植木の奥深くまで いくら手を伸ばしてもいない。

 思い当たるまでそう時間は掛からなかった。ふと手元を見ると、そこには赤い携帯。無意識に鞄から取り出していた。
いつもは開いても ろくにすることなんてない。
いつからか この赤い媒体は、送られてきたメールや着信を折り返すだけの役割になっている。
それが、今日は違った。
あの人に電話をしようと決めていた。
どこか確信的なものを含んで応答させる心算なのだ。
履歴を出して、連なっている、先生の、名前を選ぶ。
暫くそのまま画面を見つめてから、発信した。
『はい』
電話越しに聞こえる。情緒の感じられない低い声だけで。今後の扱いが目にみえている。寒くて手が震える。きっと今みつからない猫と同じことをされるのだ。漠然と考えた。
 
 
校舎の最北端にある駐輪場は日が差さず寒い。そこに蹲ってぴくりとも動かない猫をみつけた。植木の根本にいた それを抱き上げると、だらりとしながらもか細くにゃあと鳴いた。小さな毛玉は暖かかった。昼休みにお弁当を残して、その猫に与えた。
いつもは植木の奥に隠れているようだった。もともと人懐こい猫だったのか、近付くと擦り寄ってきて、鳴いた。翌日には赤い首輪を買ってつけた。おとなしいままだったけど、食欲はあった。頭を撫でると小さくのどを鳴らした。円い両目は透き通っていて、どこまでも青い。
校舎の最北端にある駐輪場は相変わらず寒い。真上には職員室の窓がある。そして日が差さない。
 
 
「あの猫・・・」
どうしたんすか。口は脳裏の台詞をなぞるようにして開いているのに、喉がつかえて上手く音に出せない。けど必要最低限の言葉から彼は悟ったはずだ。 それは電話口の向こうの沈黙が肯定していた。
本当は聞きたくない、のかもしれない。
事実を告げられたところでもう とうに猫はいない。
叢に落ちていた首輪から察知できているのだから。
赤い首輪を拾い上げた手のひらが、外気とは対照的にじっとりと汗ばむ。
この期を静思しているのにも関わらず 体は反射的に拒否を示している。
次第に強くなってきた鼓動がきゅうと胸の辺りを締め付けた。

どうでもいいのだ。実際は。
この後、学校へ呼び戻されても彼の自宅へ連行されても夜までに家に帰れないとしても。
諸悪の根源を生み出し続けているのは、彼ではなく、あたしだ。深い青の眼差しが蘇る。
かわいそう、なのかもしれない。
与えられる執着を 許諾するだけのやさしさを、あたしが持ち合わせていないから。
何をしても遠ざかるだけなのを彼は理解しない。だから、あたしの好むものはどんどんなくなっていく。離れていく。そう仕組まれている。けれど必死にしがみつくことをしない。したところでなにも満たされない。
伝わるだけの方法をあたしは知らないから。そしてきっと、彼も。

『    』
あぁ、訊かなければよかったのかもしれない。
涙が溢れて止まらない。同情に近かった。機械的に組込まれている人間性が体内で規則正しく働いただけの ただの エゴ。
だから咽びもしないし鼻腔に痛みもない。子供の方が余程うまく泣ける。ただ だらだらと水滴が頬へ伝い流れ落ちていくだけ。

校舎の最北端はただ寒い。影に覆われて、まったく日が差さない。代りに頭上から降ってきたのは 窓の開く音。




これでもかとしっつこく、くれくれ銀八またくれお願いだからくれ後生だから寄越せと駄々をこねたらくれました!黒瀬さんありがとー!