遣いは嬉しいものだ。


「白石さんも……なんかすんません」

「ええねん。どうせ暇やったし。それに……な?」


手を煩わせたことへの礼を篭めて軽く頭を下げれば、カラリと爽やかに微笑んでくれる。
けれど最後には曖昧に笑って言葉を濁す。
そのぼやけた言葉尻から、白石が件のフレンチキス事件を念頭に置いているのだろうことは想像に難くない。
知ってたのか……なんて感想が胸に浮かぶがそれよりも気恥ずかしさが勝って、少しだけリョーマの頬がはにかんだ。


「おいリョーマ。俺様の存在忘れんじゃねぇ」


白石とリョーマの会話を蚊帳の外から眺めるしかなかった跡部が、ここで漸く張り巡らされた蚊帳を取っ払った。
恥ずかしそうに頬を染めたリョーマに危機感を感じたのか否か、いやただ単に無視されたことが気に食わなかったのか。
白石に向く細い腰を片手の元に引き寄せ、小さな肢体をあっさりと胸に引き込む。
そうして自らの体で隠すように抱き込み、酷く物騒な視線を白石へと突き刺した。
その視線があまりに鋭いから、まるで手負いの獣だと白石の唇が幾度目かの苦笑。
抗議も抵抗も間に合わなかったリョーマはといえば、大きな瞳を丸く膨張させながら一度パチリと瞬き。
そうして頬に聞こえるトクトクとした他人の鼓動に、胸に押し付けられている現状を理解。
唐突な跡部の暴挙に抗議を篭めた視線で睨み上げれば、柳眉を寄せていたらしい男の美貌が甘く綻んだ。
睨まれているというのになにがそんなに嬉しいのだと、リョーマの瞳が怪訝に跳ねた。


「ちゅうか越前さん。その薔薇どないしてん」


見つめ合う──もっとも片やは睨みつけているのだが──二人に不穏な気配を見て取ってか、白石の声が割り入る。
他人の色恋沙汰に首を突っ込むつもりは毛頭ない白石ではあるが、漂い始めた気配が看過できないものであることは解った。
リョーマにはその気はないだろうが、目が合った途端に跡部の雰囲気が酷く甘ったるく変化。
それはまるで睦言を囁く直前のような。
このままでは再びキス事件が目の前で起きかねない気配。
さすがにそれだけは避けるがよしと、二人の注意を呼んだ次第。
合意ならまだしも、一方的な触れ合いはあまりよろしくはない。


「あぁ……これ?」


白石の意図を知ってか知らずか、リョーマの視線が跡部から撤退。
小さな舌打ちが響いたが、白石は鮮やかに聞き流す。
サーベルもかくやとばかりに痛々しい眼光が突き刺されているが、それも気にしないようにと努める。
心頭滅却すればなんとやらだ。
頭上で交わされる二人の冷戦など知らぬまま、白石の問いに答えるべくリョーマの自由な手が自らの髪に触れ、花を撫で示す。
未だ黒髪に差されたままの艶やかな白薔薇が応えるようにヒラリ揺れた。


「幸村さんに差されたっス。なんか俺と跡部さんにメッセージだって」

「アーン?」


意味はわかんないんスけど。
隠すことではないと花を差された経緯を素直に答えたリョーマに、些か不機嫌な相槌が間近から。
チラリと頭上を見遣ったリョーマの先で、柳眉を跳ね上げて怪訝と不快を如実に示す男。
幸村からの贈り物であることが気に入らなかったのか。
それとも跡部へのメッセージということに戸惑っているのか。
はたまたその両方か。
判然としない跡部の心境にパチリと少女が瞬けば、抱き込む腕が僅かに強まり密着度が増した。


「──あぁ。ナルホドな」


と、唐突に聞こえた納得の言葉。
反射的に声を振り向けば、顎に指の腰を添えた白石が苦笑に肩を震わせていた。
端正な男の笑い顔は目に優しいものではあるが、今この現状のどこに笑う場所があったのか。
そもそもいったいなにが『なるほど』なのか。
跡部とリョーマが揃って怪訝に眉を跳ね上げれば、クスクスと笑みを噛んだ声が二人を仰いだ。


「幸村クンも人が悪いわ。せやから俺やったんな」


今一度苦笑を零し、白石の肩がヒョイと一竦み。
一人訳知り顔でウンウンと頷く彼が、漸く笑みを飲んだ。
そうして、困惑を示す二人へと向き直る。


「なぁ、白薔薇の花言葉って知っとる?」

「は?」

「花言葉だぁ?」


そうして発されたのは、予想外の言葉。
少女マンガやドラマでなら聞いた覚えはあれど、日常生活ではあまり耳慣れない単語だ。
であればして、二人が白薔薇の意味を知っているはずもない。先とは意味を違えて跳ね上がった二人分の柳眉に、白石の瞳がクスリと小さな微笑みを。
そうして困惑しきりの二人へ答え合わせ。


「白薔薇の花言葉は、『無邪気』『純潔』っちゅうんが一般的や。せやけどな、白薔薇にはもう二つ花言葉があんねん」


さしたる興味もなさそうに耳を傾ける二人を、白石の瞳が順に見渡した。
白薔薇の花言葉は、純潔と無邪気。
そして────


「後の二つは……『心からの尊敬』『私はあなたにふさわしい』」

「っ!」


瞬間、跡部が息を飲んだ。
アイスブルーの瞳が丸々と見開かれ、驚愕を示す。
常より高慢な表情を崩すことのないあの跡部が、言葉を失うほどの衝撃。
無理もないだろう。
なにしろ言葉の贈り主は、あの幸村。
跡部の心境は推してしかるべしというものだ。


「さすが幸村クンやな。宣戦布告と告白を同時にやらかすやなんて……無駄があらへんわ」


関心しきりの白石の前には、唖然と目を瞠る二人の男女。
そのうちのいっそ呆然と硬直する少女へと、爽やかな笑顔を手向けた。


「っちゅうわけや。これから大変やで、越前さん」


気張りやーなんて。
軽やかに笑ってリョーマの頭を撫でた白石。
白石の種明かしから完全に思考を硬直させていたリョーマが、髪を撫でられる感触に一度ゆっくりと瞬く。
俄かには理解しかねた花言葉の意図がゆるゆると脳に染み込んでくる。
そうしてそれらを時間をかけて飲み込んでみれば、カッと頬に熱が上るのがわかった。


「……ふん……上等じゃねぇか」


熱を宿した頬にパクパクと唇が空回り始めたとともに。
同時に頭上から降ったクツクツと笑む艶やかな音。
どこか楽しげで、どこか怪しげな音が綴る開始の合図。
視線だけを上げて見れば、跡部の美貌は一層艶やかに。
まるで試合に挑むかのように好戦的な。
一度、ドクリとリョーマの胸が叩かれた。


「相手にとって不足はねぇ」


クツリと笑う男の腕に抱かれながら、リョーマの鼓動が無様な疾走を始める。
垂れ下げた自由な手で少女がゆるり自らの髪を撫でると、ふわりと皮膚を撫でる柔らかな肌触り。
真白の薔薇は、贈り主のように柔らかに微笑んだ。







◆◇◆◇







純白に乗せた想いの丈。
俺の世界を変えた君に、精一杯の敬意を。
そして君に惹かれる同士には、心からの警意を。




さぁ、宣戦布告だ。




-END-


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