俯いた忍足の頭を睨み付けながら、この男の言わんとするものが理解出来ない。


「……そんなんただの……免罪符やん……」


微かに聞こえた呟きは、跡部の理解に及ぶものではなかった。
けれど、跡部が怪訝に眉を跳ね上げたのと、忍足の手が跡部を突き飛ばしたのはほぼ同時だった。


「景吾ッ!ッ!」


二度目の衝撃は背ではなく左肩と側頭部を襲った。
叫ぶリョーマが泣き腫らした瞳を向けて来たが、身を捩るとともに声にならない苦痛を吐いてシーツに埋もれた。
痛みに軽く眉を寄せながら忍足を睨めば、彼の男が散らばった服を拾い上げる様が見えた。


「ほな。またな」


ニコリと朗らかに微笑み、服を肩に引っ掛けるままにヒラリと手を振る。
止めようと身を起こす間もなく、忍足の背が扉を潜った。
扉が微かな空気を吐き出して閉まる。
途端、室内を満たす静寂。
──否、違う。


「……リョーマ……」


シーツに埋もれ、泣きじゃくるリョーマの声が痛い静寂に染み渡る。
よろめく体を起こし、ベッドへと歩み寄った。
そして、白いリョーマの肌を目にした瞬間、ギッと再び唇を噛み締める。
滑らかな肌に無数に散る、噛痕。
そしてリョーマの肌の至る所に散らばった──忍足の体液。
改めて忍足が犯した事実を認識し、苛烈なまでの殺意が胸裏を渦巻く。
けれど、今は──。


「リョーマ……。遅くなっちまって悪かった」


震えながら涙を流し続ける少女を、胸に抱く。
頼りない程に華奢なその体を抱きしめれば、しゃくり上げる体が首に縋った。


「……っく……ッた……のにッ……」

「ん?」


呼吸器の痙攣によってまともに聞き取れない言葉。
殊更に優しげに問い返し、柔らかな黒髪を梳けば縋り付く腕が強まった。


「け……ごじゃ……な……きゃ……ひっく……やだッ……いっ……たのに……ッ!」


泣きじゃくり、しゃくり上げながら。
それでも伝わったのは、あまりにも一途で愛おしいリョーマの想い。


「けい……じゃなきゃ……ヤだぁ……!」

「ッ!」


──あぁどうしてコイツは……


沸き上がる激情のまま、華奢な体躯を強く抱きしめた。
息の仕方が解らなくなるほどの愛おしさ。
はち切れてしまいそうな愛おしさの奔流が押し寄せて、震える体をきつく閉じ込める。
あんな目に合いながら、ずっと助けを求めてくれていたのかと。
自分だけを求めてくれていたのかと。
助ける事の叶わなかった自分の不甲斐なさにこの身を引き裂きたくなる。
けれどそれ以上に胸を占めるのは、愛しさ。


「あぁ……当たり前だ。誰にも触らせやしねぇ。二度とこんなことは起こさせねぇ……!」


未だ響く嗚咽も、震える体も、その全てを記憶に刻み込む。
二度と同じ過ちが起こらないように。
二度と悲しませないように。
抱きしめた体を離せば、泣き腫らした瞳。
悲しみと怯えを描くその瞼に口づければ、酷く泣きたくなった。













暗い室内に一人。
差し込む月は既に猫の爪程しかない。


「恋愛なんて……ごめんや……」


ベッドに寄り掛からせた背と、投げ出した四肢。
見上げた天井は、暗くてよく見えなかった。


「好き……やなんて……」


『好き』、『愛してる』。
それは忍足にとって何の意味も持たないただの音に過ぎなかった。
快楽を生み出す生殖行為。
それが恋愛感情という選別基準に基づいて合否が決まるというから、口にしていただけ。
そんな言葉は、セックスをするためだけの免罪符に過ぎなかった。


「なんで……」


けれど、それならば何故自分はあんな馬鹿な事をしたというのか。
跡部の事を、信頼していた。
いっそ尊敬すらしていたかもしれない。
掛け替えのない仲間だと思っていた。
だというのにその信頼や友情を裏切ってまで何故、跡部が心から求めた少女にあんな真似を仕出かしたというのか。
考えても考えても、論理的な答えが出ない。
けれど、感情論だったなら?


「……はは」


乾いた笑いが唇をすり抜ける。
投げ出した手が、額を覆い暗い視界の全てを遮断した。


「嘘やん……」


感情論で問い掛けてみれば、優秀な頭脳はあっさりと答えを見付けてくれた。
今までついぞお目にかかった事のない、最悪の答えを。
恋愛感情など、ただの選別基準でしかない。
そう、思っていた。
──否、今もそう思っているのに。


「『好き』……」


覗き込んでしまえば、あっさりと納得してしまう。
即ち、自分が越前リョーマという少女を愛おしく想っている事を。
恋愛感情を向けている事を。
だから跡部を押し退けてまであんな無茶な事を仕出かしたのだという事を。


「は……ははは」


クツクツと、喉を震わせる笑い。
可笑しくて仕方ない。
まさか自分が、一人の女を選別する日が来るとは。
しかもそれが……跡部と同じ女だったなんて。


「笑うしか……ないやんなぁ」


文献に書かれた文字なんかとは、全く違う。
理性を焼き切るほどの焦燥感と衝動。
これが恋だというなら、なんて獰猛な感情なのだろう。


「嫉妬……。恋愛感情によって選別した己に最も相応しい相手を、他者に奪われまいとする防衛本能。それは獲物を捕えた肉食獣がハイエナから獲物を守ろうとするかの如く。優良な子孫を残すべしとする生物本能が起源とされる……」


過去に目にした文献を諳じる。
その口元には、笑み。


「おもろいやんか……」


額からこぼれ落ちた掌。
その下には──確かな雄がその瞳を愉悦に細めていた。






◆◇◆◇







感情の根幹を垣間見、抱く感情もまた新たな資料。
本能と割り切って尚、暴走する恋愛感情。
それは果してただの種族繁栄の為だけに発されたシグナルなのか。



不確定な感情によって選別された少女。
既に他の男に選別され、それを受け入れた少女。
けれど誰かを選んだからとて、全ての男の選別基準から除外されるわけではない。
いつだって捕まえた獲物は逃げ出す危険性を秘めている。
ハイエナはどんなときでも、付け入る隙を狙っているのだから。



男の本能が今、牙を見付けた。






-END-


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