「なぁ栗本。幽霊が作れるんやって、知っとった?」

「幽霊……?何の事だ!」


クスクスと笑む忍足が、ソファに座す跡部を見遣る。
と、跡部の口許が笑みに上がり、パチリと指先が鳴らされた。


「これ、なーんや」


跡部の合図に促され、扉から現れたのは樺地。
その手には、袋に包まれた青いビニールシート。
楽しげな忍足の問い掛けに、栗本の顔がヒクヒクと引き攣った。


「さ……さぁ……何、かな……?」


乾いた笑いとともに目線を逸らした栗本を横目に、忍足が樺地からソレを受け取る。
泥に汚れ、独特の皺を刻むシートがカサカサと鳴いた。


「これな?植物園の奥で見付けててん。泥まみれンなっとってなぁ」


カサリと鳴るシートを袋越しに広げる。
それなりの大きさの青いビニールは、完全に開けばリョーマくらいならばスッポリと覆ってしまうだろう。
そう勿論、氷室程度の体格も。


「いい加減にしないか!それが何だと──」

「蛙の冬眠と同じや」


栗本の怒鳴り声は忍足の静かな声に遮られ。
続くべき言葉はただ喉に飲み込まれた。


「知っとる?蛙は冬眠するっちゅう時な?仮死状態なんや。そないな状態で土ン中おったら普通腐るやろ?せやけど春ンなったらちゃぁんと出てくんねん。不思議やなぁ」


広げたビニールをデスクに。
同じくデスクに寄り掛かった忍足が、カチャリと眼鏡を押し上げた。


「それはな。人間も同じや。死んですぐ埋めとったら、死んだ直後と同じ状態が暫く維持出来んねん。ま、そんまま埋めたら夏やし、腐ってまうかもしれへんから──コイツに包んで埋めたんやろ?」


人間を土の中に埋める。
筋肉や血液の循環は通常、死亡と同時にその機能を止め温度を失う。
しかし、極端に空気の薄い地中ならば微生物の影響もそれほど受けずに済む。
更には地中は熱を蓄え易く、温かい。
体温低下を防止するに申し分ない。
地中の微生物はブルーシートである程度の予防を促せばいい。
これならば一日以上放置していたとて、せいぜい死後二時間前後と推定されるだろう。
土の中は、それだけ地上とは異なる。
だからこそ蛙は腐る事なく目覚める事が出来る。
遺体の状態を長く保つ事が、可能だからこそ。


「せやから、幽霊が出来んねん。何時間も前に死んどる筈の奴が、つい三十分前まで生きとった事になんねやから」

「因みに言っといてやるぜ。ソイツには体毛やら皮膚やら大量に付着してやがった。鑑識の結果はまだ出てねぇが、面白ぇモンが出てくんだろうなぁ?」


跡部がブルーシートを顎に示し、笑う。
これは昼間、食事を終えた後に再開された捜査の中、跡部と忍足が発見した。
事件に関わりがあるか否かを確認する為、DNA鑑定にかけてある。
結果は未だ不明ではあるが、恐らく事件の関与は間違いないであろう。
何しろシートには、僅かな血痕が残されていたのだから。


「し……しかし……それじゃあ本末転倒じゃないか。死んでいる筈の彼女がどうやって屋上に上ったって言うんだい?」


忍足と跡部から視線を逃がし、栗本が再び手塚へ。
その顔は焦躁が滲み、引き攣って。
額にはジットリとした汗。
手塚がフンと小さな嘲笑を吐いた。


「貴様が運んだんだろう。羽を使ってな」


言葉とともに顎をしゃくった手塚。
その背後から現れたのは、柳。
手には何かの写真と思しき物と、ノートパソコン。


「いったい何を……ぼ、僕は屋上になんて行っていない!監視カメラを見て貰えれば解る!」

「確かに、お前は“左の”屋上には行っていない」


叫ぶ栗本に柳の静かな声が返り、同時にパソコンがカタカタと断続的な音を立てる。
ビクリと栗本の体が硬直。
と、それまで成り行きを見守っていた一人が、徐にその手を動かした。


「そうやの。“左の屋上には”、な?」


クツクツとした笑いとともに、仁王の手がデスクに備え付けられていたパソコンを叩く。
直後、ゴゥンという稼動音とともに壁が開き、大量のモニターが覗く。
壁一面のモニターに映し出されていたのは──屋上の扉を開く栗本。
肩には、大きなゴルフバックのような鞄を下げて。


「お前さんが行ったのは“右の”屋上やからのぅ」


含みある笑みは、至極楽しげに。
覗き込むような仁王の視線に、栗本が爪を噛んだ。


「そ……そうだ。天文部の道具を……借りたくて……それで……──」

「それならば何故、梯を昇った?」

「っ!!!!」


仁王へと弁解を綴る栗本に突き刺さる声。
息を飲み振り返った栗本の先には、うっすらと瞳を開いた柳。
その手にあるノートパソコンには、何かの画像が二つ。


「天文部の道具が必要だったならば、何故貯水タンクに続く梯に昇った?」

「な……何を言って……僕はそんな所には……」

「昇っていないと?それならば何故梯にお前の指紋が付いている」

「っ……!」


パソコンに映り込むのは、二枚の指紋。
一つは先日栗本が生徒会室を訪れた際に触れた扉から採取した物。
そしてもう一つは──右の屋上に設置された、貯水タンクに続く梯から採取した物だ。
その二つは一遍の淀みすらなく、見事に一致。
それは即ち、二つの指紋が同一人物である事を如実に語る。


「説明を、願おう。栗本先生」


グッと押し黙る栗本に問うその声に、容赦などない。
追い詰める、そのためだけに発される。


「でも僕は左の屋上にはいなかった!絵里香が落ちた時にソコにいたのは越前じゃないか!僕に絵里香を落とすなんてできやしない!」

「──そうだな。貴様は確かにあそこにはいなかった。だが、ソコには翼があった。地上にいながら、死体操る事の出来る翼がな」


既に絶叫と化した栗本の叫びを制したは、手塚。
切れ長の瞳を細め、射抜く。
捕食者の目。
栗本の喉が、ヒュッと短く鳴った。


「貴様は二本の糸を羽に変えた。一つは氷室に繋ぎ、貯水タンク脇のブロックの下へ。そしてもう一つはブロックに結び、屋上のノブへ括り付けてな」


屋上に行った際、貯水タンクの脇に置かれていたブロック。
二つ積み上がればそれなりの重さとなるソレは、重しとしては丁度いい。
氷室を屋上の端に──恐らくは腰までを乗り出させて糸で固定し、それをブロックの下に挟む。
そしてブロックにももう一つの糸を結び付け、ドアノブへと。
そうして、準備は完了。


「後は誰かがドアを開けさえすれば、ブロックがずらされ死体は落下する」


重しが僅かでもずらされれば、死体は自らの重さで勝手に落下する。
そのためには腰から上を全て投げ出す形で固定しなければ成り立たない。
屋上の部分より投げ出された部分のほうが重く無ければ、落下してはくれないからだ。


「ば……バカな……そんな事出来るわけが……──」

「屋上の三ヵ所に傷があった。氷室が落ちた屋上の淵、ブロックの脇、それからドアノブにな。恐らくは仕掛けた際に擦れて出来た物だろう」

「で……でたらめだ!それに傷なんて元からあっただろう!」

「──あぁそれはないよ」


悲鳴の如き叫びは、しかし不二の微笑みに掻き消された。
クスクスとしたソレは如何にも楽しげで。
栗本の血走った目が、不二を睨み据えた。


「元からその傷があったかどうかなんて、手塚にはすぐ解るよ」

「どういう意味だ!」


叫ぶ栗本に、不二は笑う。
絶対的自信の元に。
それは、何故か。
何故なら、その自信には確固たる確証があるのだから。


「だって手塚、空間記憶能力があるんだから」

「くう……かん……」


不二の返答に返ったのは、呆然とした呟き。
空間記憶能力とは、見えた物を一瞬で記憶する特殊能力。
類似した物には瞬間記憶能力と呼ばれる物があるが、その特性は俄かに異なる。
瞬間記憶能力は見ようとして“見た”物を記憶する。
しかし空間記憶能力は“見えた”物を無意識に記憶する。
例えるならば瞬間記憶能力はカメラ、空間記憶能力はビデオカメラと言った所であろうか。
ビデオカメラに、記録違いがある筈がない。


「ね?だから手塚の記憶違いって事は有り得ないの。むしろ手塚の記憶ほど正確な物なんかないんだから」


クスクスとした不二の笑い。
畏怖すら抱かんばかりの視線を手塚へ向けた栗本が、初めてその瞳に怯えを滲ませた。
しかし、手塚には歯牙にかける気配なく。
栗本の行いを明かすべく、再びその口を開いた。


「だが、ここで貴様は重大な問題に気付いた。糸の回収だ」


落ちる直前まで死体を支えていた糸。
となれば、それなりの強度を持った物でなければならない。
そうなると落ちる際の風圧に流されて飛んで行く、とは考え難い。
それならば回収、という作業が必要になるだろう。
誰にも気付かれず、誰にも不審を抱かれないように。

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