カチカチと秒針だけがその音を響かせる。
室内に満ちるは時の主張と、跡部がデスクに叩く指先だけ。
室内には生徒会メンバー全てが揃っているにも関わらず、音と言える音はその二種類のみだ。
そうして、どれだけ過ぎたのか。
最奥の巨大なデスクに腕と脚を組んだまま瞳を閉じて鎮座する手塚。
その隣に佇むリョーマが、何度目かの気遣わしげな視線を向けた。
直後、不二の瞳がゆっくりと開かれた。


「──来たね」


そして、カチャリと開かれる扉。
豪奢な生徒会室を隔てる扉が、その重たげな口をゆるゆると開いた。


「あれ?みんな残っていたのかい?」


扉から覗いたのは、柔和──というよりも気の抜けた微笑みを称えた、栗本だった。
得も言えぬ空気の立ち込めるこの場には、あまりにそぐわないその表情。
緊張に四肢を強張らせていたリョーマが、栗本の来訪にキョトンと目を見開いた。


「てっきり手塚君だけかと思ってたよ」


ポリポリと後頭部を掻きながら室内に脚を踏み入れた栗本が、中央へ──手塚とデスクを介し向き合った。


「それで?話って何だい?」


フワフワとした雰囲気そのままに、無邪気なまでに首を傾げて。
問い掛けられたのは、依然瞳を閉じたままの手塚。
無言を貫く手塚に、栗本は苦笑を禁じ得ない。


「手塚くーん?悪戯なんだったら戻ってもいいかな?まだ仕事があって……」

「──隠滅作業なら無駄だ。既に調べは済んでいる」


困ったような栗本を遮り、ゆっくりと鳶色の瞳が現れる。
そして、それが射抜くは、眼前の男。
栗本篤、その人。


「……隠滅?何のだい?」


パチリと細い目を瞬いた栗本が、困惑に語尾を上げる。
身に覚えがないとばかりに首を傾げ、手塚を見詰める。
しかし、手塚の瞳は揺れる様すらなく。
組んだ脚を緩やかに解いた。


「決まっているだろう。氷室絵里香を殺した、その証拠の隠滅だ」


ピシリと、空気が張り詰める。
栗本の瞳がスゥと細められた。


「……手塚君。探偵ごっこは結構だけど、悪ふざけにも程があるんじゃないかな」

「悪ふざけか。貴様には負けるな。貴様の仕出かした事こそがよっぽどふざけている」


低められた栗本の声音にすら怖じる事なく、カタリと手塚が立ち上がる。
その口元にこそ笑みを上らせているものの、瞳にそれに見合う柔らかさは皆無。
栗本を射抜くソレに微塵の慈悲すら存在しない。


「いい加減にしなさい。いくら僕でも怒るよ」


常々生徒から威厳に欠けると声高にされる栗本だが、この時の彼をしてそう言える者が果たしているだろうか。
柔和な笑みはナリを潜め、生徒を窘めんとする様は確かに彼が教師であるとの認識を新たにさせる。
しかし、その程度に怖じ気づくような可愛らしい神経は、手塚にも──当然、他の生徒会メンバーにも存在しない。


「何時までそうしていられるか、見物だよ。栗本」

「幸村君。君まで手塚君の悪ふざけに付き合うつもりなのかい?」

「巫山戯てんのはテメェだっつってんだろ。アーン?」

「跡部君。君達も彼の悪ふざけに付き合うのもいい加減にしなさい」


幸村、跡部の嘲弄も露わな言葉には、栗本も表情を歪めざるを得ない。
ギッと手塚を睨み据えるその目は、彼を知る生徒には想像だに出来ない程に冷たいソレだった。


「君達は氷室君の事件を僕のせいにしたいようだけど。僕は君達に何かしたかな?貶られる理由が見当たらないんだが」

「あるでしょ?理由なら」


クスクスと笑みを零した不二が、ニコリと栗本へと首を傾けた。
そして、手塚の傍らへとその視線を流して。


「貴方は姫の身を貶ようとされました」

「十分過ぎる理由なり」


不二の視線の先には、仁王と柳生によって守られたリョーマ。
困惑に眉を下げるリョーマが、栗本の瞳とかち合う。
常は穏やかな瞳が、憤怒の焔(ほむら)に揺れて琥珀を射抜く。
その苛烈さは、リョーマの細い肩を震わせるに十分だった。


「僕が?越前さんを?いつ?勝手な言い掛かりは止めてもらえないかな」


射殺さんばかりの視線は手塚へ。
デスクに寄り掛かる手塚はソレを平然と受け止め、口端に微かな笑みすら浮かべる。
ソコにあるのは、絶対的な威厳。
そして自信。
栗本など及びも付かぬまでの、強大な威圧感だった。


「貴様は、氷室を殺した。そしてソレを、あのバカ女になすりつけた」


静かな語り口に淀みなく。
栗本の目尻が、ピクリと震えた。


「貴様にとって予定外だったのは、俺達が警察にまで影響力を持っていたこと。順調な捜査が続けば、あのバカ女に捜査が及ぶ事は間違いないからな」


しかし、計画は大幅な狂いを見せた。
跡部の一言により、捜査の大部分が遅延、延期となった。
そして更には、生徒会の人間たち自体が捜査に乗り出した。
予定は、完全に破綻となった。


「だが、貴様はそれでも構わないと高を括った。捜査をしていたのが、高々生徒であるとの理由からな。むしろ警察よりも欺き易い。好都合だとほくそ笑んだだろうな」


手塚の言葉はただ室内に垂れ流され、栗本からの反応はなく。
ただ手塚を正面に睨み据えるだけ。


「だが、貴様の最大のミスはそこだ。俺に、解らん事などない」


解かれたパズルは、既に手塚の頭にある。
彼等は、警察などよりも余程厄介にして強力な障害物だ。
それに気付けなかった時点で、栗本に待つのは破滅のみ。


「ふ……ふふふ……。面白い事を言うね。僕が氷室君を殺した……ねぇ?じゃあ聞こうか。あの時、屋上にいたのは越前さんただ一人。その彼女に見られる事なく、どうやって僕は氷室君を落としたって言うんだい?」


憤怒が一転、嘲笑も露わに手塚を挑発。
完全に常の面影は、ない。
確かに、栗本の言う通りリョーマに目撃される事なく氷室を落とすなど不可能だ。
──普通なら。


「簡単な事だ。貴様はあの場にいなかった。氷室が勝手に落ちた。それだけの事だ」

「あはははは!それじゃあ氷室君は自殺だって?君はそう言うのかい?それなら確かに彼女は犯人ではないけれど、僕も犯人ではなくなるねぇ」


声高に笑う栗本が、話は終いだとばかりに踵を返す。
付き合ってられないと向けられた背中には、しかし手塚からの嘲笑。


「……そうだな。落ちる直前に氷室が生きていたなら、それは自殺だな」


ピタリと、栗本の脚が止まる。
緩やかに振り向くその瞳には、驚愕。
手塚の瞳が、細められた。


「聞こえなかったか?氷室は落とされる前から死んでいた。そう言っている」

「な……何を言ってるんだい……?」


手塚へ向き直った栗本が、引き攣った笑みを漏らして。
しきりに有り得ないと首を振るった。


「そんな訳ないだろう!だって彼女は頭蓋骨陥没による即死で、その上死亡推定時刻だって落下時と一致するじゃないか!」


まくし立てる栗本に、クッと短い手塚の笑み。
そして、その背後では柳生の指先がカチャリとその眼鏡を押し上げた。


「……忍足」

「あーはいはい」


腕を組んだ手塚が名を呼べば、傍らに座していた忍足が重い腰を上げる。
その手には、幾つかの資料。


「まず、死因は頭蓋骨陥没。これは間違いあらへんで?司法解剖でも確認したわ。他に目立った外傷もあらへん」

「ほ……ほら!やっぱり氷室君は転落死したんじゃないか!落ちる前に死んでいたと言うなら、彼女はどうやって殺されたっていうんだ!」


忍足の発言に嬉々と反論する栗本が、手塚を睨む。
死因に、間違いはない。
司法解剖で確認されたのだから。
しかし。


「ちょぉ待ち。死因は『頭蓋骨陥没』や言うたけど、『転落死』やなんて言うてへんで?」

「な……に……?」


栗本を遮り、忍足の手が資料をデスクへと広げる。
司法解剖による資料には、所狭しと医学用語が並び。
その一角、頭蓋骨を現す写真に、長い指先が伸びた。


「コイツな?妙な落ち方しててん。脳天がいっちゃん凹んでんねや?ホンマやったら脳天より前が陥没するんや。そこがいっちゃん重いからなぁ」


トントンと指先にX線写真を示す。
その口元には、笑み。


「っちゅう事は、や。直接の死因は脳天の陥没部位。頭蓋骨陥没っちゅうんは何も落ちるだけやないねん。ごっつい力でぶん殴っとっても、頭蓋骨陥没になんねんで?」


木を隠すなら森の中。
撲殺の痕跡を隠すなら、頭から転落させて撲殺の跡を塗り潰してしまえばいい。
死因は変わらない。
これ以上ない隠し場所と言えるだろう。


「何を……莫迦な……!か……仮に氷室君の死因が撲殺だったとして死亡推定時刻はどう説明するんだ!」


確かに死亡推定時刻は転落時と一致する。
前後したとして三十分がせいぜいだ。
となれば、事前に氷室が死んでいたとの説は飛躍以外の何物でもない。

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