しかし、各室内は静まり返り、何の変化はなく。
そして何の発見もなく。
二人の口からはほぼ同時に落胆が零された。
結局、消えた氷室の動向は、今だに謎のままだ。













薄暗い室内に詰めた不二と仁王の背で、パタリと微かな音が鳴った。
モニターに集中していた二人だが、音に敏感な不二がその顔を上げ背後を振り仰いだ。


「あぁ手塚」


ドアへと目を向けた不二に釣られ、仁王もまたその目をモニターから外した。


「なんぜよ。何か解ったのか?」


仁王の問い掛けの中、手塚が歩み寄る。
応えも返さぬまま、仁王の隣──常は柳が座るその椅子へと腰を落とした。


「手塚?」


怪訝な不二の問い掛けにも反応なく、手塚の手がキーを打ち込み始める。
驚きに目を見開いた二人が、互いの目を見合わせた。


「何か調べるのか?」

「珍しいね。君が自分で調べるなんて」


カタカタと素早くキーボードを叩き、時折マウスへと手をかける。
その動きはハッキングを行う仁王のものと同じ。
応えのない手塚に対し、驚愕とともに疑念の視線を交わした二人。


「……貴様らはさっさと仕事を済ませろ。無能なら無能なりに動け」

「…………………コイツ……」

「やっぱり君、ムカつく」


画面から視線を逸らさぬまま吐き捨てられた台詞。
ピクピクとこめかみを引き攣らせた仁王と、笑顔に深みが増した不二。
二人の低い声音に頓着する事なく。
手塚の手が一本のコードを手繰り寄せた。
腹立たしげに当初の作業に戻った二人はそれに気付かず、モニターへと意識を傾けたまま。
そして、手塚の手の中でコードは白い機械端末へと接続された。
数秒、ロードを示す表示が浮かび。
途端、画面に溢れ変える文字。
何かのプログラムかのように、数字やアルファベットが犇めいていく。
それらに視線を一度だけ滑らせ、再び手塚の手がキーに伸びる。
パソコンに接続された白い端末が、一度その身を光らせた。













「…………」


医学書を開いたまま、思案に唇を引き結ぶ。
ほんの数分前、ここに訪れた手塚。
それが、頭から離れない。
離れないから、集中が出来ない。
辟易とばかりに溜息を吐いた忍足の、その後ろで。
微かに空気が流動した。


「何してやがんだテメェ」

「……あぁ。跡部」


開いた扉から身を滑り込ませた跡部が、怪訝に目を細めながら忍足の向かいに腰を落とした。
膝上に乗せていた医学書を閉じ、忍足が細い息を吐き出す。


「いやな?さっき手塚が来ててん」

「手塚が?」


雄武返しに眉を跳ね上げた跡部へ、忍足はただ頷く。
そして、吐き出された疲労を溜め込んだ息。


「そんでな。言われたわ」

「アーン?何をだよ」


勿体ぶるような忍足の所作に、促すように跡部の形のいい顎がしゃくられる。
チロリと跡部を見遣る忍足の視線は、困惑と疑念と。
いったい何なのだと、再び跡部が眉を顰めた頃。
忍足の薄い唇が躊躇いがちにゆっくりと揺れた。


「……幽霊はおるんやなぁ……やって」

「………………………はぁ!?」


思わず声を跳ね上げた跡部の心情は、恐らくは忍足も同様だったのだろう。
跡部の反応を見遣り、うんうんとしきりに頷く。
自身と同様の反応を示した跡部に仲間意識を感じたのか。
それとも自分は間違っていなかったと再確認したのか。
とにかく跡部と同種の思考を巡らせていたのだろう事は確かだ。


「あの野郎!事件が解決しやがらねぇからって幽霊にでも話聞こうってのか!?」

「せやなぁ夏休み言うたら心霊スポット巡りと百物語……ってちゃうやろ」


跡部の怒鳴り声に便乗した忍足がビシリと裏手を空気に叩く。
関西人としてボケられたツッコまずにはいられないのだろう。


「テメェの漫才に付き合ってられっか!百発ぶん殴ってやるあの野郎!」

「返り討ちにあうだけちゃうん」


握った拳をパシパシと左手に鳴らす跡部を苦笑とともに宥めた忍足だが、しかし疑念と困惑は晴れる事なく。
思案げな瞳を再び天井へと投げた。


「せやけど……幽霊やなんておらへんねんなぁ?」

「ったり前だ!」


手塚の思考が理解できない。
首を傾げた忍足を追うように、些か乱雑な跡部の同意が次ぐ。
いったい手塚は何を言いたかったのだろうか。






◆◇◆◇







カタリと置かれたカップの中。
鮮やかな琥珀がその表面を揺らした。


「手塚さんたち……大丈夫でしょうか……」


気遣わしげに揺れる瞳はローズティーよりも深みある琥珀。
植物園の端に設置された白いテーブルセットの上、愛らしい容貌が傍らに立つ男へと向けられた。


「ヘーキやろ。アイツらに任しときや」

「そうですよ。我々はここで、彼等の帰りを待っていましょう」

「心配はいらん。必ずや戦勝を挙げてくる」


白石、柳生、真田の返答は力強い。
三人の言葉に安堵したかのようにリョーマから微笑みが零れた。
一日経って、漸くリョーマにも落ち着きが戻った。
──正確には手塚とともに過ごしてから、だが。
常のような愛らしい笑顔も見せてくれるようにもなり、三人は安堵するとともに少しばかりの悔しさも感じたものだ。
やはり手塚でなければ、駄目なのだと。
解ってはいた事ではあれ、やはり心が痛まないかと言われれば、答えは否だ。
しかしそれを悟らせるような真似は、決してしない。
望むのはリョーマの幸せであるのだから。


「せや。ちょぉ回っとかん?アイツら来よったら飯やし、そん前に見とこうや。綺麗なモン咲いとったで?」


白石が立ち上がり、奥を指先に示す。
愛読書が植物図鑑と言われる白石だ。
その植物知識は目を瞠るものがある。
お陰でこの植物園は白石の独壇場。
リョーマへとこの華は何という名で、どんな特性があると事細かに説明してくれる。
白石の知識の豊富さに感心するとともにリョーマの表情も綻んでくれた。
植物には精神を落ち着かせる効果もあり、殊ここにはハーブなども多い。
不安定であったリョーマの精神を落ち着かせるには、これ以上ない場所だ。


「そうですね。皆さんが戻ってくるまでまだ時間がありますし」

「行くか」


白石に微笑みを返したリョーマを見て取り、真田がその白魚のような指先を取る。
ティーセットを片付ける柳生には片手で先に行く事を伝えれば、微笑とともに承諾が返り。
真田、白石、リョーマの三人で園内へと踏み入った。
 

「綺麗ですね」

「せやろ?雨降った後はもっと綺麗やねんで?みんな生き生きしとってなぁ」


ここ数日の猛暑のお陰で瑞瑞しさは欠くものの、花花は我こそはと花を広げては太陽に向かう。
色とりどりの花弁が時折風に揺られては首を傾げて。
一つ一つの花の名を白石が丁寧に教えては、鮮やかな色彩の中を歩いて行く。
黄や赤、白やピンクの花の隙間から覗く緑。
乾いた葉の下には生き生きとした茎。
その更に下へと視線を落とせば肥え太った土。
サワサワと揺れる花や葉が落とす影の中を進んでいけば、凄惨な事件など夢であったのではないかとさえ思えてくる。
立ち止まり、グルリと見渡した視界。
日の恵みを求めて顔を傾ける花も。
新たな生命の寝床となれと耕された土も。
来たる季節を待つために淑やかに沈黙する葉も。
全てが幻想的なまでの穏やかさを持って、リョーマたちを歓迎する。
土を踏み締める度に聞こえる砂の噛み合う音。
風が横切る度に抗議の声を上げる花たち。
ここまで入り込む生徒も少ないのか、土たちも至る場所が柔らかく盛り上がっており。
そのお陰か、周囲の花たちもまたその鮮やかさを増している。
しゃがみこみその花弁に触れてみれば、もっととせがむように揺れた。


「何だか……忘れちゃいそう……ですね」


あの凄惨な事件を。
現実を。
穏やかに微笑むリョーマの瞳に、僅かの悲しみが滲む。
どんなに美しい景色に心安らげようと、氷室の死は変わらない。
それが解っているからこそ、やはり悲しみは消えきらない。


「リョーマ……」

「そろそろ戻りましょう。手塚さんたちが戻っていらっしゃいますから」


懸念を口にした白石を打ち消すように、リョーマの微笑みが二人を振り仰ぐ。
沈痛に沈黙したままの真田にもニコリと微笑み、来た道へとゆっくりと歩み入って行く。
瞳を合わせる二人を背に、リョーマが一度空を仰いだ。
辛い記憶であれど、忘れてはいけない。
落ち込むのは、もう止めたのだ。
手塚に、心配をかけたくない。
皆に、心配をかけたくない。
だから、笑っていると決めた。
これ以上、皆の脚を引っ張らないように。
皆が安心出来るように。
──手塚が、安心出来るように。

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