お世辞にも器用とは言い難い、軸の安定しない足取り。コンクリートの歩道と車道を隔てる白線の上を歩く来島の色素の淡い髪を眺める。背中を追うように歩いているので丁度金糸が土方の目線に被さるのだ。よたよたよたよた。動物園のペンギンがこういう歩き方をしていたような気がする。野生のは知らない。見たことが無い。ただ「動物園の」という人工的な部分が来島の纏う雰囲気と重なる。囲いの中が世界の全てといったような生き方。という妄想を、他者に抱かせるような生き方。

「そういうガキみてぇなことしてなんかいいことあんのか?」
「願いが叶うんスよ」
「ほぉ、そりゃめでてぇな」
「そうっスねー」

馬鹿にするような土方の相槌に、さして興味もなさそうに来島は答える。軽く広げた両手はフラフラと動いて、バランスを取るどころか逆に奪われているように見えるが気にする風もない。

「それ、白線無くなったらどうすんだ?」
「んー、空でも飛ぼうかな。」
「…ペンギンって空飛べねーんだと」
「ニワトリも飛べないっスよ。あとダチョウも。」

そこでぶつりと会話は途切れて。雑音を聞きながら線を歩く。白線が途切れ途切れのところは跳躍して。土方も真似て白線を踏んでみたが、4歩目には飽きた。人も車も疎らで、寂しい場所だった。何度目かの十字路で、来島が立ち止まる。土方も足を止める。身体をずらして来島の先を窺うと、白線が切れたようだった。車道を挟んだ向こう側に新たな線があるが、来島のコンパスではとても足りない。今までは白線で描かれた文字や車の止まる位置に合わせて引かれた線があったので、それを踏んでいけばよかったのだが今回はそれがない。来島が先ほど言ったとおり、空を飛ぶぐらいしか進む方法は無いだろう。

「飛ばねぇの?」

思案するように項垂れる金糸にキラキラと落日が反射した。眩しい。こんな風景をどこかでみた。

「願い事ってなんだよ?」
「秘密」
「おぶってやろうか」
「駄目。他人の力をかりて叶う願いなんてないんスよ。」
「ふーん」

言いながら、とん、と、華奢な背中を押した。来島はあっけなくバランスを崩して、前のめりになった身体を支えるために一歩踏み出す。勿論、その先に、白線はない。何も引かれていない鉛色のコンクリートに落ちる右足。あー!と抗議の声が聞こえて、そっと息を吐く。

「こんなんで、願いが叶うわけ、ねーだろ」

白い腕に巻かれた包帯を見やる。次に、脚の痣。時々、頬を腫らすのを思い出して。制服の下は、知らない。痛々しいと口に出したこともあったけれど、来島は自分の身の上に起きている厄介な現状を改善しようとはしない。決して。自尊心や見栄を守るための意地ではないのだろう。倖せと不幸せの天秤のかけ方を知らないのだ。きっと。
先ほどのバランスの悪い歩き方とは打って変わって回るのだけは軽やかにこなし、来島が振り向く。群青のプリーツスカートがふわりと舞った。土方の顔つきを窺うと、一瞬の無表情の後、口の端を吊り上げる。残酷な悪戯を思いついた悪童の顔。こういう顔をする奴を、ひとり知ってる。

「まぁ、そうっスよねぇ。死んだ人間は、生き返らないだろうし。」

皮肉の籠もった声色に、紫黒の瞳が見開かれるのと反比例して青色が細められた。露骨な不意打ちに面食らいつつも、冷えた驚愕をかいくぐって、惑星は赤い色をしたものよりも青のほうが熱を持っているのだという話を思い出す。来島の表情は、嬉しそうに見える。とくに意味など無い様にも思える。
軋んだ心臓の歪みをかき消すように土方は視線をそらした。途端、弾むような笑い声。顔は見えない。見たくない。怖いから?と頭の中で誰かが言った。

「私、沖田の気持ち分かるかも」

それはどっちのだと思わず声に出そうになって、意志の力で噤む。目の前の女が知っているのは、弟のほうだけだ。そんなことも分からなくなるほどに、自分は混乱しているのか。そう思うと、惨めだった。
彼女の病室と彼女の顔の上に掛けられた布切れの白さを想うと、自然と弟の顔を思い出す。逆に、弟のその顔を思うとき、記憶の中の彼女の引き出しが開く。ゆっくりと振り向いた、栗色の揺れる髪の先にある表情を、土方は忘れることができない。
逃げ出した視界の端に映る、くすみがかった夕暮れの飛行機雲は、葬儀場の煙によく似ていた。追憶が気休めになるのは初めだけで。程度を超えてしまえば置き去りにした過去の罪悪に蝕まれていく。暗愚ゆえの徒事や何もかもを葬れるわけじゃない。記憶の亡骸は死に絶えるまで残るのだろう。来島が天秤のかけ方を知らないように、美しいものだけを器用に愛していけれるほどの贖罪の仕方を土方は知らない。だから、その埋め合わせを探している。微かな希望を、やはり切り捨てていくように。
もういいと、土方が悲痛さえ含んで制止しようとした時には遅く、来島が口を開いた。包帯の白が目に痛い。これは復讐だ。皮肉めいたものは消えうせて、そこにあるのは単調な感情の掃き溜め。

「あんたの同情って反吐が出る」