悲鳴と恐慌が渦巻く。
女子生徒が、屋上から転落した。
その光景を前に落ち着き払う事の出来る人間など、一般人にいようか。
女性徒だけでなく男子生徒までもが悲鳴を上げ、しかし人だかりは散る事なく。
むしろ騒ぎを聞き付けた者たちが更に加わり、たむろする人口は増えるばかり。
混乱まさに極まれり。
平和な学園の光景が、一瞬にして崩れ去った。


「はいはい。ちょおすまんな。通してんか」


そんな中、人混みを掻き分けていく人物。
混乱のただ中にある生徒たちを押し退け、最前列へと割り入ったのは──忍足。
眉一つ揺らがせず、人だかりから抜けた忍足が起こしたアクションと言えば、死体の傍らに膝を付く事だった。


「忍足様!何を──きゃぁぁぁぁ!!!!」


疑問を口にした女生徒の言葉は、半ば悲鳴に取って変わった。
忍足が、変わり果てた氷室の頭に触れた。
それも、無造作に頭を鷲掴みにして。
更にはそれをマジマジと検分しているのだから、向けられる視線は奇異なものだった。


「どうだ。忍足」

「……解剖してみぃひんと断定はでけへんなぁ。せやけど、外傷はちっこい擦り傷ぐらいやし、圧迫痕もあらへん。硬直もあらへんしまだ体温低下も進んでへんなぁ」

「つまりは、転落死……ですか?」

「せやな。頭から落ちててん。頭蓋骨陥没。即死は間違いあらへんな」


真田と柳生の問いには簡潔な返答。
予め装着していたのか、透明なゴム手袋を外しながら忍足が立ち上がる。
医療の心得がある──むしろスペシャリストとも名高い忍足の見立て。
周囲に集まったキングダムたちに、疑いの予知はない。


「となると、マズいかもしれんのぅ」

「そうだな」


忍足の検死によって仁王と柳が頭上を仰ぐ。
見上げた先には、駆け付けた白石がリョーマを抱き寄せている様が見て取れた。


「そうだね。転落死が死因だとすると……」

「姫に嫌疑がかかる可能性が最も高いな」


不二と幸村も釣られて頭上を仰ぐが、その瞳は世辞にも穏やかならぬ。
学園には、至るところに監視カメラが設置されている。
折しもキングダムの者たちは朝からカメラの映像を用いて学園内の監視を行っていた最中。
それらの映像を辿った際、氷室の落下の前後に屋上へと昇ったのはリョーマただ一人。
キングダムの者たちがこれだけ速く現場に駆け付けたのも、リョーマが屋上に向かう映像を見たからだ。
そして何よりリョーマにとって不利なのは。


「姫さんには動機もあんねんな」


昨日、氷室と言い争った過去がある事。
例えリョーマが一方的に謗りを受けただけとは言え、逆上して殺した──と警察は見るだろう。
白石に縋るように頽れるリョーマには、あまりにも酷な状況だ。


「──跡部」

「アーン?」


変わり果てた氷室の亡骸を見下ろし、手塚が名指したのは、傍らの跡部。
怪訝に振り向いた跡部を一顧だにせず、手塚がゆっくりと身を屈めた。


「警察関係者に圧力をかけろ」

「……あ?」

「無能な奴らの事だ。せいぜいアレが犯人だと騒ぎ立てるだけだろう」


状況証拠からして、リョーマが氷室を突き落とした犯人との見方が有力。
それは確かだ。
しかし、この場にあるキングダムの者の誰もが、そんな事を微塵も信じてはいない。
となれば、警察に動かれれば面倒なだけ。
それならば。


「必要最低限の捜査以外、行わせるな。捜査資料もコチラに回させろ」

「……随分な無理難題吹っ掛けてくれるじゃねぇか」

「命令だ」


手塚の判断は、何とも無茶苦茶なもの。
ただの一学生が警察の動きを抑圧せしめ、更には捜査資料の横領を命じるなど。
しかし、手塚の瞳に僅かの揺らぎもなく。
射抜かれた跡部もまた、クッと口端を吊り上げた。


「いいぜ。やってやろうじゃねぇか」


これが、ただの一学生であれば不可能。
しかし、跡部はただの学生などではなく。
跡部財閥の御曹司にして現在の跡部財閥を支える要と誉れ高き名手だ。
跡部の一声で警察など容易く抑圧できる。
しかし、それといえども主立った抑圧は出来ない。
警察当局としても跡部財閥に捜査拒否をされたからと捜査を打ち切るわけにはいかない。
それでは警察の沽券と信用問題に関わる。
だからこそ、遅々としたものとは言え捜査は行われる筈。
そうなれば遅かれ早かれリョーマに疑いが向く事は避けられない。
そうなる前に、やらなければならない事がある。
それこそが。


「……忍足。鑑識の検死に加われ。些細な事でも構わん。妙な事があれば知らせろ」

「了解や。紹介、頼むで?跡部」

「あぁ」

「仁王、柳。貴様らは再度監視カメラを洗え。二時間前から事件発生までの、校内全てだ」

「了解した」

「了解なり」

「幸村。貴様は警察の資料を受け取り次第、全てに目を通せ。十分もあれば足りるな」

「五分で十分だ」

「真田。白石とともにあのバカ女に付け」

「承知した」

「不二。仁王と柳とともに監視カメラから妙な音をより分けろ」

「了解」

「柳生もあのバカ女に付け。下手に取り乱されても面倒だ」

「解りました」


次々と発される命令。
バラバラと所定の位置に散る彼等の背を睨みながら、手塚の瞳が一度屋上を仰いだ。
警察を抑圧した後、しなければならない事。
それは──警察の捜査がリョーマに及ぶよりも早く、真相を暴き出す事。
それが出来る者は、彼等キングダムを於いて他にはない。
今、姫を守るべく最強の青年たちが動き出した。













カタカタとキーを叩く音。
そしてザワザワとした喧騒が満ちる部屋の中。
パチリとエンターを叩いた仁王が、大きな息を吐き出した。


「ダメやのぅ。やはり事件発生二時間前からコチラ、屋上に近付いた者はおらん」

「……不穏な会話もないみたい」


仁王に続き、不二もまた疲れたように大きな溜息。
そうして、背後に鎮座する男を仰いだ。


「やっぱり自殺なんじゃないの?手塚」


腕と脚を組み、沈黙を守る手塚はただモニターを睨み付けるだけ。
不二の問いにこそチラリと視線をくれたが、ソレは再びモニターへと戻された。
フゥと二度目の溜息が不二の口から漏れた頃。
キシリと手塚のチェアが軋んだ。


「有り得んな」

「え?」


唐突に手塚から発された声。
しかしその内容は端的に過ぎて。
困惑とともに不二のみならず、仁王と柳までもが振り向いた。


「何が有り得ないんじゃ」

「そんな事も解らんのか。貴様らの頭はノミ以下か」


疑念を口にした仁王を、さも侮蔑せんばかりに手塚の瞳が細まる。
これには流石の仁王も気分を害したかの如く眉間を皺立てた。


「悲鳴だ」


しかし、手塚は一切を意に介さず。
吐き捨てるようにたった一言。


「悲鳴?」


しかしやはり手塚の言葉の判断が付かず。
不二が再び首を傾げた。
途端、億劫とばかりに手塚の瞳が細められ。
ユルリとその長い脚を組み替えた。


「……不二。貴様は絶叫マシーンが嫌いだと言っていたな。その理由は何だ」

「は?」


手塚が発したのは、だが今回の事件とは何の関連もないだろう物。
困惑も露わに目を見開く不二を、しかし手塚は答えを促すべく睨むだけ。


「え……何でって……。モーター音と乗客の悲鳴が煩いからで……」

「そうだ。絶叫マシーンともなれば、耳障りな悲鳴が付き物だ」


怪訝な不二の返答は、手塚の硬質な声音が遮る。
そして、秀麗なその顔が不機嫌なまでに歪められた。


「しかし、転落に際し、氷室が悲鳴を上げた痕跡は──ない」

「あ……」

「人間は本能的に“落下”という現象に恐怖を抱く。となれば、命の危機を伴う転落ならば意識せず悲鳴を上げるものだ。例えそれが自ら望んだ“落下”であれどもな」


過去、人間の本能に関する実験が数多行われた。
その中には乳児を用いた実験があり、危険を認識する依然の人間は何を以て恐怖とするのかを試したものがあった。
結果、乳児は炎にも臭いにも、更には刃物にすら恐怖を抱きはしなかったが、ただ一つ──段差にだけは恐怖を示した。
つまり“落下”という現象を、人間は産まれ落ちた瞬間から恐怖と認識しているという事になる。
今でこそ落下を擬似体験する事が楽しみとされる事が多くなったが、確実な命の危険を伴う“落下”には誰しもが本能的な恐怖によって叫びを上げる筈。
しかし、今回の氷室にソレはなかった。
明らかに、奇妙だ。


「それじゃあ……どういう事?」


氷室の悲鳴が聞こえなかった事が奇妙であるのは、解った。
では、だからどう有り得ないというのか。
顎に指先を添えて思案を形取る不二から、手塚の視線が外れる。
そして、それは再びモニターへ。


「つまり、声を上げる事の適わない状況であった。そういう事だろう手塚」



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