足音がだんだんと扉から離れていく。これでいい。間違ってない。私の正義は間違ってない。彼は私が記憶喪失になってしまったと思うだろう。まさに本物。本当の記憶喪失に。もしかしたら明日になったら私のことを覚えている誰かを連れてくるかもしれないのも事実。今はバンエルティア号は空を飛ぶ奇怪で不思議な船。古代遺跡を使ってこの国に来る事もすぐに出来るだろう



「 あれでいいのか 」



ああしなきゃ、私は甘える場所を作ってしまう。まだそんなときではないし、ここに帰ってこない予定だったからあらかた色んなものは片付けてしまったし何箱か倉庫行きって書いてあるから何も知らない人達が静かに運び入れてくれたハズだと思えば思い返すことも思い起こす事もない。大丈夫。



「 陛下も、忘れてください 」

「 できない 」

「 名前の件は5年以内にはまたここに伺います。ですから、 」

「 浅葱を忘れる事はしない 」



凛と真っ直ぐに見据えたその瞳を見てしまうと彼らを思い出す。思い出して、苦しくて



「 ごめん、なさい 」

「 …え?ど、どうした?どこか痛むのか? 」



手が震える。ただぎゅうっと胸の辺りを強く掴む私に気づいたのかほうっと息をはいて私の頭の上にゆっくりとその大きな手をかぶせた。私の顔を覗き込むように、酷く穏やかな顔をして私を見たあとで恐ろしく冷静な一言を私へと口走ったのだ



「 今、泣きだしそうになるほどに自分を追い詰める必要があったのか 」

「 ! 」

「 あの時なんでジェイドに向かって虚勢を張った? 」

「 そ、それは、 」



ただの強がり。
皆が忘れているのが怖くて、陛下みたいに、『浅葱』を忘れている事が怖かったから。忘れているのが分かっているからこそ。怖い。そして、かすかに思い出してから皆が自分自身に罪悪感を覚える事も一緒に生活していれば分かるから



「 独りぼっちじゃ、なにも越えられないんだぞ 」

「 皆に罪悪感を与えるくらいなら私は独りぼっちでもいい 」

「 罪悪、感? 」

「 皆は優しいから、忘れた事で胸を痛める。ジェイドだって、私との思い出を忘れてる。きっとそう、あの人だって優しいから今頃一人で頭を抱えてるかもしれない 」

「 お前、 」

「 皆が皆、そんな思いをするくらいなら…! 」



そんな辛くて冷たくて重たい感情を持たせる原因になるくらいなら、私自身が全てを忘れてしまえばいいんだ。そもそも帰ってくる予定などなかった。『帰ってくる』なんて選択肢は何もなかった。消える事を望んだのに。世界樹の中で消えることを、望んでいたのに…



「 今頃、ジェイドのやつわずかでも覚えてる奴になんていったんだろうな 」

「 わからない 」

「 言ったかもしれないだろうが、いわなかった可能性も低くはない 」

「 …うん 」



冷え切った紅茶が風で揺れた



「 どんな形であれ、傷ついてるぞ 」



綺麗な青い目が私を見ている



「 アイツも、あいつらも、な 」



間違っていないと思いたいのに心の奥が酷く痛んだ。それは陛下の言葉なのか、それともまた違う事があるとすれば、私は、



( 『覚えてる』のに『覚えてない』 )
( 『忘れてる』のに『忘れてない』 )
( この違いがどれほど心を抉り取るのだろう )

12/0308.




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