愛する事が罪であるのだと、初めて自覚した。
◆◇◆◇
恋愛感情。
それは生殖行為、ひいては子孫を残すに当たっての選別基準である。
犬は性行為に際して対象を選ばない。
それに対して猫は対象を選別し、より優秀な遺伝子を残そうとするのだという。
要は量より質を取ったが故の感情といえるだろう。
つまり恋愛感情などというものはただの選別基準に過ぎず、それによって日常や生活に支障をきたすなど愚の骨頂、本末転倒ということだ。
愛した相手が死んだから後を追うなど論外と言える。
より良い子孫を残すための選別基準が元で子孫どころか自らの命すら掻き消すなど、お話になる筈もない。
「…………」
そうだ。
知っている。
恋愛感情などは本能の一角が突出し、独立した感情を担っただけなのだという事を。
“恋愛”などという絵空事が、生物学的に無意味であるという事も。
なのに────この現状はなんだ。
「っ……」
見下ろした景色に、息を飲む。
空気が声帯をすり抜け、音を伴わずに唇を滑り出る。
顔が歪む。
後悔に?
──否、歓喜に、だ。
目の前に広がる、その光景に。
「……ゃ……だぁ……」
真っ白なシーツの上。
波立つ海の中にたゆたう、白い肌と艶やかな黒髪。
長くたわわな睫毛に縁取られた大きな琥珀の瞳からは、大きな雫が絶えず零れ落ちる。
華奢な裸身が惜し気なく眼下に晒され、その肌理細やかな肌は発光しているのではと思える程。
それを組み敷く男──忍足はその光景に眩暈すら覚えた。
あまりの喜びに。
あまりの美観に。
「な……で……ど、して……」
涙とともに痙攣する気道が、少女──リョーマの愛らしい声を詰まらせる。
震える少女の、その儚いこと。
押さえ付けた腕は細く、軽く力を篭めただけで手折れてしまうのではないだろうか。
泣き濡れたその瞳があまりにも美しく艶やか。
問い掛けは確かに届いてはいるけれど、それに答える理由など忍足には存在しない。
「ホンマ、えらい別嬪やな自分」
シーツに散る黒髪を一房掬えば、指の隙間をスルリと逃げていく。
逃げ遅れた髪を軽く握れば、柔らかな手触りが酷く愛おしく感じて、唇を寄せた。
「アイツ……どないな顔するんかなぁ」
クツクツと、堪えきれない笑みが忍足の喉を震わせる。
途端、ビクリとリョーマの肩が跳ね上がった。
そして向けられたのは、怯え。
「や……やだ……やだぁ!」
「あぁあんま暴れんといて。うっかりイってまうやん」
忍足の腕から逃れようとがむしゃらに身を捩るリョーマに、楽しげな声を降らせてみる。
そうすれば面白いように華奢な肢体は大人しくなり、小振りな胸を震わせながらしゃくり上げるのみになった。
その反応が男を楽しませるのだと、なぜ気付かないのだろう。
ガラスを取り払った怜悧な瞳を細め、忍足の口がうっそりと笑んだ。
「ひっく……も……やめ、て……っ……景吾ぉ……」
懇願とともに聞こえた悪友の名。
忍足の柳眉が跳ねる。
そして浮かべるのは──悪辣な嗤み。
泣きじゃくる少女を眼下に、忍足の体が一度大きく揺れた。
途端、リョーマの体が跳ね上がる。
見開いた大きな琥珀の瞳から、涙が散った。
「いやぁぁッ!やめ……いやぁ!」
ボロボロと際限なく湧き出る涙があまりに綺麗で、腰を揺らしながら忍足の舌がその軌跡をなぞっていく。
泣きじゃくるリョーマの下腹部──女陰に埋まる忍足の男根が、淫猥な音を立てた。
「なぁ。どないな気分なん?」
クスクスと唇を滑り出る揶揄。
楽しくて仕方ない。
細めた瞳が雄弁に語る忍足の心情。
泣き濡れたリョーマの頬を撫で、手向けたのは非情な微笑み。
「自分の彼氏のベッドで、他の男に抱かれる気分は?」
「──ッ!」
シーツから聞こえる上品な香り。
それはリョーマの恋人である跡部が好む、ローズの香り。
恋人の匂いのするベッドで他人に組み敷かれる。
その絶望と罪悪感に攻め潰されかねない少女の表情を、忍足は生涯忘れえないだろうと思った。
あまりにも、美しいものだったから。
「け……ご……けい……ひぁッ!あッやぁぁッ!」
恋人の名を呼びながら、その声は拒絶を示す嬌声にすり変わる。
けれど拒否を叫ぶ口とは裏腹に、リョーマの中は忍足を食い締めては堪らない快楽をくれた。
その異質さに、その滑稽さに、忍足の瞳はただ笑みを乗せる。
「──好きやで。リョーマ」
囁いた言葉は、振り乱された黒髪に絡ませシーツに溶かした。
泣き喘ぐ少女には、聞こえていないと知りながら。
☆
──自宅の広さをこれほど疎ましく思った事はなかった。
忍足が突然跡部邸に訪問して来たのは、ほんの二時間前だ。
久々の休日だからとリョーマが訪ねて来て、たまの休日を談笑していた時。
唐突に現れた悪友の姿に眉を顰めた。
何の用かと問い掛ければ、リョーマに逢いに来たのだとあの男は宣った。
直後、腹に衝撃を感じたかと思えば意識が白く染まった。
そして、気付けば跡部邸の一階、その最奥にある医務室にいた。
──嵌められたのだと気付くのに、時間はかからなかった。
懸念を投げる主治医を振り切り、跡部の足は三階の自室へ走った。
しかし、医務室と跡部の自室は一階の最奥と三階の最南端。
邸内でも最も離れた対角線上に位置する。
逸る足を叱咤し、通い慣れた自室への廊下を走った。
「リョーマッ!」
そして、到着した扉。
走り込むいきおいのままに扉を開け放てば、嫌な臭いが鼻腔に刺さった。
「りょー……ま……」
扉の中の光景に、絶句する。
据えた青臭い臭い。
全裸でベッドに横たわり泣きじゃくる恋人。
そして──上半身を晒しベッドに腰掛けた悪友。
唖然と自失する跡部を認め、ゆぅるりと忍足が立ち上がった。
「すまんな跡部。姫さん、借りたで」
ニコリと。
甘やかなまでに朗らかな微笑み。
「めっちゃヨかったわ。また、貸してな?」
「──ッ!!」
忍足の手が跡部の肩を叩き、脇をすり抜けた刹那。
跡部の瞳が苛烈さを宿し、振り向き様に忍足の腕を掴み上げその横面を殴り飛ばした。
勢い余って壁に背を打ち付けた忍足を追い、今度は反面をも殴り付ける。
忍足の口端から、一筋の血が溢れ出た。
構わずもう一発見舞うべく拳を振り上げれば、寸前に伸ばされた忍足自身の手によって阻まれた。
「……ったいなぁ。何すんねん」
「っざけんなテメェ!リョーマに何しやがったッ!!」
防御のためにと掴んだ跡部の腕の下、不満げな忍足の言葉。
捕われた腕を取り返そうと力を篭めながら、跡部の口がギリリと噛み締められる。
怒りを迸らせた薄氷の瞳。
射殺すばかりの瞳を間近に受けながら、忍足の唇がクスリと小さな笑み。
「何て……跡部のベッドで強姦プレイ?」
「テメェ……!」
唸りを上げた跡部が無事な左手を振り上げれば、僅かな差で忍足の手が跡部の首を捉えた。
「景吾!」
悲鳴じみたリョーマの叫びを聞いた刹那、ダンッと鈍い衝撃を受けた背。
痛みと衝撃に跡部の秀麗な顔が苦悶を描き、呼吸器が役目を放棄した。
「なぁ……跡部」
間近に覗き込む忍足の顔。
捕われた腕は壁に張り付けられ、悔恨に歪んだ顔は忍足の手によって向き合わされる。
首を握ったまま無造作に上げさせられた顎が、唇を噛むとともに微かに揺れた。
「俺な……恋愛なんかどうでもえぇねん。セックスなんかガキ作るためのただの生殖行為やん。そんなんに夢中になる自分らの気ィが知れへんわ」
薄らと細められた瞳。
昏いブルーが跡部を見下ろし、唇を釣り上げる。
笑っている。
なのに。
「愛だの恋だの喧しない?セックスが気持ちえぇのやって、ガキ作らなアカンて本能が知っとるからヤりたなるように気持ちよぅなるよう神経繋げたんやろ?要はガキ出来んねやったら愛だの恋だの関係あらへんねん」
忍足の語る言葉に、起伏が存在しない。
ただ平淡に、打ち込まれた言葉を読み上げるかの如く。
「せやなかったら姫さんが俺に感じるわけあらへんもんなぁ?姫さん、嫌や嫌や言いながら何べんイったと思う?」
「テメェ……!」
リョーマの泣き声が、跡部の鼓膜を震わせる。
噛み締めた唇の中で唸っても、捕われた体は微動だにしない。
薄ら笑うその横面を原形すら留めぬ程に殴り飛ばしたくて仕方がないと言うのに。
「せや……。愛だの恋だの喧しいわ。ただの選別基準に夢中になるやなんてアホらしゅうて適わん……」
不意に。
忍足の声が曇った。
同時にその顔が前髪の衝立の奥に隠れる。
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