指先で背骨をついとなぞると、女は尻尾を踏まれた猫のように身体を跳ねさせた。毛を逆立てるように、髪が乱れるのも厭わず勢いよく振り返ると、激昂する。
「っなんなんスか!」
「別に?ちょっとさわってみたくなっただけ。」
それにそんな服着てるほうが悪いよと続けると、女はさも不服といった顔で睨みつけてくる。この女ときたらいつみても、不機嫌か不安げか、どちらかしかない。もっとも、媚を売られるよりはマシだが。
「あんたそんなに女に餓えてるんスか」
「え?あぁ、そうかもね。」
面倒になって適当に流した答えには納得しなかったようで、来島また子は答えずにじとりと神威を睨み続けている。視線だけでなにを窺おうというのだろうか。神威はゆったりと、来島の背の向こうに続く、行き先を指す。
「あっち向いていいよ。案内続けて?そんなに見つめられると照れちゃうし。」
忌々しいと顔に大きく描いて来島は足を進めた。背中から淡い殺気が漏れ出して誘うように甘いにおいを立ち昇らせる。
そう何度も案内が必要なわけがない。お迎えというただの名目だった。案内役はあの女がいいと茶化して言っただけで次からその本人が出迎えてくれるのだから随分と『お心遣い』が行き届いている。そうかそういえば自分は春雨のトップになったんだったな、とこういうときに、ふと思い出す。
そんなに警戒しなくても殺すときは一瞬で殺すよ、と胸のうちで囁いて一歩距離を縮めるが、それと同じ分だけ離される。焦れったくなって、わざと乱雑に腕を掴んだ。来島はもう一方の手をホルダーに伸ばしたが、銃を手に取ることはなかった。単純そうにみえて、意外に賢い。
「さっき思ったんだよねぇ」
さきほどなぞった場所をもう一度、ゆっくりと、触れる。身体の中を通る、ひとつの支柱。
「ここをちょっと圧し折るだけで俺は君の人生を支配できるなあって」
腱を切られて一生歩くことのできないどこぞの遊女のように。それにしてもあの女ときたら上手く逃げ出したものだ。いつか阿伏兎がぼやいていたように女とやらは存外怖ろしい。か弱い成りからは考え付かないほどの残酷を持っている。いやむしろ、か弱い成りだからこそか。何より彼女たちはそれをなんとも思っていないのだから、笑ってしまう。夜王を倒したのは侍だが、殺したのはあの歩くことさえままならない女だろう。
言葉を挑発と受け取って今度ばかりはお得意の銃口を向けてくるだろうと思ったけれど、予想に反して来島は俯いたまま動かなかった。拍子抜けして顔を覗き込もうとすれば、その前に声で制される。
「背骨圧し折られようが手足切り取られようが私の未来は、あんたの手のひらに左右されたりしない。」
静かに告げた言葉を切って、決意を改めるように向き合うと碧い瞳を神威に向けた。
「私の全部は晋助様のものだから」
自信に耽る眼差しとささやかながら引き上げられた唇。ひとつの迷いも窺わせない、強い意志。瞳の中に光る、銀河に似たその輝きは意図せずとも映したものを大きく飲み込むことだろう。芯の通った声は金属さえも削ろうと傷をいとわず爪を立てるような不快な本質を持っている。
あらためて眺めたところで、ただの人間の女だ。身体はまるく柔そうで、言葉通り圧し折るのも引きちぎるのも容易いに違いない。それでもその内側に潜めた残酷で、好きなだけ切り裂くのだろう。立ちはだかるものも、自分自身も、その全てを捧げた相手さえも。それは、神威が逐い求めるものとはまったく別のもので、羨望も渇望もほど遠い。なのに、手のひらひとつで手折ることのできる塊の核心を掴めずにいることが、酷く癇に障るのだ。泣きじゃくり全身を震わせながら父の足に縋ったかつての非力な幼子、病床で恨み言一つ口にしなかった女。引きずられるように次から次へと思い出せばもう堪らない。
「それはそれは、有意義な人生だね、羨ましいよ」
なんだったら背骨どころかその首を圧し折ってやろうかと思ったけれど、今は上手く笑えそうになかったのでゆっくりと手を離した。