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目に映る景色は仄かに白く、空気は冷たく、そして静かだった。唯一聞こえてくるのは、朝の到来を知らせる小鳥の声だけ。勿論、このような時刻では、人の気配は全く無かった。
男と肩を並べながら、取り留めのない会話を交わす。例えば、寒いですねとか、今日は晴れるのでしょうかとか。それはどれも本当に、他愛のない話題ばかり。だが、緊張のせいからか、叶華は自分の発した台詞など、口にした端から忘れてしまった。
やがて大門が間近に見えてくると、男は不意に足を止め、此処までで良いよ、と叶華に伝えてきた。
途端に別れの名残惜しさと切なさが、叶華の心を埋め尽くしていく。

「…あの、宜しければ、またいらして下さい」

精一杯の笑みで告げると、男は少々訝しげな表情を向けてきた。

「も、申し訳ございませんっ。そのようにお客様に申し上げるよう、廓で教えられたので、つい…っ」

叶華は慌てたように、言葉を付け加える。
一夜限りの隠れ蓑として訪れただけのこの男に、また来て欲しいという言葉は相応しく無かったかもしれないと思ったからだ。何故なら、目の前の男は、決して客として登楼した訳ではないのだから。
しかし、男の口から零れたのは、予想外の言葉で…。

「良いのかな、私がまた来ても…」

叶華は驚いて、男を見上げた。

「また来ても良いのかい?今度は一人の客として」
「勿論ですっ」

繰り返される台詞に、叶華は嬉しそうに首を縦に振る。

「貴方にまたお見え頂ける頃には、僕も一本立ちしていると思いますし、貴方のその傷も癒えている頃でしょうから」
「じゃあ、誓いの証としてゆびきりをしようか」

そう言って小指を立てた手を、叶華の前にそっと差し出してきた。

「…はい」

叶華は顔を綻ばせながら、躊躇いがちに自分の小指を絡める。

「必ず君に逢いに来るから」
「はい、お待ちしております。…では、お気をつけて」

そう言って、男を外の世界へと送り出す。
段々と小さく、遠くなっていく、男の後ろ姿。
叶華はそこに立ち尽くしたまま、見世を後にする男の姿を見送った。そう、いつまでも、いつまでも…。

その背中が完全に消えて見えなくなると、漸く踵を返し、廓へと引き返す。

自分に向けられた、男の表情。眼差し。仕草。そして、柔らかな体温と唇の感触。 そんなもののひとつひとつを、叶華は歩きながら確かめるように思い出していた。
言葉を交わしたのは、さして多くは無かったけれど。共に過ごした時間は、大して長くはなかったけれど。それでも。
それでもそれは、叶華にとっては幸福で、夢のようなひと時であったことに違いなかった。

――必ず君に逢いに来るから…。

たとえそれが、ただの仮り初めの約束であったとしても、一時の気休めでも叶華は構わなかった。男の、その一言だけで、やがて訪れる水揚げに対する恐怖心や不安感に、打ち勝てるような気がしたから…。



それから、数日後のことだった。
楼主の口から、自分を水揚げする者が急遽変更になったという事実を告げられたのは――。



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