子どもの頃から激情というのはあまり抱かなかったように思う。けれど錯覚かもしれない。呼吸と心臓の鼓動の回数が増えるほど徐々に埋没してゆく記憶を信じているわけではなかった。そして今ここにある熱が熱であるという保障もない。それ自体が錯覚なのかもしれない。ではなぜ自分は柔らかな肢体を甚振っているのだろうとまるで他人事の風に銀時は考える。ワックスの剥げていない冷たく光るフローリングに蹲る来島の髪を鷲掴むと床に押し付けた。悲鳴が聞こえたような気がしたけれどきっと気のせいだ。ひたすらに続く沈黙が悔悟に変わるまで破られるはずが無い。でないと残酷だと思った。指の埋まる金糸の感触にざわざわと胸が疼く。性欲や高揚感とは別の、むしろ焦燥に近いものだった。これ以上この不安なざわめきが続けば、その先で自分を出迎えるものが絶望的な暗闇であることを銀時は知っている。ざわめきを止めるには何かしらの言葉が必要だったが、言葉が世界に落ちれば沈黙が破られる。沈黙を殺してしまえば終わりが見えない。どちらにせよ逃げられないのだということを銀時は否定し続けるがそれ自体が不毛な迷路への入り口なのだと気づけない。来島が苦しげに銀時を見上げる。濡れた瞳は遠い国の美しい海のよう。海の中には母があるという詩を思い出した。銀時は母の顔を見たことが無い。
「ぎ、…とき」
来島はこういう時必ず名前を呼ぶ。懇願でもなく、眼前の男を平生に戻すためでもなく、呼ぶことが真意だという声音で名前を呼ぶ。情事の最中の嬌声に似ている。躊躇うように、小さく。若干の被虐の香りを漂わせて。だとしたらコレも情事と変わらないのではないかと銀時は思ったけれど口には出さなかった。なんとなくだが、来島の答えが分かったからだ。密やかな悦楽の相違はあまりに遠く、その暗澹な倒錯を来島の中から引きずり出すのは良い気分ではない。それよりも破られた沈黙をどう埋めようか戸惑う。冷静なはずなのに悔悟の波は訪れない。心までもが沈黙している。なのに別の部分では真実かどうかもわからない熱が限度を知らずに燃え続けるのだ。身体と脳が、脳と心が、心と理性が、本能と心が、上手く継ぎ合えなくてイライラと唇を噛む。ついでに立ち上がり来島の背を二三度蹴る。護るように頭を抱えて抑えた悲鳴を上げ、決して責めたてることの無い来島を見て漸く薄い安堵が膜のように銀時を内包する。しかし時が経つにつれその膜は銀時を雁字搦めに締め付ける。振り払えない。しかしそれは振り払おうと思っていないからだ。それは銀時だけではなく来島にも同じことがいえるはずだ。依存に依存するような無為は事実の中核を削いでゆく。
銀時は胎児の形で蹲る来島の腕を掴むと半身を起き上がらせる。様々な悲劇を詰め込んだ青い眼が銀時を静かに捕らえた。希望の先には確実に失望があって、そして失望の先には残忍な希望が待っている。得体の知れない幸福を、信じているわけではない。ただ何か一つでも確かなものを掴んでいたいだけだ。なんの変哲もない街中で子どもと母親がはぐれることのないよう、きつく手のひらを握るように。ただそれだけだ。なのにそれだけが掴めない。ループしその度に歪み変容し化け物の形を刻んでいく牙をむいた不毛な希望と失望だけが寄り添う。伸ばした手のひらから、身体を、心を、食い破ろうとするのだ。だんだん壊れていく。だんだんおかしくなる。何が欲しかったのかさえ分からなくなる。有りもしないものを求めているのではないかという疑問が浮かべばたちまちそれに支配され、堪らない。目に見えないものの打ち止めにならない希望なんてどこに救いがあるというのだろう。そして結果がこれだ。決して結末ではないのが悲しい。

「もう、やめようか」

言葉は渇いた喉と内心の苦痛に擦り切れてかすれた形で世界に落ちた。来島は何も答えずに黙っている。銀時も腕を放すことが出来ずに言葉の砕ける音を聞く。希望と失望の化け物がまた一つ成長したのを忌々しくしかしどこか幸福におもう。





題名はイデオンのEDから