それを踏み潰し下僕とする手塚。
変わらない。
何一つ。
変える気などない。
そう、三つの想い、そのどれもが今を望んだ。
異変はいらない、普遍が欲しい。
だから訪れぬ変化。
少しずつ、確実に。
変化といえぬ変化に気付いた時。
人は嘆く。
過ぎ去った今でない時を。
知ることの出来なかった“if”を。













『どうしたの?目、赤いよ?』

『あぁ。カラコン入れてみようかと思ったんスよ。不二先輩とか跡部さんとか綺麗な青じゃん?だから俺も対抗しようかと』

『それで充血しちゃったの?』

『俺あんま合わないみたいっスねー』

『色気づいちゃって』

『国光に捨てられちゃって俺寂しいですからー。早くイイ財布と読む彼氏作んなきゃ』

『ウワー大変ダー。男子諸君逃げてーチョー逃げてー』

『うわー不二先輩がチョーって……チョー似合わない』

『越前?ジュース取り上げていい?』

『却下します』


そんな会話。
笑いながら話したのは何時だっただろう。






◆◇◆◇







その日。
学園に衝撃が走った。


「リョーマちゃんッ!!!!」


走り込んだ室内は、ただ白い。
無機質な無色。
有機的な文様を描くコード。
横たわる、見慣れたはずの少女。


「りょ……まちゃ……」


横たわる少女にかつての輝きはなく。
そこに、消えかけた儚い灯があった。


──越前リョーマが事故にあった


それは誰よりも早く手塚と不二に伝えられた。
学園で最も親しい間柄であった二人。
それを伝えたのは彼女の両親でも従姉妹でも教師でもなく──氷帝の忍足だった。










「調べてみて解っててんけどな。姫さん、暴行の跡があったわ」


氷帝の制服の上に白衣を引っ掛けた忍足。
淡々と話すその口調には抑揚が多大に欠落。


「そん後、家帰ろう思たトコに車が突っ込んだらしいわ」


病院に勤務する姉の奨めで院内見学をしていたさなか、舞い込んだ急患。
痛々しいコードや夥しい血液に沈む少女に、忍足は血の気が一気に凍てついたのだという。


「リョーマ……ちゃんは……」

「…………」


震える不二の問い。
答える声はなく、忍足はその薄い唇を閉ざした。
ガタリと、けたたましい音が響いた。


「答えろ。アレはどうなんだ」


忍足の胸倉を掴み上げたのは、今の今まで無言を貫いた手塚。
低く唸る詰問。
忍足の視線が、苛烈に閃いた。


「……自分に……聞く権利あるんか」

「なに?」


吐息のように。
零れた忍足の言葉は、確かに震えていた。
そしてその拳が──手塚の頬を抉る。
吹き飛ばされた手塚の背が壁に叩き付けられた。


「あん子がどんな想いしとったかも知らんで……ッ!どのツラ下げてきよった!」


立場は逆転。
両手で手塚の胸倉を掴み上げる忍足の顔に、常の冷静さなど皆無。
叫ぶその言葉も、理解に及ばない。


「あん子はなぁ!自分のせいでズタボロなんや!」


それは知らざる──何よりも気付かねばならなかった真実。













リョーマが病院を訪れたのは、今から二ヶ月と少し前。


「飯が食えへん?」

「まぁ……そうらしいね」


目の前に掛けた女医──忍足の姉である恵里奈の問いに、患者である少女は人事のように頬を掻いた。


「うーん。なんやろ胃腸炎やろか。吐き気は?」

「飯の臭い嗅ぐとウッてなる」


サラサラとカルテにペンを走らせる恵里奈をぼんやりと眺め、リョーマの意識は窓の外。
ちょうどその時研修──といえば聞こえはいいが、恵里奈に引きずられて職場見学の真似事をさせられていた忍足は、知人であるとの理由から診察室にいた。
勿論、リョーマ本人からの承諾を得て。


「臭いなぁ……」


ペンを顎に当てて思案する姉に対し、忍足は知識を紐解く。
少ない現在の進言から推測できるオーソドックスな原因は二つ。
一つは、妊娠による悪阻。
そして二つ目は……。


「……拒食……か……?」


ポツリと零した忍足の言葉を拾い上げ、恵里奈の瞳が苛烈に射抜く。
患者の前で確証のない推測を口にするなと。
けれど、現段階で思い付くものはソレ以外にはない。
肩を竦めて詫びを示した忍足が、窓を眺める少女を見つめた。
勝ち気で生気に溢れていた少女。
今やその面影はなく。
見て取れる悲哀。


「詳しゅう検査、さしてもらうな」


サラサラと再びペンを走らせ、更に備え付けられたパソコンを弄る恵里奈。
リョーマの視線は一度として恵里奈を──室内を見ることはなかった。










検査結果は、軽度の拒食症。
そして新たに睡眠障害もが発見された。
原因は肉体によるものではなく、精神に依存する──所謂精神的なもの。
直ぐさまリョーマにはカウンセラーが紹介された。
放っておけば悪化しかねない。
精神的な拒食は心持ち次第で瞬きの間に悪化する。
対応は早いほうがいい。
けれどリョーマはカウンセラーに対して一切の心を開かず、カウンセリングは難航した。
日に日に衰弱するリョーマの体。
見兼ねた恵里奈が提案した苦肉の策。
それが──忍足によるカウンセリングだった。
カウンセリングといってもただ話を聞くだけ。
元より忍足の志望は外科、専門外だ。
それでも知人のほうが話しやすいのではないかとの、恵里奈の判断だった。
初めは忍足に対してもリョーマは無言を貫いた。
けれど次第に、本当に徐々に、話をしてくれるようになった。
悲しげな笑みを、その美貌に浮かべて。













「なんであん子が化粧なんか始めたか解るか?エクステ付けたんがなんでか解るか?全部自分らに気付かれたなかったからやッ!」


激昂する忍足の怒号。
日に日に痩せていく体を気付かせぬよう、筋トレは欠かさずに。
細くなっていく頬を気付かれぬよう髪で輪郭を覆う。
食事を取れぬために悪くなった血色を誤魔化すために慣れないファンデを塗り始めた。
次に紫になってしまった唇を隠すためにピンクのグロスで色と艶を隠した。
俯けば陰影で顔の輪郭が浮き彫りになるからと、常に笑った。


「解るか?自分を弄んだ男にそれでも気付かれたないて……同情も心配もいらんて……全部全部耐えとったあん子の気持ちがお前らに解るか!!!!」

「っ!」


途端に、息の仕方が解らなくなった。
見開いた切れ長の瞳。
止まった呼吸器が、手塚の心臓を走らせる。


「お前が好きやからて……泣いとったんや……嬉しそに笑いながら……あん子はずぅっと泣いとったんや……」


搾り出された言葉も、手塚を締め上げる手も。
忍足の全てが震えていた。
呼吸も身じろぎも忘れて。
手塚はただ虚空を見上げた。
ただ、都合が良かった。
ただそれだけだった。
それ以外に、あんな子供を相手にする理由などなかった。
けれど────。


「っ!」


咄嗟に抑えた唇は何を吐きたかったのか。
嘲り?中傷?後悔?罪悪感?それとも──。
気付いてはいけなかった。
気付かなければいけなかった。
有り得ないはずの事実。
無意識だったとでもいうのだろうか?
用のない女はさっさと切り捨ててきた自分が、使えない女を何故……いつまでも傍に置いていた……?


「ッ……」


噛み締めた唇の上。
眼鏡が急速に曇りはじめ、そして──。
微かな音とともに、零れ落ちた。



気付くのが遅すぎたのだと、初めて解った。













機械に繋がれた少女。
機械に繋ぎ止められた命。
廊下に手塚と忍足を残し、フラリと病室に踏み込んだ不二の目の前で。
痩せ細った体を横たえ、少女はただ静かに眠る。


「君は……」


パタッと。
シーツの一部が、色を変えた。
子供の恋愛だった。
リョーマはただ、手塚が好きなだけだった。
ただ、真っ直ぐに。
あまりにも単純で、一途で、子供な恋愛。
けれど────


「君は……子供だ。どうしようもない……ッ」


堪え切れぬ悔恨と哀しみに引き裂かれそうだ。
蹲った先で、乱れた吐息が新たな雫を落とした。
気付けなかった。
あんなに近くにいたのに。
君が、笑っていたから。



──君は子供過ぎた。
──だからこそ、誰よりも大人のフリが上手かったんだね。






◆◇◆◇







リョーマは、目覚めない。


「リョーマちゃん。こんにちは」


あれから一年半。


「…………」


不二と手塚の姿は毎日病室にあった。
いつ目覚めるとも知れない少女の傍らに。


「あのね、手塚また全国模試でトップだったんだよ」

「当然の結果だ」


クスクスと笑む不二の傍ら。
窓際に寄り掛かる手塚。
その耳には、付け慣れた風情を見せるピアスが一つ。
シルバーのシンプルなソレ。
それはリョーマが眠りに付いた一週間後。
彼女の部屋から見付かったもの。
手塚への、プレゼント。
リョーマが眠りについたのは九月の終わりだった。


「今年ももう終わりだね。君は……新しい年に何を願うのかな」


暦は十二月末。
身を切る風が、凍える空気をさらう季節。


「……お水、変えてくるね」


枕元に活けられた花。
前回中学時代の仲間が活けていったもの。
花瓶を手に病室を後にする不二の背。
ピシリと閉まる隔たり。
残されたのは眠り姫と、姫を眠らせた悪の魔法使い。


「…………」


窓際から離れ、歩み寄ったベッド脇。
規則正しい呼吸は聞こえるのに、長い睫毛は作り物。


「さっさと起きろ。バカ女」


キシリと鳴るスプリング。
手塚の手がシーツに塗れ、白く細い指先を掬いあげる。
蝋人形のようなその指先は、冷たい。
握り締めた手塚の手は温かいはずなのに、小さな手に温もりは移らない。


「……お前は……俺の女だろう」


合わせた額はやはり冷たくて。
手塚の瞳が伏せられた。
季節は冬。
十二月末。
枕元のデジタル時計が示す日付は、二十四。
触れた唇は、冷たくて。
握った手を握り返す強さは、未だ──ない。






◆◇◆◇







失って初めて気付く。
そんな有り触れた言葉は必要ない。
まだ失ってはいない。
必ず取り戻す。
必ず。
この手で……──






子供過ぎた君は、だからこそ誰より大人で。
大人になり始めた僕たちより、君は強く儚く脆い。
ゴメン。
そして大好きだよ。
早く言わせて。
弱くて頑なな僕たちに、君の笑顔をください。






降りしきる冬華は音もなく。
罪と哀しみを纏い降り積もる。




-END-


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