手塚たちが学園を後にしたのは、夜十時を少し回った頃。
跡部家の車を呼び、跡部邸に到着したのは十時半を優に過ぎた時間だった。


「結局、収穫らしい収穫はなかったな」

「そうだな」


落胆と苛立ちの入り交じる幸村の呟きを、柳が同意。
結局あの後、柳は監視カメラの確認を続けたが、依然として氷室の動向は三階トイレに消えて以降掴めないままだ。


「氷室はいったいどうやって屋上に上ったんだろうな」

「……あれでは忽然と現れた、としか言いようがないな」

「全く。けしからんな」


難色を示す二人に同意を示したのは、跡部邸で合流した真田。
彼の傍らには白石、柳生とが並ぶ。
三人は合流してコチラ、事件の顛末、捜査状況を二人から聞いた。
リョーマの側には、今は手塚が付き添っている状態だ。
仁王と不二の姿が見えないが、二人は跡部邸に着くや否や地下へと降りて行った。
跡部は警察に対する連絡、忍足も地下の書庫で死因に関する情報を洗い直している。


「姫の状態はどうだ?」

「……かなりショックが大きいようですね。無理もありません」


紅茶を一口啜り、柳生の声音が気遣わしげに揺れる。
事件発生からコチラ、リョーマの様子は目を覆いたくなるものだった。


「人が亡くなり、そのうえ亡くなった者とは少なからず関わりを持っていたのです。取り乱すなというほうが酷でしょう」

「せやけどアレはキッツいで」


ソファに背を沈めた白石が、その瞳を沈痛に細める。
涙に濡れ、言葉すらまともに紡げない程であったリョーマ。
ここ数時間で少しは落ち着いたものだが、それでも涙の跡は色濃い。


「大丈夫……なのか?」

「手塚君がいますからね」

「癪やけどな。しゃあないわ」

「最も良い薬であろうと、柳生も判じた」


懸念を宿す幸村が奥を振り仰ぐ。
広大な跡部邸では、五人が集う場所からはリョーマのいる部屋は見えない。
けれど、幸村と柳の懸念を柳生は問題はないと口端に笑みを乗せて。
しかしその瞳が微かな悲しみに細められた事は、眼鏡に隠れ誰にも見える事はなかった。













室内にはただ、静寂だけ。
立ち込める空気は重く、喉に絡み付くよう。
天蓋付きのベッドに上体を起こしたまま俯くリョーマと。
その傍らで脚を組み、外界を睨む手塚。
互いに発する言葉はなく。
沈黙が満ちてどれだけの時間が過ぎたのか。
漸く音が齎されたのは、ベッドの上から。


「氷室さん……俺の事……本当に……嫌い……だったんですね」


その声は僅かに震え。
悲痛な響きを伴っては室内に撹拌する。
気付けばリョーマの細い指先はシーツを握り締め、震えていた。


「俺が……俺がもっと早く……着いてれば……氷室さんは……っ」


小さな肩が震え出し、微かな嗚咽が漏れ聞こえた。
氷室が転落した際、屋上にはリョーマ一人。
当然リョーマ自身が突き落とした訳もない。
となれば、出せる結論は一つだけ。
もしもあの時、もっと早く屋上に到着していれば。
そうすれば氷室を止める事が出来たかもしれない。
もっと氷室と話し合っていれば。
あんな事は起きなかったかもしれない。
そんな後悔が津波のように押し寄せて、溢れ出た余波が瞳からこぼれ落ちて行く。


「俺の……せいで……っ!」

「……自惚れるな」


吐き出される静かな慟哭。
引き裂かれるように悲痛な叫びは、しかし静かな響きに切り裂かれた。
ハッと面差しを弾き上げたリョーマの視界には、常と変わらぬ無表情な手塚。
しかしその瞳に浮かぶは、紛れない侮蔑。


「貴様は、無力だ。一人では何一つ出来はしない無能だ」


侮蔑とともに吐き出される否定論。
そのあまりに冷たい声音に、小さな肩がビクリと震えた。


「ならば、貴様が他人の命運を変えるなど出来る筈がない」

「……え……?」


一瞬、手塚の言葉の意味を掴みあぐねて。
リョーマの瞳が大きく見開かれた。


「他人の命を左右する程の価値が、貴様にあるとでも思っているのか」

「…………」


淡々と紡がれる否定論は、しかしリョーマの中に迫る波をゆっくりと鎮めていく。
一見すれば冷たく、そして非人道的なまでの台詞。
しかし、この場に幼馴染みである不二がいたならば、堪えきれない苦笑に顔を歪めていただろう。
そして、こう通訳するのだ。
『お前のせいじゃないって言いたいなら素直に言えばいいのに』と。
遠回しで、とても慰めには聞こえないけれど。
だからこそ酷く手塚らしい。
そして、不二がいなくともリョーマにはその意味が染み込んできて。
泣き濡れた容貌を、フワリと綻ばせた。


「……ありがとう……ございます」


涙は、既に止まっていた。






◆◇◆◇







一夜明け。
警察の捜査のために学園は引き続き休校となった。
閑散とした学園内に、堂々と脚を踏み入れたキングダムたちは昨日に引き続き捜査を続行。
拠点は勿論、生徒会室だ。
しかし、リョーマと柳生、白石、真田の四人は校舎から少し離れた植物園の中。
待っていろと止める面々を、しかしリョーマは首を縦には振らず。
手塚と一緒にいたいのだと懸命に訴えた。
リョーマからの頼みを無下には出来ず、結局同行と相成った。
しかしリョーマの精神的負荷を考慮し、少しでも緊張が緩和されるようにとの柳生の判断で植物園にて待機する事になった。
昼食時にはソチラで全員が集合する事になっている。
そして今。
手塚が立つのは校舎前の噴水。
見上げた佇まいは、シンメトリー。
エントランスを中心に左右対象に教室が設置され、左右の両端が手前に張り出している。
上空から見下ろしたならば三日月のような形を描く構図だ。
その最上部には左右それぞれに屋上が設置されており、それら貯水タンクの置かれたコンクリート塀によって分断が成されている。
右の屋上には天文部用の望遠鏡が幾つも設置されており、そこには雨避けの屋根。
さながらプラネタリウムを模したような丸みを帯びた屋根は、観測時には自由に開け閉めが出来るよう開閉式だ。
そしてその対となるのが、左側の屋上。
一般生徒が使用できるのは、コチラ側だけ。
こちらには何も設置されておらず、ただ閑散とした空間だけが広がる簡素な物。
そして、事件の発生現場。
無言のまま校舎の外観を眺める手塚が、傍らに視線を移す。
滔々とした水を称える円形の噴水。
その大きさは直径約五メートル前後。
深さは一メートル程。
学園内にあるべき代物というよりは、行楽地のシンボルにでもなりそうな立派さ。
パシャパシャと軽やかな水音を響かせるソレは、無人のキャンパスの中で虚しいまでの爽やかさをただ撒き散らしている。
ジャリと踏み出された手塚の脚。
噴水を背に、その歩みは校舎の中へ。
歓迎を示すかのように、水音がその甲高さを俄かに増して。
立ち去る手塚の背を見送った。













校舎内は静まり返り、それはこの三階であれど同様だった。


「やはり異常はなさそうだな」


ノートパソコンを手に頭上を見上げる柳に、幸村から落胆の溜息が零れ落ちた。
氷室の姿を見失った廊下に訪れた二人は、監視カメラに異常がないかの確認を行っている最中。
故障、改竄、不良、その何れかでも発見される事を期待しての行動だったが、柳の手の中では最新鋭のノートパソコンが鮮明に二人の姿を映し出していて。
その可能性を如実に否定した。


「ならどうして氷室の姿が消え失せたというんだ」

「それが判れば苦労はない。焦るな、幸村」


苛立たしげな幸村を宥める柳だが、内心には幸村と大差はない。
まさか本当に壁を伝って屋上に現れたとでもいうのか。
それとも、瞬間移動が出来たとでも?
疑念に眉を潜めた二人が、ゆっくりと歩を進める。
そして、数秒のうちに脚を止めた。
佇むのは、氷室が消えたトイレの前。
階段から些か離れた位置にあるソレは、三階の右端に位置する。
周囲には、倉庫、視聴覚室、そして幾つかの教官室が並ぶ。
倉庫には三階に連なる教官たち──医療、生物、化学、日本史、世界史──の使用する教材が詰め込まれている。
そのため、四畳程しかなく酷く狭い。
視聴覚室は廊下の突き当たりにあり、両開きのドアが堂々と鎮座する。
学園に設置されるというにはあまりに不釣り合いな広さであり、シアタールームと呼ぶに遜色ない代物だ。
三階にある教官室は、この視聴覚室の使用頻度が比較的多い教科によって配置されている。
そのため、古典や現国、数学や外語学などの他の教官室は四階にある。
見慣れた景色をグルリと見渡す二人が、再びトイレへと視線を戻す。

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