栗本が逮捕され、事件は終幕した。
その後の警察の操作で視聴覚室の椅子の一つにルミノール反応が検出された。
同時に椅子の足の部分には栗本の指紋も。
氷室殺害の凶器である事は、疑いようもなかった。
警察の調べにより、リョーマを身代わりに立てた理由も解った。
曰く、リョーマが自分を誘惑した。
だから自分は氷室に責められ、こんな事になったのだ。
ならば全ての元凶はリョーマなのだ。
自分は悪くない、と。
栗本の供述はキングダムへも伝わり、一様に彼等の機嫌を降下させる事となった。
そして、一夜明けた今。


「しかし、あの時は驚いたな」

「何が?」


幸村がカップをデスクに放り、苦笑を刻む。
抽象的な表現を唇に乗せる彼を拾い上げたのは、不二。
例の如く職務放棄をしてくれている手塚に代わり、事後処理を進めていた手が一度止まった。


「手塚だよ。あの男が声を荒げる所なんて、初めて見た」

「せやなぁ」


忍足の同意を得、幸村の瞳が記憶をたゆたう。
栗本にリョーマが捕われ、人質となった時。
誰よりも早く動いたのは、手塚だった。
そして、その際に彼が上げた声は怒号と呼べる荒々しいものだった。
常に表情筋を揺らさず、そして厭味に落ち着き払った風情を醸し出す手塚とは、結び付き難い程に。
純粋な驚嘆を露わにする面々の前。
書類を片手に彼等の言葉を聞く不二が、クスリと小さな笑みを零した。


「手塚だって怒鳴るぐらいするよ。どんなに化け物じみた奴でも人間なんだから」


右手に持つ書類に判を押し、片隅へ。
うっすらと開かれた瞳には、微笑ましいとばかりの穏やかさ。


「でも、手塚が感情を現せるのはリョーマちゃんにだけなんだろうけどね」


新たな書類を手に、しかし不二が追うのは書類の文字ではなく。
遠い過去の記憶。
無数のマネキンの中、無機質に佇む幼いオートマタの、その背中。
左手には凶器を象る薔薇。
ダラリと垂れた右手。
そして、揺れる事を知らない機械仕掛け(オートキリング)の瞳。
遠い遠い、過去の遺物。
今では、欠片すら残らず破壊されているけれど。


「……そういえば柳生君は?」


書類をデスクに。
顔を上げた不二が、室内に詰める面々を眺めやる。
そこに、手塚とリョーマ、柳生の姿はない。


「なんぞ話があるとかで手塚ンとこぜよ」

「話?」

「何の話かは俺も聞いとらんなり」


不二の問いに応えた仁王が、香ばしい香りを上げるカップを持ち上げる。
不思議げに首を傾げた不二が、窓を仰ぐ。
殺人事件の後とあり、休校開けの学内は騒がしい。


「……釈然としねぇな」


ポツリと呟いた跡部の言葉は、何に対してか。
答える者もなく、室内は再び静寂に落ちた。













「おかしいとは思いませんか」


リョーマの眠る寝台の傍らに腰掛けた手塚を見下ろし、柳生の声音はただ固い。
佇んだ彼からは手塚は下の目線。
必然的に見下ろす立ち位置にありながら、しかし立場は柳生が下。
伺うかのような言葉はしかし、どこか確信を孕んだ。


「あの男程度の短絡的思考回路で、あのような仕掛けが可能だと思いますか?」


今回の事件。
柳生のプロファイリングは一切の関与をしなかった。
──否、出来なかった。
犯人像が、定まらなかったために。
周到な準備によって行われた殺人。
そしてそれを完全に隠しせしめる狡猾さ。
しかしそれらを裏切ってそこかしこに残る指紋などの微かな痕跡。
まるで違う特徴を曝す犯人に、柳生の思考は混乱した。
そして結局、一切の関与が出来ぬまま事件は終幕を迎えた。


「あまりに不可解に過ぎます。これではまるで……犯人が二人いるかのようです」


狡猾な人間と、短絡的な人間。
柳生が導けたものは、その二者による共犯説。
しかし実際は栗本による単独の犯行。
自身のプロファイリングを過信する気は毛頭ない柳生だが、それとしても不可解に過ぎるのだと。
柳生の言葉を聞く手塚はしかし、煙草を咥えてジッポを点す。
さしたる興味もないとばかりのその態度に、柳生の眉が寄せられた。


「……だろうな」


手塚が返したは、その一言。
それは、柳生の考察に同意を示すもの。
だが手塚に動く気配は、皆無。


「気付いていらっしゃったのですか?でしたら何故……」


何故何も行動を起こさず、栗本を突き出して終わりとしたのか。
食いつく柳生へとくれた手塚の一瞥はしかし、怜悧にして冷たいものだった。


「貴様は何を勘違いしている。俺は正義の味方でも警察でもない。俺に害のある者でなければ動くに値しない」


栗本を吊し上げたのは、自分の女に対しての狼藉があったからこそ。
例え他に危険分子があったとて、それが自分達に対して害を及ぼさない物ならば放置する。
それによって他人がどんな被害に合おうとも、手塚には知った事ではないのだ。


「話はそれだけか。さっさと失せろ」

「………………」


煙草を咥えたまま、手塚の体が反転。
ギシリとスプリングを揺らして乗り上げた寝台の中、リョーマの傍らにさっさと身を沈める。
既に柳生を意識の外へと放った手塚に、これ以上の進言は無駄。
それが理解出来ているからこそ、一度その頭を下げて柳生の足はドアへと赴いた。
それは、手塚の意見に全面的な同意を見せたからこそ。
自分達が動いたは、何も殺人事件があったからではない。
リョーマの身が、危険だったからだ。
恐らく──否、確実に、リョーマが事件に関与していなければ自分達は一切動く事がなかっただろう。
それはつまり、手塚の意見と同義。
ならばこれ以上の進言は無駄だ。
何より、自分にとって。
パタリと締めたドアを背に、カチャリと眼鏡を押し上げる。


「さて、経費の確認に戻らなければ」


色々と忙しくなりそうだ。
微かに独りごち、静かにドアを離れた。













「ん……」


微かな声を上げ、傍らの温もりが身じろぐ。
そうして、ゆっくりと持ち上げられた瞳はトロリとした甘さを手塚へと向けた。


「手塚……さん……」


ゆっくりと細い指先を無骨なソレに絡めれば、鋭利な瞳が見下ろした。
大きな、男の手。
堅く冷たいソレは、持ち主とよき似ている。
──不器用なところも。
キュッと握り締めれば、頭上から煙草の臭いがした。


「……ゴメンなさい」


消え入りそうな謝罪は、手塚に吐き出された紫煙に紛れて。
振り向く事すらない手塚は、ただ咥えたソレを灰皿へと押し付けた。


「……ゴメン……なさい……」


手塚の手に縋り付き、リョーマはただ謝罪だけを呟く。
零れた涙は手塚の指先を伝い、シーツの波に消えた。
リョーマは、栗本に巻き込まれた動機を知らない。
知らされていない。
だから、この謝罪はそれに対してのものではない。
リョーマが心を痛めるのは、別の事。
この手に、人を傷付けさせてしまった事。
リョーマが人質に取られた時、手塚の手は銃を取り栗本の肩を撃ち抜いた。
あの時、恐怖に駆られる事なく自分で動く事が出来ていたなら。
そうすれば手塚の手は誰も傷付けずに済んだのに。
迷惑を、掛けずに済んだのに。
止まらない涙はただ後悔のために。
縋り付く手は変わらないのに、それが無性に苦しい。
ゴメンなさいと、何度謝ったところで過去は変わらない。
それでも、この優しい人に誰かを傷付けさせてしまった事実に、謝らずにはいられない。
何も言わない手塚にただ、縋り付く事しか出来なかった。


「……欝陶しい」


漸く寄越された言葉はしかし、冷たい一言。
そして、握り締めた手は無情に振り払われ。
その手によってベッドへと縫い付けられた。
頭上に伸し掛かる男を見上げ、リョーマの目尻から一筋雫が落ちた。


「いちいち喚くな。欝陶しい」

「……でも……」


見下ろす視線は冷たく、僅かな苛立ちすら滲んで。
新たな涙が手塚の姿をけぶらせた。


「貴様は俺の物だ。ならば黙っていろ」


これ以上の言葉を拒絶せんばかりに塞がれた唇。
冷たい言葉と掌が体を撫でるのに、無遠慮な唇はおかしな程に温かくて。
何も言わせてはくれない、謝罪すら受け入れてはくれない人だけれど。
無駄な事はしない。
だから、彼が言わなくていいと──謝る必要はないと言うのなら。
彼は気にも留めていないという事。
広い背に腕を回しながら、リョーマはその瞳を静かに閉じる。
それでもきっとこの人は優しいから。
謝られたくはないと気に留めないふりで、本当は苦しんでいる。
痛がっているのだと。
何故かそう、感じたから。
だから、体を這う指先に身を捩りながら、彼の背を撫でて。

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