オチバレになるので一応反転しますが義兄妹パロなので注意。あとまた子のあんまり良い感じじゃない父母がちろっと出ます。






先生はとても嘘が上手なので私はまったく騙されてしまった。父と母も大嘘吐きであった。それについても私はまんまと騙されていた。私を支えていた世界は欺瞞ばかりだ。それを愛なんて言葉で虚飾する先生なんて死んでしまえばいいのにと思った。ほんの少しだけ。
つい数時間前までその愛とやらに浸っていたくせに、こうも簡単に手のひらを返せる私も私で浅ましい。でももだっても言い訳したところで何かもが白々しく、今更手遅れだ。重苦しい嘘が、未来も押しつぶそうとしている。

「お父さんもお母さんもわざわざ言うことでもないと思ったから黙ってたんじゃねぇの。まぁ、それか、聞かれなかったから言いませんでしたってやつかもしんねぇけど。」

言葉と共に目の前に置かれた飲み物はいかにも甘ったるそうに澄んだ緑色。先生のも同じ。ファミレスのドリンクバーなんて他にも種類はたくさんあるだろうに、わざとらしいほど趣味の悪い選択をいい切っ掛けに必死に押さえつけている激情がまた喚き始める。
「お父さん」「お母さん」というのは先生の口から聞くとなんだかむごたらしい意味が込められているような気がして無意識に拳を握り締めた。その手のひらはさっきから震えが止まらない。

「そうやって被害者ぶるのやめて」

絞り出した声は擦れていてまるで泣いてしまいそうな色を含んでいた。惨めでやってられない。向かいに座った先生の顔を見れない。きっと笑っている。出来の悪い生徒を前にするように。憐憫と慈愛を織り交ぜて。いや、出来の悪い生徒ならば、先生は愛せるのだろう。坂田銀八という一人の人間の中に在る教師という一つの側面で。そういう意味合いでは私は彼の中で最も下層に位置づけされている。どんな多面性を持ってしても、切り離すことの出来ない基幹に含まれている。そこから抜け出すことは出来ないだろう。そして皮肉にもそれは私の知らない先生の本質に肉薄していた。
窓の外は暗い。遠くで白く光る街頭や車のテールランプははなんだか寒気がした。深夜のファミレスは思ったよりも人が多くて、それも嫌な気持ちに拍車をかける。

「俺はまた子のこと愛してるよ。本当。この世界の全部から守ってやりたいと思うし、俺以外の男になんかやりたくない。絶対に。」

卒業したら一緒に暮らしたい。照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに、けれどぎゅっと手を握られてその言葉を聞いたとき私は戸惑いながらもどうしようもなく嬉しかった。この人と一緒に生きていきたいと強く願った。襲い掛かる不安に飲み込まれなかったのは、私に触れる先生の手が、言葉が、捉まえていてくれたからだ。そして、今日この日。
父の蒼褪めた顔と母の怒りに燃えた瞳は明瞭に思い起こすことが出来る。父の顔から色がなくなったのは自分の欲望が生んだ過失がとうに薄れた今更になって復讐という形で跳ね返ってきたことへの恐怖、母の怒りは自分の持ち物を再び掠め取られたことへの憤りだと先生はこそりと耳打ちしてくれた。何一つとしてお前のためではないのだと言われた気がした。
元々不安定だった足元を完膚なきに砕かれ、父と母の身勝手な言動に否定の材料を絶やされた矢先、先生は私の肩を抱いて優しく笑う。ヒステリックに髪を振り乱して叫びだす母を冷ややかに一瞥して、そっと囁く。嘘だよ、お父さんもお母さんもまた子のこと大切だから怒ってるんだって。そういって楽しげに笑う。軽薄にひるがえる言葉はまるで子どもの遊びのようで、先の見えない残酷さにすっと血の気が引いた。
このおぞましい生き物の巣窟になど居られるわけがないとたまらず飛び出した私を追いかけてきたのは先生だけだった。でもそれは慈悲でも、ましてや同情ですらない。

何から何まで、いっそ、自分の存在さえも全て夢だったらいいのにと、瞳を強く瞑ったら目の淵で堪えていた涙が頬を伝う感覚がした。途端、胸のうちで禍々しく燃える熱と一緒に言葉が零れた。

「嫌い嫌い大嫌い、みんな、気持ち悪い」

先生の返事はなかった。そして私は応えを求めていたことに気づく。例えそれが嘲笑でも嘘でもいいから、応えて欲しかった。砂漠で干からびていく植物が雨を乞うような切実さで、求めた。きっと私はまた傷つくのだろうけど、それでも何もないよりはマシな気がした。被害者ぶりたいのは、私のほうだ。
祈りは虚しく、いつまで経っても先生は何も言ってくれない。今までのように頭を優しく撫ぜてくれることもない。いつもだったら、ほんの数日、いや、数時間前までだったらあったはずのものが、今はどこにもない。
遠くの席で若い男の笑い声が聞こえた。なんだか身近な世界の中で自分が最も不幸せのような気がして、その自身の傲慢さも同じように、気持ちが悪い。それでもたった一秒先の未来さえ怖ろしくて、意識すると歯の根が合わないぐらい、幸福なんてものは遠くて、とても信じられないのだ。
互いの間の途方もない沈黙に耐え切れなくなって顔を上げると、先生は頬杖をついて、暗いだけの窓の外をじぃと見ていた。初めて好きだと思った日の夕暮れの姿に似ていた。なんだか寂しげに思えて、脅えるように触れて、そして抱き合って、幾度も言葉を交わして。 振り返ればそれらはすべて、とても優しい日々だった。倖せのかたちをしていた。そしてそれは真実を得て、ぼやけいく。過去がとろとろと溶け出し今と交じり合って、昔の先生と目の前に居る先生の違いが分からなくなりそうだった。でも、何も違わないのかもしれない。私が知ろうとしなかっただけだ。彼の中で息衝く傷痕に気づいていたはずなのに、ずっと聞けなかった。聞いたら余計に傷を広げるのではないかと恐れた。拒絶されたくなかった。でもそうやって逃げていただけじゃないのか。だからこんなことに。そんなふう考えて今更後悔して傷つけられたことさえ正当化しようとしてる。私が傷をつけたことに摩り替えて砂粒のような希望を探している。全て露呈してしまった世界で、今更何をやり直そうというのだろう。
こんな悪夢続けたくも無いのに、終わってしまうことも恐れていた。確かな愛情が胸で燻っている。手酷く冷水をかけられたというのに、無様にも小さな灯が残ってしまった。憎しみ、憤り、悲しみ。色んな感情があるけれど、ふと気づいてみれば全て愛情に繋がっていた。おそろしい。おぞましい。ここからも、さっきと同じように逃げ出すべきだと頭では思うのに、陰惨な呪いから綻びた糸のようなものが私を縛り付ける。それはきっと赤い色をしているのだろう。愛のように、血のように、残酷に赤い。
ここにあるものは全て嘘だ。欺瞞だ。何もかも、怨嗟の炎に焼かれて爛れ醜く膿んでいる。でも本当のことがひとつだけうつくしく残っている。
 窓の外をぼんやりと見つめていた瞳がようやく私を見つけて、頬杖を崩しながら、なんだか困ったように微笑んで、

「俺もみんな嫌い。無責任なパパも自己チューなママも。男に捨てられて死んだ馬鹿な女も。この世界でしあわせなやつらもみーんな大嫌い。だから、お前と、その中のものは特別。好きだよ。本当だって、信じて。」

今日は卒業式。約束の日。もう私の『先生』ではない、半分だけ血の繋がっているという兄は最後は冗談めかすように咽喉の奥で笑った。憎くてでも欲しくてたまらなかった声は今ではなんだか悲しい響きを帯びているような気がしたけれど、私の願望が勝手にそうやって取り繕っているのかもしれないと思うと同じように笑ってしまいたかった。私の心臓に手をねじいれて、逃げ場をふさいでいくようにこちらを窺う赤色に、たまらずお腹を押さえて、服の上からでも構わず爪を立てる。震えはまだ止まらない。それどころか身体中浸食していきそうだった。
ここにあるものは全て嘘だ。欺瞞だ。何もかも、怨嗟の炎に焼かれて爛れ醜く膿んでいる。でも本当のことがひとつだけうつくしく残っている。愛のように、血のように、残酷に赤い呪いの糸が、私と彼とあとひとつを結びつけて離さない。
明るい色をしたメロンソーダの泡が張り付く力を失い、上昇しては消えていった。