「晋助は気にしてなかろうよ」
夜兎族の娘を殺しそこねた。紅桜の暴走を止められなかった。たかがその程度のことを深く、下手したら自害しかねないほど気に病む来島に、無関心が一番残酷だという言葉を思い出しながら万斉は告げた。来島の瞳からはいっそう絶望が溢れていく。泣くだけではもどかしい苛立ちを発散しきれないのか、膝を抱えた手の甲にさらに爪を立てていた。鉤爪のように強張った指。傷だらけの身体。彼女が有り余らせた憤りや憎しみが高杉に向かうことはない。なぜならば今の彼女にとって世界とは彼であり神とは彼でありそしてそれは希望の名を冠するものだからだ。それを否定することは自分自身を否定することになる。もう彼女にはなにもないと、彼女自身が知っている。ここが崖っぷち。悲痛なる境界線。あまりに危うい世界の切れ目。ひとつのものしか信じない彼女が解放されるには、彼を英雄として埋葬するか裏切り者として処刑するか、どちらかしかないのかもしれない。その間に愛さえ挟めぬ許しがたい高潔。あぁ悲劇あぁ哀れ。反面その盲目さが羨ましくもある。だからこそ、一つ一つの出来事を素直に悲しむ彼女を見て心が踊るのだろう。薄暗い歓喜がある。しかし、確かに嫉ましい。それは彼女にかあの男にか。どちらでもあるからそれら全ての感傷が酷く馬鹿馬鹿しい。
あの男はこの少女の求める形の柩を与えはしないだろう。彼女は知らないようだが、実のところ、彼は世界でも神でもましてや希望でもない。自分たちと同じ、失望した世界にありもしない死に場所を求めて彷徨い嘆き爪を立てる、ただの死にたがりだ。馬鹿な女の子が永遠にそれに気づきませんように。もし気づき、嘆きの崖から落ちるのであれば、その儚い背を押すのは自分でありますように。万斉は信じてもいない神に祈った。来島の手の甲はとうとう血が滲み始めている。