「区内全ての電話回線に入り込め。不二は全通話の傍受。仁王は個人使用のIT全てのデータをハッキングしろ。柳は仁王の補佐、幸村は不二の補佐に回れ」


何処からともなく、引き攣った笑いが零れた。






◆◇◆◇







薄暗い部屋。
明かりは点されておらず、光源は青白い人口灯を点す五つのディスプレイのみ。
膨大な量のコードが犇めく床に、それらを縫うように置かれた椅子は四つ。
室内は雑音に埋もれ、頭痛を催す程の音量である。
それらを厭うようにイヤフォンを装着した人影が二つ、五台のパソコンを縦横無尽に行き来する。
残った二人は雑音に身を浸し、聴き入るように耳を澄ましている。
不二の特技は、何十もの音を瞬時に区別し聞き分ける事が出来る。
当然、音や言葉の内容まで理解する事が可能だ。
そして、その補佐をする幸村は『言葉』に対する反応が敏感だ。
特定したキーワードを雑音の中から拾い上げる事が可能である。
全ての内容を聞き分ける事が出来ない分的中率は落ちるが、常人と比べても特異な才能だ。
片やパソコンに向かうのは、仁王。
天才ハッカーとして名を馳せる『鷹《ファルコン》』である彼は今、区内全域の個人回線に侵入している。
主に覗くだけだが、それでも区内全域ともなれば数が半端ではない。
データファイルのみを正確に摘出してはそのファイル全てを開いて戻す。
世界規模の天才ハッカー故に、痕跡は欠片すら残さない。
それこそ、風切羽の一枚すらも。
その補佐を担当するのが、柳。
IQ.178の頭脳を駆使し、仁王のバックアップとアフターケアを行う。
『鷹《ファルコン》』だけあって仁王の手腕は鮮やかであり、柳のすべき事は主にバックアップのみだが余念は許されない。
アフターケア──侵入後に痕跡が残っていないかの見回りは欠かさない。
仁王のハッキングスピードは凄まじく、三台のパソコンを同時に駆使し、全てに一つずつデータをハックする。
一つのハックに要する時間はおよそ三十秒。
セキュリティやパスなど全てかい潜り、時には解析してあらゆる回線を開いていく。
四人がこの裏部屋に入って、およそ一時間が経つ。
普通ならば発狂でもしてしまいそうな状況だ。
カタカタとキーを叩く音は膨大な音の群れに紛れ、青白い光が目を灼く。
時間の流れすら曖昧になりそうな閉鎖空間。
けたたましい静寂が続く部屋。
だが。


「「見付けた!」」


二つの声が騒音を掻き消した。
途端、不二が仁王から一台のパソコンを受け取り、キーを叩き出す。
仁王もまたキータッチの速度を上げ、ディスプレイの映像を次々に変化させていく。
フッと突然訪れた静寂。
頭痛すら催すような雑音の群れが一気に消え失せ、耳鳴りに似た静寂が室内を満たした。


「コイツやの」

「うん。間違いない。住所は──」


カタカタとキーを叩く音とともに、不二の操るディスプレイが地図を開いた。
地図の中心には、赤い星がチカチカと瞬く。
ニッと二人の口許が歪み、パンッと乾いた音とともに掌を合わせた。


「「捕獲完了!」」


晴れやかな顔で笑む二人の宣言。
同時に、パッと室内に明かりが灯った。


「捕まえたか」

「当然なり。鷹は狙った獲物は必ず狩るぜよ」

「僕は結構、頭痛いんだけどね」


室内に踏み込んだ手塚へ、ディスプレイを示す。
チカチカと点滅する星は、以前一つの場所を示したまま。


「……出るぞ」

「無論だ」

「了解や」


ディスプレイを数秒凝視し、次いで室内に踏み入った真田と白石を引き連れていく。
残された四人は苦笑を零すのみ。


「ホント手塚、リョーマちゃんの事になると血相変えるね」

「無理もないさ」

「事態が事態やからの」

「この状況で放置する事は有り得ない男だからな」


肩を竦めて椅子に凭れる不二に、三つの頷き。
いつもの手塚ならば放置どころか一顧だにすらしないだろうに。
殊リョーマが関わるとなると本当に容赦がない。
こき使われるのも楽ではないのだと、今度抗議でも申し立ててみようかと不二が苦笑した。
しかし、これぐらい必死にでもなってくれなくては、リョーマの恋人の座など誰が渡すものか。
それはキングダム全員共通の意見であり、不変の掟だ。


「死んだ方がマシだと思えるくらいにはしてきてくれなくては、面白くないな」


クスクスと微笑む幸村に笑みを返す事で同意した不二が、すっかり冷め切ったコーヒーを一口啜った。













真田、白石、手塚、そしてリョーマが訪れた家は、ごく普通の一軒家。
何処にでもある造りのソレを前に、リョーマは酷く怯えたように手塚に寄り添う。
当然の反応だ。
この家の中にこそ、例のストーカーが住んでいるのだから。


「大丈夫か?」

「……は……はい……」


リョーマを気遣ってか、真田の幾分穏やかな問いにリョーマは震えそうになる声を飲み込み、頷く。
例えここでストーカーを撃退したとしても、リョーマにそれが解らなければ意味がない。
言葉で伝え聞くより実際に目にしたほうがいい。
百聞は一見に如かず。
手塚の袖を握るリョーマの手は、傍目に判る程に震えている。
あれだけ不気味な品々の数々を一方的に贈り付けられ、盗聴や盗撮までされた揚句、恋人やその周囲にまで危害を及ぼそうとした人間だ。
これで恐れるなと言うほうが酷というもの。


「……押すで」


インターフォンの前に立った白石の確認。
対面する覚悟はあるか、と。
一瞬不安に瞳を揺らしたリョーマが、手塚を仰ぐ。
しかし手塚は一度リョーマを一瞥しただけ。
さしたる興味もないとばかりに逸らされた視線だが、確かに一瞬見下ろしてきた瞳に唇を引き結ぶ。
そして、コクリと小さい頷き。


──ピンポーン


緊張を露わにするリョーマの耳に間延びする呼び鈴が響く。
パタパタと中から足音が聞こえ、ビクリとリョーマの身体が震えた。


「……どちら様……でしょうか?」


顔を出したのは四十代前後の女性。
四人を不思議そうに見渡し、しかし四人の纏う制服に気付いてか僅かにドアの隙間を広げた。


「学校の……博人のお友達?」

「えぇまぁ。プリント届けに来てんねんけど……博人君いらはります?」


ニコリと人好きのする笑みで応対する白石は、流石だ。
怪訝な顔は瞬く間に得心のいった顔に変わり、僅かだったドアの隙間は完全に開かれた。


「わざわざゴメンなさいね?博人ったら部屋に篭りっぱなしで」

「えぇんですよ。博人君と話さなアカン事もありますから」

「ありがとう。ちょっと待ってて貰える?今呼んでくるわ」

「あぁ。ちょぉ待って貰えます?」


玄関へと招き入れられ、二階に向かおうとする女性を白石の手が引き止める。
不思議そうに振り向いた女性に、白石が苦笑めいた笑みを向けた。


「喧嘩しとりますんで、直接会ぅときたいんです。部屋、教えて貰えます?」

「あら、それでわざわざ?」


恐らく仲直りにわざわざ訪ねて来たのだと思ったのだろう。
微笑ましげに苦笑を零した女性が、快く部屋の場所を教えてくれた。


「後でお茶でも持って行くわね?」

「あぁいえいえ。アウェイやし、あんま聞かれとぅないんで。お構いなく」


困ったように笑う白石にクスクスと笑いを零し、女性はリビングらしきドアに消えた。
階段に足をかければ、呆れたような小声が白石を見遣った。


「随分な狸だな」

「ま、実家が実家やったしな。駆け引きも必要っちゅうこっちゃ。それに、どっちやゆうたら狸より狐の方が好きやわ」

「たわけ。誰がお前の好みの話をしているか」


カラカラと小さな笑いを零す白石に、真田が嘆息を零す。
白石の実家は関西を占める極道、《牙竜組》の組長。
柔らかそうな物腰から想像だにすら出来ないが、この白石、中々の食わせ者だ。
殴り合いの喧嘩にでもなろう物ならば七人くらいは軽く一人で捌けてしまう。
人は見掛けによらないとはよく言った物だ。


「──ここやな」


女性に教えられた、二階の一番奥の部屋。
ドアには何の装飾もなく、中からの物音もない。
スッと白石が左腕を胸辺りに持ち上げる。
そして。


──コンコン


控えめな、木の高い悲鳴。
次いで、中から物音。
ノブが、ゆっくりと回る。


「……何。母さん」


僅かに空いた隙間から聞こえる、億劫そうな声。
しかしそれが意志に従って開かれる前に、白石の左手がその隙間を鷲掴む。
そして、甘く微笑んだ。


「ドーモ」

「───ひっ!」


息を呑む空気の振動が聞こえたかと思えば、白石の手がそのドアを一気に開け放った。
尻餅を付き、蒼白な様で四人を見上げる男は、何処にでもいるような外見。

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