両の手のひらを大きく広げて縦に並べたぐらいの大きさの小窓から、夜の空より深い黒を眺める。特になにがあるわけじゃない。多少、嫌悪感に近い。ぞくぞくと、私の体の内側を粟立ててゆく。目を離せないのは、未知の引力が引き寄せるから。しかしそういう夢と現の境界線を消してしまうような妖は得てして美しいものだ。多分に漏れず宇宙とやらは、時には燃える星と惑星に彩られ美しい。
「調子はどうぜよ」
ふと入り込んだ異物に、最大限の理性で無表情を取り繕って向き直る。何をどうしたらそんなに髪がうねるのか全く理解に苦しむ黒髪の男が私を見て笑っている。そしてなんの遠慮もなく距離を縮めて隣を陣取った。
「試してみるっスか」
素早く引き抜いた銃を向ければ大きな掌でやんわりと銃口をそらされる。男の気配に気づかなかったことは些か自尊心を傷つけたのでやっぱりいつかは殺すしかないだろうなと思う。なにより、少しばかり目障りだ。
「へちがやない。うちの商品は簡単には壊れん。調子ってぇのはまた子ちゃんのことぜよ。」
「あんたがきたから最悪」
なるべく刺刺しく応える。あわよくばその棘で刺し殺せればよいのにと想像しながら。
「わしの誘いにゃ乗ってくれんがに」
男の声は微かに低く落ち、ささやきの一歩手前といったところ。
「あんたと私じゃ目的があわないっス」
「あっちの相性は良かった」
引き金は躊躇無く。銃弾は床にめり込んだ。後で先輩に小言を言われるかもしれない。
坂本はかすった銃弾のことなど意に介せず、危ない危ない、なんて軽くいいながら大口を開けて笑う。赤い舌がちらりと見える。
私はこの男と何度か肌を合わせたことがあった。そんなに昔のことではないけど、なんだか随分遠いことのような気がする。その頃は自分の有益な部分を切り売りすることなどまったく悪いことだと思っていなかった。それがいけないことだなんて誰も教えてくれなかったし何より眉を顰めたり嘲笑する程度のことで私を傷つけられる人間などどこにもいなかった。今だって、貞淑なんてうさんくさいものはさして信仰していないし、いざとなれば同じ手段も使うだろう。それでも過去の私と今の私、いや、あの人に出会う前の私とあの人と同じ場所を望む私、は別のものだ。だから、埋もれた場所へと手を引こうとするこの男は間違いなく私の敵だろう。覗いた愛嬌のあるその舌を引っつかんで銃創を開けてやりたいという欲求を溜め息で抑えつけて視線を窓の方へと戻す。
「宇宙は嫌い」
「その割にはずいぶん真剣にみちょったのー」
「地球が見えないか探してただけ」
宙の上からはじめてみた地球の姿は青と緑に恵まれて美しかった。そう感じると同時に、林檎を握りつぶすようにぐしゃりと壊してしまいたいと、思った。砕けた破片の間から血のようなマグマが溢れ出して、暗黒に流れる様子は天の川よりもずっとずっと美しい。悲鳴はまるで流星群のように尾を引いて、この果ての無い虚空を廻り続けるだろう。その想像は、悪くない。
「あんた晋助様がいないときに限って来るんスね」
「可愛い幹部にちょっかい出して、ばっさりいかれちゃたまらん」
「嘘つき」
坂本は答えずに、先ほどよりずっと薄く微笑んだ。この男は笑えばそれですむと思っている節がある。もっとも、避けているのは坂本だけではないのだということにも気づいてしまった。やっぱりいつか殺そうと決意を改める。できればこっそり。私だとばれない方法で。そんな殺意の上書きを察したわけではないだろうが、同じように窓を見ていた坂本がこちらに向き直る。
「いつでも待ってるぜよ、最近どうも物騒でいかん。腕の立つボディーガード募集中じゃ。」
ちらと伺えば、そのぐしゃぐしゃとうっとおしい頭の後ろ、視界の端に人の姿を捉える。小さなそれは、すぐにすっと消えてしまったが。
「お迎え、きたっスよ。女。あっち行っちゃったけど。」
「むぅ、残念じゃのう」
「残念スね」
追い返すようにひらひらと手を振るけれど、坂本が帰る様子は無い。かといって、しゃべりだす気配もない。長い沈黙。根負けして、口を開く。
「いつまで待っても無駄っスよ、私は晋助様に一生ついていくって決めたから。」
だからこんなものなんでもないのだ。と終りなく続くのだろう暗闇をじぃとみつめる。こんなものより身体の中の暗闇の方がよっぽど怖い。行き場所を見失うのは、私の心だ。呼吸の仕方さえ上手くいかなくなりそうだ。
あなたのためならなんだってできるのに。けれどそれを良しとしない彼に、矛盾を孕んだ妄執を焦している。きっとこの感情は突き詰めてみれば愛ではないのかもしれないけれど、きっと上っ面を掬うばかりの愚昧な男達は私を憐れむのだろうけど、そんなことは構わない。そんなことじゃ私は傷つかない。私の価値だって傷つかない。私を損なわせるのは彼だけだ。それがどうにも歓喜を突き上げて、たまらない。想像上の砕けた惑星のように、いつか私を切り裂いて欲しい。そうして、彼の暗闇をあきれるぐらいの時間をかけて流れてゆきたい。
「妬けるのう」
坂本の掌が頬に触れた。ひやりとした体温。
「あんたってほんと、嘘ばっか」
低い熱は、言葉の内側と同じ温度だろう。初めて身体をあわせた時もこの男の掌はやけに冷たかった、と、そんなことを思い出してしまって、温度から廻る彷彿の反流を塞き止めるように、手のひらを邪見に振り払った。