発見時にリョーマがしゃがみこんでいたのもその辺りだ。
けれど、これはリョーマには知らせるべきではないだろう。
死体の血溜まりに倒れ込んだなど。
ただでさえ恐慌状態のリョーマだ。
これ以上精神的な負荷をかけるは酷というもの。


「死因は……解らない?」

「今ンとこ、確定はでけへんな。顔があらへんねやし」


不二の問いへは、軽く上下した肩で返答。
絞殺、毒殺、ショック死。
それらの死因を解剖を用いず特定するには、顔が必要不可欠。
唇の変色や眼球の状態、表情、粘膜の水分量等。
殊、風雨に晒された死体ならば微かな変異も判別しにくくなる。
皮膚の変色や関節の異常などであればまだしも、異物などは洗い流されてしまう。
解剖しなければ、判別は困難といえた。


「しかしのぅ……なぜリョーマはこんな夜更けに、しかも傘も差さず裸足で庭に出たぜよ」

「雷に対しても苦手意識を抱いていらっしゃいましたしね……」

「こればかりは、本人に聞くしかないな」


仁王、柳生、柳の疑念は、手塚に縋る少女へ向けて。
刺さる滴が我が物顔に蹂躙する中。
幸村が空を仰ぎ、その端正な容貌を歪めた。


「……嫌な感じだ」


爛漫の曼珠沙華が、滴を弾いて微笑んだ。













屋敷内に戻った頃には、時計が示した時刻は既に四時近い。
泣き腫らし、憔悴したリョーマは自らの力で歩く事もままならず億劫げな手塚の手によって屋内へと運ばれた。
同時に、死体も屋内へと運ばれた。
部屋は白石が呼んだ直哉に用意された、二階の隅に位置した一室。
死体を運んだ理由は屋外では雨や泥、加えて悪天候による暗さで検死がしにくいとの忍足の意見だ。
そうして、死体の搬入が終わって一息。
広間に集められた生徒会面々と河萩家と成金男。
事件があったとなれば全員を集めるは常識だ。
けれどその場に手塚とリョーマの姿は、ない。


「紗耶香が……なぜ紗耶香が……!」


脂の乗った顔を蒼白に染めた成金男──名を原田 泰樹と言うらしい──が忙しなく室内を歩き回る。
落ち着きを欠いたその動きは目障りこの上なく、不愉快を絵に描いた生徒会メンバーの睨みを受けるが原田の足は変わらず畳を踏み続ける。


「誰だ!紗耶香を殺したのは誰なんだ!えぇ!?出て来い!」


蒼白な額に浮かぶ冷や汗を飛び散らし、叫ぶ。
それが解れば苦労はしねぇよ。
胸中の苦言を込めた舌打ちが跡部の口から零れた。


「それにあのガキはどうした!なんで此処にいない!あのガキが……あのガキが紗耶香を殺したんじゃないのか!えぇ!?連れて来い!いい今すぐあのガキを連れて来い!殺してやる!」


原田の混乱が臨界点を超えたのか。
その矛先は第一発見者であるリョーマへと向かった。
ピクリと、跡部たちの眉が跳ね上がった。


「そうだ……そうに決まってる……あのガキは紗耶香に怒鳴られて逆恨みをしたんだ……。紗耶香を殺したのはあのリョーマとかいうガキだ!今すぐ連れて来い!俺が殺してやる!おお俺が──ぃグっ!」


リョーマが犯人だと喚き散らす原田が、皆まで紡ぐ事なく奇声を発する。
原因は、首を圧迫されたため。


「自分……あんま調子乗んなや?」


包帯に覆われた手が、原田の首を締め上げる。
独特の訛りを持つ言語が、怒りを如実に含んでは原田を睨む。
白石の暴挙を静観する生徒会メンバーに止める気概はなく、冴え冴えとした視線を送るだけ。
首を捕われた原田の体が、僅かに浮き上がった。
目算でも百七十はあろうという原田の体を、十センチも違わない白石が片手で持ち上げる。
それは白石の怒りの顕れ。


「リョーマがそないな阿呆な事するか。自分みたいなクズと一緒にすなや。反吐が出るわ」

「全くです。不愉快にもほどがありますね」

「お前なんぞがアイツを貶めるなんぞ……身の程を弁えんしゃい」

「それ以上僕たちを不愉快にさせる発言は止めときな。命が惜しいなら、ね?」


白石に次ぎ、次々と浴びせられる声。
その言葉は一見穏やかであれど、内包された感情は底冷えするばかりの憤怒。
ヒッと息を呑んだ原田がジタバタと足を振り回し始めれば、鼻先に嘲笑を吐いた白石の腕がその醜い体を壁へと放り投げた。
鈍い音とともに背をしたたかに打ち付けた原田が噎せ込むが、既に興味はないと白石は一瞥すらも向けぬまま。
入れ代わりに原田に近付いたのは、うっすらと微笑を湛えた忍足。


「ヘーキか?おっちゃん?」


気遣うように膝を折った忍足に、噎せる気道を喘がせる原田が縋るような目を向けた。
白石の暴挙にすっかり冷静さを欠いた原田には、忍足が生徒会面々の中で最もマトモに見えたのだろう。
けれど浮かんだ微笑は原田を気遣うものには、なり得なかった。


「これに懲りたら、二度と姫さん悪ぅ言わんといて?せやないと……俺が自分、捌いたるで?」


近付いた端正な微笑。
額を合わせるばかりに間近なその容貌が、深い笑みを湛えた。
途端、左頬に感じるヒヤリとした金属の感触。
微笑む忍足の右手には──手術用メス。
もはや息を呑む事すら出来ず、原田の脳が恐怖のみを生成。
恐怖に竦み上がり、全身を小刻みに震わせる。
言葉など、出るはずもない。
しかし、それを忍足は許さない。


「解った?お返事は?ん?」


メスがゆるりと滑り、頬から喉へ。
顎の下に、ピタリと添えられたソレの感触。
歯の根が合わぬ原田が出来た事は、カクカクと微かに首を揺らす事だけ。
けれどそれも喉に添えられたメスによって満足には出来なかったけれど。


「誰が頷け言うたん?俺は『お返事は?』言うたんやで?」


解る?
ニッコリと朗らかなまでの微笑みとともに、微かな痛みが喉に走る。
ピッと僅かに押し付けられたメスが、皮膚を裂いた。


「わ……解った……解ったから……」

「そか?ほんならよかったわ。二度と言わんといてな?」


震える声が同意を示したのは、その直後。
微笑みはそのままに、パッと忍足が身を起こした。
袖の中へ、メスを滑り込ませながら。
満足げにメンバーの元へ踵を返した忍足の背に、化け物を見るような視線が突き刺さった。


「……狂ってやがる……」


畏怖を抱く呟きが、原田の唇をこぼれ落ちた。
向けられた背が、ピタリと止まった。
そして、振り向いた忍足の瞳は──酷く甘やかな極上の微笑みを宿して。


「当たり前やん。俺ら、姫さんに命捧げてんねん。筋金入りの、姫さん狂いな変人の集まりやねんで?」


それは酷く甘美にして麗しいまでの──。
原田の呼吸が、再びその役目を放棄した。













広間から離れた個室。
宛がわれた部屋の中で、リョーマは未だ整わぬ呼吸を喘がせる。
それを腕に抱く手塚は、感情の浮かばぬ瞳を窓に投げるだけ。


「……鬱陶しい女だ」


ポツリと呟かれた言葉が、震える少女の肩を揺さぶった。
大粒の涙を溢れさせる琥珀が長い睫毛をしとどに濡らす。
恐怖か怯えか、痛々しいまでに蒼白となった滑らかな頬が幾筋もの涙に濡れた。


「……答えろ。なぜ外に出た」


泣きじゃくる少女は常ならば庇護欲を誘おう。
けれど問いを口にする手塚に、慈悲はなく。
糾弾の意図もあらわな響きは少女の華奢な肩を揺らす。


「答えろ」


涙によって焼け付いた喉。
しゃくり上げるばかりの少女に、無慈悲な手が伸びた。


「やッ……」


背へと流れる射干玉の黒髪。
雨に濡れたせいでシットリとしたソレが、唐突にして強引な腕に囚われた。
髪を鷲掴まれ、顎が反る。
見上げた先には、不愉快を絵に描いた男の眼光。
ビクリと、華奢な肩が大きく跳ねた。


「何度も言わせるな。答えろと言ったはずだ」

「あ……ぁ……」


怒声などでは決してなく。
ただ静かで平淡な審問。
けれどそれは静かなる恫喝。
その威圧感に逆らうことなど、リョーマには不可能。
恐怖に支配された四肢が、新たなる恐怖から逃れるべく手塚の服に縋った。
けれど、リョーマからの応えはなく。
ただ怯えた瞳を、返しただけ。


「言え」


髪を握る手が強まり、視線が間近に。
溢れ出す涙は止まらず、可憐なまでに切なげな瞳を伏せるリョーマが堪えきれないとばかりに小さく首を振るった。


「わか……りません……」

「何?」


しゃくり上げる喉が絞られ漸く発せられた言葉は、けれど手塚の望むものではなく。
端正な柳眉が、ピクリと跳ねた。


「気が……付いたら……あそこに……いて……ッ……声が……っ振り……向いたらッ……!」

 

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