黙した手塚に代わり、答えたのは柳。
意識がある状況であるならば悲鳴の一つや二つ聞こえてもおかしくはない。
ましてや自殺であれば自らの意志で飛び降りる。
意識が明確でなければ出来る事ではない。


「という事は何か?氷室は落ちる前から死んどったと?」

「とは限らない。気絶していただけかもしれない。それになにより忍足の検死で硬直や体温低下が見られなかった。となれば落下の衝撃での即死が最も理に敵っている」

「じゃあ事故は?何かで気絶した拍子に誤って落ちたとか」

「有り得ない話ではないな。しかし、目立った外傷もないとの話だ。否定は出来ないが線は薄いだろう」


意見を交わす三人を横目に、手塚はただモニターを眺めるだけ。
そうして数分。
論議を繰り広げる三人を放り、手塚の背が向けられる。


「仁王、柳、不二。氷室の姿が追えなくなった時間帯の全学園内の映像を確認しろ」


返事を聞く事もなく、手塚の姿はそのままドアの向こうに消えた。













生徒会室に戻った手塚を迎えたのは、資料を捲る幸村の背中だった。
先に伝えてあった捜査資料に目を通しているのだろう。
しかし、そのページ送りの速さは尋常でなく。
一秒毎にページを捲るような物。
さながらパラパラ漫画でも読むかのような速さだ。
普通の人間ならば何を遊んでいるのかと思うところだが、幸村の場合は違う。
彼の特技として、最も奇異にして特殊であるのは、この速読だ。
速読とは名の通り、読み進む速さが常人より遥かに速い事。
幸村はその中でも異質とばかりの速さであり、パラパラとページを捲っただけで全てを瞬時に読み取る事が出来る。
『読む』事に関し、幸村の右に出る者はまずいないだろう。


「……あぁ。手塚」


資料に目を通し終えたか、ホチキスで留められただけの紙切れを閉じながら幸村が手塚を仰ぐ。
紙には、『青春学園女生徒転落事件』とご丁寧に印刷が施されている。
事件発生からは既に三時間程が経過している。


「死因に関しては司法解剖が行われるらしい。まだ結果は出ていないよ」

「不審な点は」

「…………」


手塚の問いに関し、幸村はただ肩を竦めただけ。


「困った事に全くないよ。争った形跡もなければ周囲に妙な痕跡もない」


困ったような幸村が資料を差し出す。
受け取った手塚がパラパラと紙を捲れば、現場検証に関する記述に目を留めた。
周囲に不審な物はなく、屋上も同じ。
落ちたアスファルトの欠損具合からの落下高度の予想、屋上のドアノブの傷の検証、更には遺体周辺の散乱物の鑑識、衣服の皺など。
特筆すべき事柄はなく、むしろ手塚やキングダムたちにとっては現場を見てすぐに解るような事柄だけだった。


「仁王たちはどうだい?収穫は」

「あると思うか」

「……だろうな」


手塚の低い返答は不機嫌も如実であり、幸村は溜息を禁じ得ない。
このまま警察の捜査が進めば、リョーマに嫌疑がかかるのは必至。
それだけは何としても阻止しなければならない。
しかし、氷室の転落に関し、何の糸口すら見付からない。
ドカリとソファに沈んだ手塚が、資料を開く。
カチカチと動きを止めない秒針が、無情なまでの時間を告げていく。
警察の動きを抑制し続ける事が出来るのは、長くて一月。
短ければ数日。
警察の捜査がリョーマに及ぶのは、時間の問題。
その事は、資料によって明らかになった。
急がなければ、ならない。






◆◇◆◇







空は既に濃紺。
夏特有の生温い風が窓を叩いては過ぎていく。
時刻は九時を回った頃。
キングダムの人間はしかし、帰路に付く者もなく。
生徒会室の中には未だ多くの気配。


「やっぱりおかしいぜよ」

「あぁ。氷室の姿が何処にもない」


薄型ノートパソコンに得物を移し、生徒会室の中でカメラの検証を行っていた仁王と柳が互いの目を合わせる。
手塚に命じられ、氷室の姿が追えなくなった時間帯──氷室が三階のトイレに入った時間帯から事件発生までを確認していた二人だったが。
どのモニターを覗けど、氷室の姿はそれ以降一切現れず。
全校内をくまなく探せど、やはり氷室の姿はない。
そうなると、氷室は三階のトイレから突然屋上に現れて落ちた事になる。


「まさか、三階から屋上に壁伝いに昇ろうとして落ちた、なんて言わないだろうな?」

「映画じゃないんだから」


少し前に話題となったハリウッド映画ならば有り得そうな内容だが、生憎と氷室は蜘蛛人間ではない。
となれば、幸村の発言が有り得る筈もない。


「で?どうなんだよ。あ?あぁ」


その傍らでは携帯を片手に眉を潜める跡部。
通話の相手は、忍足だ。
恐らく司法解剖の結果だろう。
跡部の強引なコネにより、忍足は極秘に解剖に参加。
それ故に公式発表よりも先にキングダムは情報を得る事が出来る。


「死因に変更は……チッ。そうかよ。で?あぁ、あぁ。……解った。資料は出来てんだろうな。解った。後で渡せ。車は回してやる」


不機嫌と落胆も顕著な様で、跡部の携帯がパチリと鳴く。
次いで放られた最新式の携帯は、デスクの上を僅かに滑って止まった。


「忍足は?」

「……解剖結果も変わらねぇ。頭蓋骨陥没による即死。死亡推定時刻も午前十時から発見時の十一時半で間違いねぇとよ」

「……そうか……」


僅かな期待を含んだ幸村の問いは、しかし実を結ぶ事はなく。
深々とした溜息とともにソファに沈んだ。


「……不二」

「え?何?」


腕を組んだまま思案に沈んでいた手塚が、低い声を発して。
呼ばれるがまま振り向いた不二が、疑念に首を捻った。


「……十一時二十四分の音声を確認しろ」

「は?どうして?」


虚を突かれたとばかりに不二の瞳が見開かれる。
十一時二十四分、といえば氷室の遺体が発見された、まさにその瞬間。
しかも映像ではなく音声の確認。
既に事件が起きた後の音を聞いて、何になるというのか。
困惑も露わな不二の視線を忖度してか、手塚の瞳が鋭さを増した。


「……何故あのバカ女に容疑がかかると懸念するに至った」

「はぁ?何言ってやがんだ今更」


手塚の発言に眉を跳ね上げたのは、跡部。
しかし他のキングダムの者たちもまた、跡部と同じ意志を宿して手塚を睨む。


「それは、リョーマちゃんがあの時に屋上にいたからで……」

「しかも他に人影がなかったためだ」


不二と柳の主張は、確かだ。
それはこの場にいる全員が目撃しているし、確認している。
となればこの場合、リョーマに嫌疑がかかるは免れない。
だからこそこうしてキングダム総出で奔走しているのではないか。
怪訝も露わな面々を前に、しかし手塚は柳眉すら揺らす事なく。
その低く重厚な声音を、発した。


「……ではなぜ、誰もが他殺だと認識した」

「え……?」

「転落死ならば通常、自殺と考える筈だ。それを『他殺』と断定した理由は何だ」

「それは……」


確かに、そうだ。
転落死したからと言って、他殺と咄嗟に判断する者は少ない。
普通ならば事件性のない、自殺と考える筈。
しかし、キングダムの者のみならず、全校の者が氷室の死は他殺であると信じて疑う者がない。
それは、何故か。


「そして、リョーマが何故屋上にいると断定が出来たか」

「それは……下から姫の姿を誰かが見付けて……」

「しゃがんでいたアイツを、下からか?」


リョーマを保護した際、聞いた話からすると。
リョーマは叫び声を聞き、屋上から下を覗き込んだ。
フェンスが解放されていたため、しゃがみ込んで。
下から見上げた時、果たしてその姿が見えるだろうか。
三階や四階ならばまだしも、五階建ての──それも屋上の物を。
否、見える筈がない。
他の者たちがリョーマを見付けたのは、驚いて彼女自身が立ち上がった後だったのだから。
キングダムの者たちならば監視カメラの映像で以てそれは知れていた。
けれど、他の生徒は?
となれば。


「……誰かが、こう言った筈だ。『屋上に誰かがいる。アイツが突き落とした』とでもな」

「あっ!」


声を上げた不二に次ぎ、他のキングダムたちもまた驚愕を露わにする。
あの混乱の最中だ。
誰かが一人そう叫べば、集団心理を操作するなど造作もないだろう。


「見える筈のないバカ女の姿を周囲にわざわざ見せ付け、更にはそれが他殺であると印象付ける。そんな小細工をする必要のある人間は誰だ」

「……犯人……」


呆然と不二が呟くとほぼ同時に、仁王の手がキーボードを忙しなく叩いた。
聞き分けるには仁王がカメラ映像を映しださなければならないためだ。

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