もし今カッターナイフでも包丁でもとにかくそういう鋭利なものが私の手の中にあったらこいつの命は無かっただろうし私の制服はスカーフのような赤に染まって台無しだっただろう。命拾いしたな感謝しろ、と胸中で憎しみを呻きながら、想像に浸り虚構のナイフを振りかざしてはざくざくと男に突き刺した。不思議なことに想像の中の男は中々息絶えない。ただ黙って私を見ている。現実と瓜二つ。 何もかもが煮え立ってしかたがなかった。頭の中も煮沸しているから正常な判断が出来ない。殺さないまでもなにか人としての尊厳を踏みにじるようなことをしてやりたい。報復してやりたい。私の内側で穏やかに育み、そういう建前でなるだけ目をそらしておきたい場所を土足で踏み荒らすことは大罪だ。私の中の裁判員は一斉に死刑の札を上げた。弁護士は先に死刑台へ送ってやった。次はこいつの番。 首を刎ねるような、もしくは身体中の血を引き抜くような言葉を探したけれど、何も出てこなかった。なぜかと言うと、私はこの男のことを何も知らないので傷つけようが無かった。なのに向こうは私のことを見抜いている。私を傷つける方法を知っている。気持ちが悪い。やっぱり死刑だ。言葉で傷つけられないなら、身体を傷つければいい。ぐっと拳を握り締めた。 「割り切れよ。仕方ねェだろ。」 振り上げた拳は思った通りの軌道を描いて男の頬にぶち当たったけれどまったく嬉しくなかった。わざと避けなかった。それもこんなにも分かりやすく。憤怒はますます強くなったけれど、ひょっとしたらナイフを持ち出したとしても避けないのかもしれないという考えが過ぎると、どうやったってこの男を許せるとは思えなかった。 「そうやって何でも見抜いてますって顔して物分りが良くてそのくせ放っておいてもくれなくて、自分の自己満足を私みたいな赤の他人にまで強要する。あんたって本当に嫌な奴。気持ちが悪い。死んじゃえ。殺してやる。」 本当ならもっと上手に凄むことだって出来るのに、声は驚くほど乾いて擦れてしまって、喉の水分は全部眼球に吸い上げられた。溢れ出す瞬間なんて耐えられるわけがない。私は弱くなんて無いのに、この男の同情が私を弱くさせる。気づかせる。 ふたり寄り添う影も、身体を蝕む寂寞も、なんてことないのに、気づかない限り痛くなどないのに。 「泣くなよ」 「全部あんたのせいだ。あんたがやることなすこと全部、私を傷つけるだけなんスよ。」 睨みつけてやろうと顔を上げると、ぼろっ涙が零れた。鮮明な世界で、土方はなんだかとても傷ついた顔をしていたので、あぁ私にもこいつを傷つけるだけの力があったのだなぁと、多少の優越感。ああ反吐が出る。 |