ああほらやっぱりね。なんとなく察していた。そういう、快くない予感というものに関しては、私は百戦錬磨の狙撃手なのだ。
 次に思ったことは今すぐ世界が終わればいいのにということ。晋助先輩と出会ってからは閉じられていたひさしい感情は、お元気でしたかー?なんて軽やかに再び私の前に現れて、ほおっておいた分の報復をきっちりとしていく。そして、なにより、おめでとうとすぐに思えなかった事実にことさら私の本質を突き付けられた気がした。

 先に近づいてきたのは坂本先輩だった。私ではない。移動教室の音楽室へ向かう途中で気が変わって、Uターンで教室に戻る途中の階段でばったりであった。森のくまさんみたいに。
 授業はどうしたんだろうと自分のことを棚に上げて思わなくもない。義理的な会釈で終わるかと思いきや、あれこれと余計な話を続けられてなぜだが一緒に教室に向かっている。そういえば、森のくまさんも追いかけてくる歌だった。念のためピアスを触ってみるけれど、落とした様子はない。早いところ教室の鞄を回収してすぐに家に帰りたい私としては非常に邪魔者であるけれど、無下にするのも気が引けた。晋助先輩の「お友達」だから。なんともな理由。しかし、それしかない理由。
 陸奥さんは坂本先輩と付き合うのかと思ってたけど、違ったみたいだ。『高杉先輩は来島さんと付き合ってるのかと思った』と言われた時ものすごく腹立たしかったので似たニュアンスであるそれを口にはしないけれど。ああ、結局、私もその他の登場人物と同じ程度の想像力だったという失望。なんの面白みも、特別もない。シンプルで、記号的で、量産、そして無価値。
 だったらもうなんだって同じだと思って、邪魔者への意趣返しと八つ当たりも込めて口を開く。
「坂本先輩は陸奥さんのこと好きだったんスか」
「いや」
 いつも無駄に笑ってる坂本先輩は笑ってなかった。唇ひとつあげない。そんな様子だから、口では否定するけど本当は好きだったんじゃないの、と内心思っていると、突然、手首を掴まれた。
「また子ちゃんは、晋助先輩のことが好きじゃったのにー」
 抑揚のない声に連れられて、そのまま暗い部屋に引きずりこまれた。教材用の倉庫みたいなところ。律儀に鍵までかけられた。あまりの手際の良さに、私のささやかな悪意など関係なく最初からこうするつもりだったんじゃないかと思う。無事に逃げられるかどうかは別として、殴ることも叫ぶこともできたけれど、普段と違う笑わない顔とか平坦な声とかにちょっとだけ興味がわいて、されるがままにされておいた。意思のない人形みたいに。本当にそうなれたら今より少しばかりは幸せだったりするかも、なんて、たまに思ったりするけれど。でも私の場合、ガラスケースに入れられたり、お利口な女の子に大切にされるようなお人形じゃなくて、もっと即物的でお手軽で、壊れたらまた買えばいいよね、っていう、名前も何もないような、リカちゃん人形の亜種にしかなれないだろうから、そんな発想はまったくの見当違いってやつだろう。
 坂本先輩がのしかかるように耳元に近づいて
「あのクソ女のことはこれと言って好きじゃあないが、何食わぬ顔してかすめとられたのは気に食わん」
 低い声音だった。私の耳元から顔を離して、坂本先輩は目と目を合わせる。
「そうおもわん?」
 とられたっていっても陸奥さんは別にあんたのものじゃないじゃん、って思ったけど私も陸奥さんに対して私のものでもない晋助先輩のこと「とられた!」と微塵も思わなかったかといったら嘘になる。何食わぬ顔をして、ってのも分かる。そういう素振りなかったじゃん。二人が付き合ったと知ったとき感じた「ああほらやっぱりね」って感情は、ああやっぱり二人付き合うのねそういう雰囲気してましたしね、ってことじゃなくて、ああやっぱり私の人生に幸福なことって訪れないんだろうなっていう「ああほらやっぱりね」だ。そう考えてみると、私って自分のことばっかりだな。おめでとう、ってすぐに言える人間になりたかった。そういう人生の道筋を歩みたかった。今更何もかもが遅いけれど。どこからやりなおしたらいいのかさえも、わからない。
 例えばこの人が同じように道筋を誤ったのだとして、どこで間違えたのだろうと、探る様に、じっと黒い目を見つめていると、坂本先輩の手のひらが制服の下にもぐりこんできた。固い皮の感触。その不快感に、顔が歪む。
「私、晋助先輩のものじゃないっスよ」
「うん」
 坂本先輩の手が下着越しに膨らみをやわく掴む。もう一つの手は太ももをなぞった。男の人はみんな胸の膨らみと脚の根元にあるものが好きだ。自分のために形作られたそれで遊ぶ権利があると、信じて疑わない。
「あと、中学生の時お母さんの恋人にヤられちゃってるけど」
「ははっ、そういうの逆にそそるぜよ」
 坂本先輩はようやく笑った。冗談だと思ってるんだろうか。実際、中学生の時ヤられたってのは、嘘だけど。本当は小学生のとき。だから陸奥さんのことがなくったって晋助先輩と付き合うなんて絶対絶対無理だし。世界が終わればいいなんてわざわざ願わなくたってすでに終ってる私の世界。
「もうちと、脚開いて」
 机に乗せられて、言われるまま開くと、裂け目をなぞられる感覚。あの時嫌で仕方がなかったことを今受け入れているっていうのが現実味がない。嫌なら逃げればいいし、坂本先輩も私が本気で嫌がれば止める気がした。自暴自棄になっているというよりも、こうしていることでなにかを傷つけたり私を傷つけたものに復讐しているようなそういう気持ちになっている。
 どうせ好きな人とは付き合えないし、愛し合えないし、言えもしないし、そのくせ相手の幸せも喜べないし、ろくな生きものじゃない。それでも今この瞬間だけはこの男には価値のある生きものなのだろう。こんな価値ってやつむしろないほうがマシだろうけど。くだらない。一日に三回ぐらい、例えばご飯を食べたり寝る前とか生きるために必要のあることをしている瞬間特に自分がどうして生きているのかが不思議になって、かといって自ら死に向かうほどの積極性もない。
 性行為だってご飯や睡眠と同じような人間の三大欲求だっていうけど、今はむしろ死というものに能動しているように感じる。自分を損なっている自傷行為。復讐の矛先はなんだろうか。傷つけたいなにかってなんだろう。結局天に向かって石を投げてもその衝動的な暴力は自分の元へと落下するだけだし、こんなことは全く無意味だ、不毛だ。でも動けないんだ。停滞している。私を進ませるためのすべてのものは、完成される前に撃ち落とされるので。

 終わったらすぐに部屋から出て行ったのでヤり逃げかと思ったら、律儀なことにくすねてきたのだろうトイレットペーパーを持って戻ってきて後始末をしてくれた。その上帰りにコンビニに寄って好きなアイスを奢ってくれるとまで言う。一番高い奴にしようかとちらと考えたけれど結局食べなれた100円にも満たないホームランバーを選んでしまった。坂本先輩は一番高いハーゲンダッツを選んだ。ものすごくアンバランス。そもそもこの人と私に共通点はまるでない。だけどそんなものなくたってアンバランスだって性行為はできるのだ。あんなものが愛の一種だなんて誰が言い出したんだろう。きっと、ずいぶんなロマンチストか姑息な言い訳野郎に違いない。
 私が棒アイスを食べてるのを見て、次はフェラしてって笑った。あれは顎が疲れるし息が出来なくて苦しい嫌だなあそういえば途中でえづいてうぇって嘔吐しちゃってサッカーボールみたいに蹴られたことがあったな。私がボールでも部屋の中にはゴールなんてないからそのサッカーはプレイヤーが疲れて飽きるまで終わらなかった。でもこの人は殴ったり蹴ったりしなそうだしどうしてもっていうならしてあげてもいいし、そしたら今度こそ一番高いハーゲンダッツを買ってもらおう。