手塚とリョーマが跡部達と合流したのは、四時を半分ほど過ぎた頃だった。
泣き腫らした瞳が痛々しいリョーマを引き連れ、手塚が空いた円座に腰を落とす。
物言いたげな視線が幾つも突き刺さったが、手塚に答える心算はなく。
崩した足の上で煙草に火を点しただけ。
くゆる紫煙の中、集う者達を見渡す。
約一名蒼白な者を除けば静かなものだ。
そして、見慣れた顔触れが足りない事に気付く。


「……忍足と柳生はどうした」

「アイツらなら二階じゃ。腐る前にやっておきたいらしい」


親指で頭上を示した仁王が、肩を竦めた。
やっておきたい、とは検死の事だろう。
確かにあの不可解な死に様では死因の解明にも解剖が必要だ。
専門の道具はないが、忍足がいるのだ。
道具などなくとも解剖ぐらいは朝飯前だろう。
何しろアレは解剖好きが高じて法医学を目指す好き者だ。
メスさえあれば幾らでも捌ける。
上る紫煙を睨めれば、頭上でグシャリと輪が崩れる。
泣き疲れて憔悴したリョーマが肩に寄り掛かってきたが、頓着はしない。
震える腕が未だ残る恐怖を物語り、手塚に縋る。
凄惨、といえるあの現状は、リョーマにとってあまりに刺激が強すぎた。
それが解っているからこそ、手塚は何も言わず何もしないのだから。
しかし、目下現在の最も重要な問題は──これが無差別に行われた殺人であるか否かという事。
そして被害者は更に増えるのか否か。
人死にが出た事など、手塚には──キングダムの面々には大した問題ではない。
知るべきは犯人ではなく、自らに火の粉がかかるか否かのみ。
忍足が検死に赴いたのも事件解決のためではなく、犯人の手口の一端を知る事で火の粉が降り懸かった際の防衛を謀るためだ。
どんなに優れた才を持つ者であろうと、彼等は決して正義にはなり得ない。
彼等がその能力を遺憾無く発揮するのは、姫たるリョーマに危険が及んだ時のみ。
それが、彼等がキングダムたる所以なのだから。













夜明けまで後僅かと迫った五時過ぎ。
本来ならば空が白んでもおかしくはないのだが、天候のためか未だ暗澹とした夜が続く。
朝食の準備にと席を立った嘉代子と、彼女を手伝うべく背に続いた直哉。
二人の消えた円座が冷たく鎮座する広間は、変わらぬ沈黙が満ちたまま。
忍足と柳生もまだ戻らず、風が叩く窓の音だけが音源だった。
この一時間の間、会話といえる会話もないまま風の唸りと慢性的な雨音だけを聞いている。


「……なぁ」


ふ、と。
ある意味酷く静謐な空気を、静かな声がやんわりと退ける。
耳障りないその声は、静寂を纏った空気とよく似合った。
振り向いた幾つもの視線の中、女性と見紛う美貌が顰められる。


「あの男……どこに行ったんだい?」


幸村の視線が、奥に敷かれた空の円座を見遣る。
そこには三つの円座が寂しげに放置されており、既に温度はなく冷たい。
そのうちの二つは朝食のために立った嘉代子と、直哉のもの。
そしてもう一つは。


「ん?原田とかいう奴がおらんぜよ」

「アイツいつ立ちやがった?」

「さぁなぁ?存在薄ぅて気付かんかったわ」


幸村の指摘に首を傾げる面々。
空の円座の一つ、原田の席は主を失って久しい様相を見せる。
けれど、何故だろう。
誰ひとりとして席を立った原田の姿を見ていない。
これだけの人──それも気配には人一倍敏感なキングダムの面々が揃っているにも関わらず、だ。
それは“異様”と呼ぶに、十分過ぎた。
そして、もう一つ。


「…………柳生と忍足は……なぜ戻って来ないんだい?」

「え……」


静かな指摘が、空気を締め上げる。
現在時刻は、五時を半分過ぎようという頃。
忍足たちが検死にと席を立ったのが四時過ぎ。
司法解剖であれば一時間以上かかったとて不思議はない。
けれど、彼等は専門的解剖をしに行ったのではない。
むしろしたくても出来ない。
道具などメスや縫合用の針と糸程度しかないはず。
そうであれば出来る検死など限られている。
それこそ死亡推定時刻の測定と死因の特定が出来るか否か。
胃の内容物の確認くらいなら出来るだろうが、毒物反応や血液検査など出来るはずがない。
となれば、長くても三十分程度で終わるはずだ。
向かったのが人を捌き慣れた忍足であるから、尚更だ。
しかし、二人の姿は未だ円座に収まらないまま。
雨の音が、耳に痛い。


「……あの二人を襲う命知らずは……いないと思うけど」

「プリッ」

「気になるな」


不二の思案げな呟きに追随する仁王と柳。
解剖マニアと心理学の天才児の組み合わせだ。
そうそう妙な事は起こらないとは思う。
しかし──。


「……胸騒ぎがする」


眉を顰めた幸村が、冷えた円座を睨む。
半信半疑と首を傾けていた面々が、数人その腰を上げた。


「少し見てくる」

「幸村の悪い予感って、予言なみの的中率だからね」

「すまない。気を付けて」


雨の音。
すでに耳に馴染みすぎて意識を向けねば聞き逃してしまいかねない。
遠ざかる足が、二組。
開いた襖の向こうに消える友人の背を、幸村の瞳が追う。
何もなければいいと、その美貌を険しめて。






雨音を子守唄に、リョーマの瞼がトロリと落ちたのはその頃。












──テン

 ──テン

  ──テテン


近くに、遠くに。
ボールが跳ねる音。
ゆっくりと瞼を持ち上げて、瞬く。
誰もいない。
河萩邸の大広間。
その円座に座したままうたた寝でもしてしまったのだろうか。
手塚に連れられて訪れた大広間はその時のまま目の前に広がっている。
円座が幾つも並び、雨音が静かな騒音を響かせる。
──ただ、誰もいない。


「……手塚……さん……?」


円座はあるのに、誰もいない。
ガラリとした広間は、酷く広く寒々しい。
そして、奇妙な違和感。
まるで人だけが取り除かれたような、そんな感覚。


「皆さん……何処ですか……?」


あの女性の件で何かあったのだろうか。
キョロリと今一度見渡すけれど、人影はなく。
胸にジワリと湧き出た孤独感。


「手塚……さん……」


締め付けるような息苦しさを覚えて、リョーマの指先が浴衣の合わせを握る。
捜しにいかなければ。
会わなければ。
手塚の姿を求め、身を翻して立ち上がる。
焦燥にも似た孤独感と寂寥感に突き動かされ、開け放たれた襖を潜った。


──テン  ──テン

 ──リン  ──リン


「…………」


襖を越えた足が、板間に縫い着く。
何処からともなく聞こえる、ボールの音、鈴の音。
焦燥感と孤独感に胸を押さえながら、リョーマの足は襖を一歩進んだその場所から動かぬまま。


──テンテン ──テテン

 ──リンリン  ──リィン


ボールが鳴れば鈴が鳴る。
拙いリズムを響かせるそれは、まるで下手くそな二重奏。


──テテン ──テンテンテン

 ──リンリリン ──リンリン


絡まず離れず、二つの二重奏は続く。
そして、気付く。


「……唄……?」


ボールに鈴に呑まれそうな、微かな声。
酷くくぐもった、子供の声。


『おもね おもね
ひとよにふたやのおもねくは
かのき と このき のむすびばし
あかおび ひいたら おもねくぞ
あかおび やいたら おもならぬ』


それは酷く遠く。
酷く近く。


『おもね おもね
かわべにかかぁのかくれそで
このき に はべるは あかおびぞ
おもねく まがもの うちやらで
おもねく さきもの うっちゃられ』


壁に天井に床に反響するそれは、まるで幾人もの子供の合唱。
どこから聞こえているのか。
くぐもった声は、とても幼い。
何処かで聞いたような、その唄。


『おもね おもね
たたぁのおんもにこのきばな
あかおび ないたら まがいどき
おもねく まがとき おもねるぞ
おもねく さきもの みなおもね』


「手鞠唄……」


テンテン。
リズムよく跳ねる音。
リンリン。
唄とともに踊る音。
けれど、それら総てが唄とともにパタリと消えた。
唄が、終わったのだろうか。
ボールの音も鈴の音も手鞠唄も。
総てが消えた。
残された雨音が我が物顔で鼓膜を占拠する。
途端、その騒がしい静寂に言い知れない恐怖を感じた。
それが何に対しての恐怖だったのかは解らない。
解らないからこそ、全身に恐怖が駆け巡った。
押し潰され、飲み込まれる恐怖感。
ドクドクと無様な疾走を始めた心臓が、皮膚を押し上げんばかりに肥大する。
早く……早く捜さなければ。
会わなければ。


「い……や……」


小刻みな震えとともに、己を掻き抱く。
怖い怖い怖い。
早く早く早く……──


「早く……会わなきゃ……」

 

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