いつも通りまた子が作ってきた弁当を銀八が箸で突く。二段の水色の水玉が散りばめられたシンプルな弁当箱の上段に、甘みのある卵焼き。きゅうりをベーコンで撒いた串。鶏のから揚げ。きんぴらごぼう。ポテトサラダとプチトマト。それらが丁寧に詰められている。下段にはふりかけの種類の違うおにぎりが色合いよく並べられていた。  手作り弁当で一緒に昼ご飯。まるで恋人同士だが、実際その通り二人は恋人同士である。ただ教師と生徒という公に出来ない関係なだけで。
 教師と生徒が不純異性交遊なんて性質が悪い。と銀八は思っている。なので初めは銀八管轄の国語準備室とはいえ一緒に昼ご飯など言語道断だと、健気に弁当を持ってくるまた子に断りを入れたが、実際踏み越えてみると、そう周囲に嗅ぎ付けられないので意外を通り越して拍子抜けだ。
 元々高杉たち3年と教室外で食べることの多かったまた子が場所を変えたところで他の学生や教師に何かを気取られることもないようだ。晋助先輩たちには自分の教室で食べるといってある、とまた子は自信満々に言っていたが、あの聡い、というか狡賢い奴らのことだからきっと薄々はばれているだろうと銀八は半ば諦めている。あの面子ならば感づかれていたとしてもむやみに口外するようなことはしないだろう。ついでに牽制してみるのもいいかもしれないと間違った前向きさえ出てきた。実のところ、牽制ぐらいしておきたいというのも本音だが。


「学園祭でバンドやるんス。晋助先輩達と。」
 銀八の杞憂などまったく気にせずまた子は今日もにこにこと、喋る。話の内容は昨日の自分に起きた平凡な出来事や最近の流行の話題と高杉のことで大半を占める。銀八はまた子のそういった日常を聴かされるのは嫌ではないが、自分は恋人なのではなく親や兄の代わりなのではと不安になることが多々あった。良い親子と会話が変わらないような気がしてならない。特に、高杉の話題を振られるとどうも居心地が悪い。早い話が嫉妬なのだろうがそれを口にするのは自尊心が悲鳴を上げるどころかねじ切れそうになるので黙っている。また子もそういった銀八の微細な変化には気づくのか最近はあまり高杉の話題を出さなくなった。なので今日のは久しい晋助先輩関連報告である。まぁこの程度のことだし黙ったまま学園祭を迎えられても少々不愉快かもしれないと銀八は思い、逆に安堵する。
「知ってる」
「えー、なんで」
「そりゃ、先生だしなぁ」
「観にきてくれる?」
 断られることなど元から頭にないといった様子でまた子が銀八を見る。銀八はそんなまた子を一瞥するとプチトマトを咀嚼した。やや甘酸っぱい味に少し顔を顰め、完璧に飲み込むまで間を置いたあとわざと抑揚を殺して答える。
「先生は、学園祭準備にはしゃぐ女子。それに便乗して無理にテンション上げる愚の骨頂男子。それら全てを包容し優しく包み込む教師。が嫌いでーす」
「それ、学園祭が嫌いなんじゃないっスか。っていうか準備じゃないし、本番だし。」
 あからさまに眉を顰めて食って掛かるまた子に、そうかもな、と適当に返すと次はから揚げを食するために箸を移す。銀八の興味のなさそうな声音にムスっという効果音が似合う顔でまた子も自分の弁当を食べ始めた。
 また子の弁当も中身は銀八と大差ない。ただ弁当箱の大きさが違うので微妙におかずの量や数が少ない。冷凍ものが入っていることはあまりなく、これを毎朝作ってくるのは手間だろうに、と思わなくもないが昼休みのたびに喜々として持ってくるまた子が可愛くないかといったら嘘になるので言わずにいる。昔飼っていた猫がよく痛めつけたネズミを銜えては銀八の元に持ってきたが、それと似ているかもしれない。褒められたかったのか純粋な好意だったのかはついぞ分からなかったが、あまりにも無邪気に持ってくるものだから結局頭を撫でてしまうのだ。猫の場合は食べることができないネズミだが、また子の場合はきちんと食べれるものなのでそう悪い気もしない。結局、こうして二人で食べるという案に折れたのもそういった甘い感慨から抜け出せないのが原因だろう。そもそも自制心が強ければ生徒と付き合ったりは、しない。
 拗ねた様子のまた子に少々冷たくあしらいすぎたかと思い、
「お前なにやんの?トライアングル?」
 そう銀八が訊ねると、また子は不機嫌そうな顔をころっと変えて、明るい声を出す。
「なんと、ボーカルなんス!」
「ほー。意外。」
トライアングル発言はさらりと無視して、びっくりした?と言いたげにまた子が笑顔を向けると、銀八もにやりと笑う。
「だってお前音痴そうだし」
「しっつれいっス!これはもう聴きにくるしかないっス絶対!」
 晋助先輩はベースで、万斉先輩がギターで、武市先輩が…とメンバーの細かな情報と練習での一幕などを饒舌に語りはじめたまた子に相槌を打ち、楽しげな様子を観察する。手の内には入れたもののどうも不安だ。女友だちよりも、慕う『男の』先輩が多いあたり特に。いつか「先生とは多分本当の愛じゃなかったんだと思うの」なんていいつつ繋いだ手を振り払われるのではないかと、考えたりもする。昨日の月9にありがちな教師もの恋愛ドラマではそう言っていた。その瞬間、銀八がリモコンの電源ボタンを押したのはいうまでもない。
 こうして一緒に昼食をとるのだって嫌ではない、むしろ出来る限り手元においておきたい。というか出来る限りといわずずっと手元においておきたい。とりあえず高杉と二人で帰るのはやめろと言いたい。
 時折自身の独占欲の強さに呆れそうになるが、くたびれた大人が未来ある子どもを抑圧できるわけもなく、実際堪えることのほうが多いのだから多少は理性的だろうと誰にともなく言い訳する。ついでに、高杉と二人で帰ることに関しては正当な主張であるとも思っている。
「まぁ、暇だったらな」
 子どもじみた嫉妬心に不安の裏返しも混じり、素っ気なく言う銀八に一瞬また子の口がへの字を描くが、先ほどとは違い、すぐに変わった。
「でも、忙しくても来てくれるっスよね」
 不安げに、窺うように見上げて強請るまた子の様子に、重苦しく暗澹と縛り付けるものが解けていくのが、分かる。現金、と胸中で独りごちた。突き放して、再確認して、安堵して、不安になって、繰り返して。不毛に回転し続けるハムスターの回し車のようだ。終わりが見えない、けれど止めるつもりもないのは、要は、それなりに満足しているということだろう。銀八は自嘲し、くしゃくしゃと金糸の頭を撫でた。
 はにかむまた子を見ながら、今は親だろうと兄だろうとまぁいいだろうと、思う。こうして他の男を振り切って一緒にいるのだから上々なのかもしれない。あくまでも今は、だが。
 とりあえず、当日厄介な仕事をどう他の奴に押し付けようかと画策しつつ、銀八は自分好みに味付けされた卵焼きを口に入れた。

 件のライブが終わった後にボーカルが嬉しそうに手を振ったのが目の前の生徒たちではなく一番後ろで見ていた気だるげな(と見せかけて一番熱心に見ていた)教師だったと気づいたのはやはり他のメンバーだけだったようだ。