「今度はフェラーリだったの?すげーじゃん。だんだんランク上がってね?前のは黒いバンだろ?で、最初はファミリーカーだもんな。すげーわ。さすが前世がピーチ姫なだけあるよなー。次は自家用ジェット機くるんじゃね?捨てられんのも山じゃなくて、パラシュート付けられて空から捨てられんのかな。超ダイナミック。」
 バラエティ番組の視聴者のように楽しそうに、無邪気な嘲りを孕んで笑う男の声を聞きながら、また子は、さてこの世界に神様は居るはずだと思ったのはいつのことだっただろうかと思い返していた。答えを探すために沈んだ記憶の海は、泳げば泳ぐほど、サメのように凶暴な思い出に手足を食いちぎられる。がぶりがぶり。そのサメが満腹になることはないし、また子が死に至ることもない。それでも、かりそめの小さな死を疑似体験することはできる。痛くて苦しくて、このまま続けば本当に息絶えるのではないか。そんな意味のない希望が深い海を淡く照らしている。
 油断していたつもりはないけど、客観的に見れば油断していたのだろう。油断していたから後ろからバッドで頭を殴られた。頭蓋骨は壊れなかったけれど衝撃が伝わった脳は停止して、ぷつりと途切れた意識。その間に赤い車に押し込められて遠くの山奥で犯された。そんなようなことが人生で4度目だというのだからまったく笑える。せめてその辺のホテルや路地裏にしてくれれば、服も汚れずに徒歩で帰ることができたというのに。何度も強引に出し入れされた性器は当然痛んで、膣の中には汚い精液が詰まっている。お構いなしに口の中まで捻じ込むものだから舌の上では精液と吐しゃ物の味が混ざり合って、朦朧とした意識の中でもその最悪さは感じ取れた。頭蓋骨が割れて中身が零れ落ちなかったことを医者は幸福だと言っていたが、果たしてそうだろうか。それでもそこで野たれ死ぬことを選ばずに、電話で頭の傷の修復と膣洗浄を求めたのだから医者が最悪の中の良かった探しをして自分を励まそうとしたのもごく自然なことなのかもしれない。そんな風に考えられる程度の理性はまだあった。非常に残念ながら。
 また子の身に起こった出来事をひとしきり笑った後銀時は出て行って、帰り際の「またくるから」という言葉通り次の日再び病室を訪れた。左手には小さなネズミのぬいぐるみ、右手は顔中痣だらけの男の首根っこを引っ掴んで。
 退屈だと思って遊ぶもん持ってきた。そう言ってぬいぐるみをまた子へ放る。男は床に転がした。ネズミはしっぽの部分に丸い引手が付いていて、それを引くと紐がもとに戻るまでの間ぶるぶると震え続けるというただそれだけのものだった。床に転がされた男は、たぶん、また子の上にのしかかって好き勝手にした男だろう。暗くて顔はよく覚えていないけれど、銀時が持ってきたならそういうことだ。
 顔なんてどうせ暗くて見えないのだから別に私じゃない別の子でもよかっただろうに。けれどこういう時に選ばれるのは必ず自分なのだ。振りきれない確信を抱えたまま、また子は紐を引く。ネズミはベッドに備え付けられた机の上で震えだして、その振動で動く様子はもがきながらのた打ち回っているようにも見える。
「で、何回出した?」
 にかいです、と小さくつぶやく男。銀時はちらとまた子を見やる。また子はぶるぶると震えるおもちゃが動きを止めるのを見届けて、口を開いた。
「3回」
 どっちだよ、と笑い声。血だまりみたいな瞳は暗いままだった。男の口にタオルをねじ込む。あれって結構苦しいんだよなあとぼんやりとまた子は思う。
「ま、いいわ。じゃあ2と3かけて6な。はーい、いーち」
 銀時が男の指を掴んで本来曲がるのとは反対方向にねじ曲げた。男の悲鳴の大半は捻じ込まれたタオルに吸収されたけれど、それでも大仰な声だった。どうして自分がこんな目に合わなければならないのかという疑問と理不尽、そして懇願の瞳がまた子を見上げた。
 かみさまが…
 また子の息を吐くような小さな呟きは、先ほどよりは控え目になった男の苦悶の声にかき消される。
「なんだよへばんなよ。頑張れよー。まだあと4本あんだからさー。うちのまた子ちゃんだって頑張ってただろー?」
 男は掴まれていないほうの無傷な手でタオルを引き抜いて、すみませんすみませんゆるしてくださいとぐすぐす咽び泣いた。そっかー反省してるんだな、と銀時はへらりと笑いながら再びタオルを捻じ込んで、間をおかずにぽきんと3本目の骨を折った。びくんと身体を震わせるととぎれとぎれの呻き声。また子が指先で糸をひくとぬいぐるみがまた震えだす。銀時が骨を折ると男が跳ねて、時々叫ぶ。止まったぬいぐるみの紐を再び引く。震えだす。悲鳴。また子は目を閉じる。海の中に落ちる。サメが追ってくる。食いちぎられながら、光の上澄に手を伸ばす。
 遠い日に、二人で行った水族館。閑散期の平日だから、人はほとんどいなかった。限られた水槽のなかで、淡い光の中ゆらりと泳ぐサメを見ながら、神さまはいると銀時が言った。神さまは絶対にいる。こんなに痛めつけられるのだから、神さまがいないと可笑しい。そうでなければこれはいったい誰の仕業だというのか。お空の上の悪趣味なクソ野郎が全部決めているんだ。また子の手を取って、祈るように。だからお前はなにも悪くないんだよ、と。そう言ったから、また子は何度もその場所に沈むことになった。食いちぎられても死ねなくなった。それは救いなんだろうか。頭蓋骨が割れて中身が零れなかった幸福と同じように?
「ここ病院で良かったな。すぐに治療してもらえんぜ?じゃ、もう帰っていいから。お大事にな〜。」
 最後まで絶えず楽しげだった銀時は上機嫌で男を蹴り飛ばし、病室から送りだした。男はひぃひぃと泣きじゃくっている。私が初めて犯されたときだってあそこまで泣きはしなかったと思うと、また子は男が憎らしく哀れでいっそ羨ましくなってくる。
 指が6本折られたら悲鳴は終わるし、糸が戻ればぬいぐるみの震えは止まる。私はいつ終わるんだろうとまた子は考える。白いベッドのふちに腰かけて、先ほどの残酷など嘘のように優しい仕草でまた子を抱き寄せる銀時に尋ねれば、そんなことは神さましかしらないと、笑って答えることだろう。