※ 金魂四訓(三百七十五訓)の話です



 たまの姿が見えなくなったあと、定春に追いかけるように頼んだ。心配が拭えなかったのと、少し、ほんの少しだけ、一人になりたかった。
 決意表明はしたものの、すべてが晴れやかに前を向いているかといえばそうではない。欄干に凭れながら銀時は顔を手のひらで覆う。ゆっくりと長く息を吐いて、あと5秒数えたら、定春の元へ行こうと決めて、3秒目でふと気配を感じた。5秒の完了を待たずに顔を上げて、日没前の数十分は人も世界もいっとう美しく見えるなんて話を思い出す。あまりに馬鹿馬鹿しいタイミングと想起だった。
 野良猫のように前触れなく銀時の前に現れるのが彼女という生態であった。ただ野良猫と違って、彼女には明確な居場所が存在する。
 かつて在ったすべての人間が自分のことを消し去ったように、あるいはこいつも、と考えがよぎれば、平生ならば躊躇わない言葉を喉の奥に留めてしまう。
「よくわからないけど、みーんなあんたのこと忘れちゃったみたいっスね」
 夕暮れ時の橋の上。同じように欄干に凭れ、ようやく口をひらいた来島はにこりとするどころか、銀時のことさえ見ない。
「…そうだな」
 来島の中には確かに自分が存在する。その事実に一欠けらさえ安堵が零れ落ちないように懸念していること気付いて、決まりの悪さを覚える。
 彼女に向かうものは、いつだって相反している。煩悶している。それらをかなぐり捨てたいというやけくそに近い切実な欲求も、持ち続けているべきだという理性も、等しく。
「私も連れて行ってよ」
 夕陽に当てられた白い頬を見た。来島はまだ銀時を見ない。
「今なら誰も追いかけてこない。それなら引かれる後ろ髪もない。」
 ただまっすぐに、夕陽をみつめている。
「うんと遠くの田舎でも、名前も知らない惑星でも。どこへでも。そこで二人で暮らすのも、悪くないんじゃないかなあって思うんスよね。」
 悪趣味な復唱から始まったそれは、すらすらと、諳んじて。まるではなから用意してきたように思えてしまう。こんなものが以前からずっとあったような気になってしまう。
「私が、あんたのこと護ってあげる」
 姿を現してから初めて緑の瞳が銀時を映し、唇がゆっくりと、弧を描いた。
 もうすぐ陽が沈む。来島の顔は、まだよく見える。生来の気の強そうな顔つきで、微笑んでいる姿もどこか勝ち気だ。その勝ち気な瞳に差す影を銀時は知っている。護ってあげる。来島の言葉を、胸中で繰り返す。
 腰に下げた紛いものの刀も、服のどこかに仕込んでいるだろう鉄色の暴力も川に投げ込んで、全てを置き去りにして、手と手をとって歩き出す。うんと遠くの田舎よりもいっそ名前も知らない惑星のほうがいい。なにも知らない場所で自分たち以外のものを、いや、それさえ含めてひとつひとつ作り直してゆく。真昼間から薄暗い一室の布団の中で静かに、ゆっくりと、互いの温度だけを感じるようなひとときの延長線。薄暗い後ろめたさから逃れるため快楽で塗りつぶして、離れたあとの虚無感に怯えることもないだろう。
 息をつくと、自然と笑みがこぼれた。
「そりゃ確かに、悪くねぇな」
 限りなく自嘲に近かった。優しい夢物語はまろい夕陽のようにどろりと溶け出して、甘い痺れが尾を引く。それが消えてなくなるころに、もう一度、今度は自分の意志を持って笑った。今度は自嘲ではない。
「もうちっと早くきてくれりゃ乗ったかもしれねぇよ」
 銀時の言葉をうけて、青緑の瞳がようやく揺れる。その中に、ほんの少しの安堵を見つけてしまいそうで、視線をそらした。大嘘吐きめ、という言葉を飲み込んで、子細な変化で強張った頬に触れたいという気持ちを殺して、続ける。
「お前、さっきの全部聞いてたんだろ。これだから金髪ストレートにロクなやつはいねェな。」
 来島は答えない。銀時と目が合うと、唇を少し動かした。寂し気にも見える。満足げにも見える。きっとどちらでもある。
 その表情の内側にあるものをすべてぶちまけてほしい。泣きだしてくれて構わない。そうすれば、天秤にかけられた欲望のほうが勝るだろう。今ならば。いや、今しかない。二人はそれを知っている。けれど、お互いそれを選ばぬことも知っている。選ばないでくれと彼女が切実に祈っていることも、銀時は知っている。
「私もあんたのことなんか忘れちゃいたい」
 ぽつりと零れた言葉はことさら真実めいていて、ますます笑ってしまう。
 そのほうがいい、忘れてしまえ、そしてこんな残酷な仕打ちはもうやめてくれ。結局は、お前が俺を置いていくのだから。あぁ、いっそ殺してやりたいな。そしたらその亡骸と、遠くの田舎でも惑星でもどこにでも逃げてやるよ。お前が捨てられないもののすべてが追いかけてきても、何一つ渡してはやるものか。
 当然、そんなことはなにひとつ口にできず、そのうちそうなるかもしれねーよ、とだけ答えた。来島は、じぃと銀時をみつめ、微かに俯くと、そのまま一言も残さずに踵を返した。その姿が消えるまで見送ることなく、銀時も反対側へ歩き出す。




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