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確かにあの日出会った男のことを、叶華は片時だって忘れたことなど無かった。
徐々に迫り来る水揚げに対する恐怖も不安も、その男との約束があったからこそ、何とか受け入れることが出来たのだ。前向きに考えられることが出来たのだ。
だがまさか、あの時の男が水揚げの相手として自分の目の前に現れるなんて、思いも思いもよらなかった。
叶華は驚きの余り、思わずその場に立ち上がってしまう。

「ど…うして、貴方が…?」
「…叶華、どうかしたのか?」

清水をこの部屋まで案内してきた雲平が、突然立ち上がった叶華に訝しげな表情で問い掛けてくる。

「この方が、僕の水揚げをする人だなんて…」

全然、知らなかった。

「お前には前もって伝えてあったはずだろ?水揚げをして下さる方が変更になったことも、そのお相手が清水様だということも」
「確かにそうなのですが…。でも…っ」

清水とのことを一言で説明するには難しく、上手く伝える自信も無くて、叶華は歯痒さともどかしさを覚える。ちらりと清水の方を見やれば、穏やかな面持ちで雲平とのやり取りを、ただただ静観しているだけだった。

「………」
「何時まで立っているつもりなんだ、叶華。お客様の前だぞ。いい加減、座りなさい」
「……はい」

雲平の鋭い指摘に叶華は渋々こくりと頷くと、再び畳へと座り直した。その後で、清水が叶華と向かい合う様に、腰を下ろしてくる。
それから、雲平が用意してくれた初夜の杯を、形ばかりに交わした。この時代の遊郭では、登楼した客を夫に、娼妓を妻に見立てて、婚姻の儀式を行うしきたりになっていた。
雲平によって儀式が執り行われる間、叶華は清水の顔を、何気ない仕草を、指先を、じっと見つめていた。
眼。鼻。口。そして、輪郭。それから、手の平。指先に至るまで。
改めて見ても、目の前の男はとても綺麗だった。目を放せなくなってしまうほど、男を形成する全てのものが、美しかった。

「…こんなしきたりがあったなんて知らなかったな。結構、面白いものだね」

杯ごとが終わり、雲平が出て行って二人きりになると、清水は徐に口を開いてくる。

「何しろ、こうやって見世に登楼(のぼ)るのは、今夜が初めてなものだから」

そう言って、何処か照れ臭そうに清水は笑った。

「…どうして僕のことを、水揚げしようなどと思ったのですか?」
「うん?」
「だって、水揚げには大金が掛かるって、聞いていますから。…それに、貴方の前に権利を持った方がいらしたとも、遣り手の方から聞いておりましたし」

叶華の突き出しの費用も水揚げの費用も全て、この清水が持ってくれているのだという。しかも、前もって決まっていた水揚げの権利者を跳ね退けて、その座に付いたのだ。それには、恐らく目が飛び出てしまうような、膨大な金額が掛かったことだろう。金勘定が余り得意ではない叶華にも、それぐらいのことは理解出来ていた。


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