「なにしてんの?」

声が聞こえて反射的に振り向くと先生が開いたドアに気だるそうに凭れて立っていた。無感動な視線に居心地が悪くなって視線を床に落とす。リノリウムの床が電球の光を反射して鈍く光った。

「・・・きもち、わる・・・く、て・・・」

言うと一層吐き気が酷くなった気がして口元を押さえた。冷や汗で濡れた背中が気持ち悪くて嫌悪感が首筋を掠める。何かが苦しい。それは消化器官に居座る劣悪な塊だけではなくもっと性質の悪い陰謀が引き起こしているのだと思う。肺が抉られ呼吸の仕方を忘れてしまったように息が詰まる。

「大丈夫?」

多少の憐憫を含ませた声が落ちる。先生の手が伸びるのを視界に捉えて本能的に身を引いてしまった。その軽率な行動に後悔と恐怖が足元からつきぬけ警告が眼前に幕を落とす。なにか言い訳をしようと口を開いてその前に肩を掴まれて。結局出たのは微かな悲鳴。突きつけられる脆弱に嫌気が差すけど淘汰してゆくものを止めることは出来ないから暗然と未来を想う。浅はかな結末に真っ赤な暴力の雨が降るかと思ったけれど予想に反してそれはなく、頭の上に柔らかな衝撃を感じただけだった。けれど今は逆にその安穏が恐ろしくてできるなら泣き叫んで腕を払ってこの場所から世界から逃げ出したい。逃げ出すための言葉はとうに尽きてしまったけれどそれでも探さなければいけないと、不安や恐怖に踏み荒らされた思考を更に踏みにじって抉って。誤魔化して。なのに、綻んだ嘘は自分自身さえ偽り通せない。

「それってさぁ」

先生が穏やかに言う。声音に薄暗い歓喜が混じっている気がして、刺激された感情が強張った膜を張る。頭を撫ぜていた手は、頬、首、鎖骨、胸、段々と下りていって。行き着く先は、、、 酷薄に絡まる慄然に駆られて、下降する手のひらを両手で掴んだ。視界がひずんで腕が震えて肺の痙攣が背筋をも震わす。恐かった。もう戻れない。逃げられない。外からも中からも捕まった。歯の根も合わないわたしを先生は薄く笑って、慰めるように自由なほうの手で肩を抱き寄せた。嘘という単語を頭の中で何度も反芻して見えるものを全部否定してみたけどそれ以上の懸念が思考を突き動かす。初めて国語準備室を訪れて、真っ暗な闇に取り残された日はいつだった?あれから何度繰り返した?それでどうなった?わたしはなにをした?せんせいはなにをした?考えれば考えるほど眩暈がして覆う体温が嫣然と笑う。心臓の音が五月蠅くて耳を塞ぎたい。何も知りたくなんて無いのにそんなこと許さないとばかりに先生の手のひらがもう一度わたしの頭を撫でた。赤い瞳がわたしを見てる。歪む。あぁあれはたしかこんな赤をした夕暮れ。目の縁に留まっていた涙がとうとう頬を伝って落ちた。大丈夫、と先生は優しく言うけどそれはきっと私を捕らえ続ける呪いの言葉だ。

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