「地球に行くんだって?」
しばしの空白を挟んで、ん、と短い返事。来島は相変わらず背を向けて寝ているので、眠りにまどろんでいるのか、ただ単に面倒で適当にやりすごそうとしているのかは判断しかねた。薄闇の中、シーツの上の金糸は揺らぎもしない。
「故郷だろ」
ひとりごとに近い呟きだった。答えなどそもそも期待していない。阿伏兎は睡魔を持て余しながら、手持ち無沙汰の埋め合わせに、ベッドの傍に置いたボトルを掴むと口に含む。知らず喉が渇いていたのか中身の水はすぐに半分ほどの量に減ってしまった。
自らの言葉に引きずられるように、ぼんやりと郷里を想えば、雨と血の匂いが甦った。それを裂いた布擦れの音に、阿伏兎が視線を落とすと、寝返りを打った来島と目が合う。力ない眼差しは、寝ぼけ眼だからなのかただ単に疲れているからなのか。あるいは別の何かか。
見つめているのは水が飲みたいからというわけではないのだろうが、阿伏兎が差し出すと来島はゆっくりと身体を起して素直に受け取った。毛布を胸の上まで引き上げて、残った中身を全て飲み干す。白い喉が上下するさまは、やけに蠱惑的だ。先ほどまでの遊びを髣髴させる。
からっぽの容器から唇を離すと、微かに俯いた。柔らかな金糸がすべるように、肩から落ちる。
「害虫に食い荒らされた可哀想な星」
嘲りでも悲しみでもましてや同情でもない、闇にとけるような仄暗い女の声音。表情はみなかった。見ずとも阿伏兎には、なんとなくだが、予想がついた。
以前、なぜこんな掃き溜めにきたのかと阿伏兎が尋ねたとき、来島はにこりともせずに、復讐してやりたいから、とただ一言。やはり今のような声音だった。誰に、とは重ねなかった。個人に対するものならば眼の内に力が篭る。揺らぎもしない青緑の瞳の内に滲むのは抽象で、だからこそ制限ない厄介な憎しみが息衝いているのだろう。
阿伏兎とのこうした行為もきっとその復讐の一環なのだ。廻る、途方も無い迂遠。その漠とした憎悪の対象に含まれているのは、来島自身も他ならない。内側にも外側にも標的がいて、手に負えない。時が経つほど淡く広がりやがて本来の目的や理由さえ不要となって、いづれは何もかもを見失う。
阿伏兎は来島に憐れみを抱いたつもりはないが、か弱い動物を慈しむことをある種の憐憫というならばそうだろう。来島のような女を阿伏兎が脆弱に感じるのはそれは生き物の作りとしてしかたのない話だ。けれど、阿伏兎は来島の心根の獰猛さも理解しているし、柔い身体と同じ程度には気に入っているので今ここで抱き寄せたりはできない。