『Scherzando出来ない訳』
意識して遅めに家を出た。
教室に入った頃にはクラスメート達が内装のやり直しを始めていて。
何も知らないふりで私も作業に参加した。
思ったより簡単に内装は出来上がって、今度は喫茶店の方の準備に負われる。
お蔭で余計なことを考えずに済んだ。
このまま何事もなく学園祭が始まって、そして、終わればいいと思いを馳せていたら。
女子の悲鳴やら何やらが突然湧いて。
開店前の衣装合わせで表が大盛り上がりしているらしいことが、裏の調理場でも分かった。
確認で着てたのだって皆何度か見てるはずなのに。
学園祭効果なのだろうか。
確かに、真壁君の執事姿。
格好良かったけれど。
「……って、なに思いだしてるんです私は……!」
集中集中、と自分に言い聞かせ、他に準備しておくことはないかとウロウロする。
店舗の方には意地でも足を向けずにいたら、表と裏方を繋ぐ薄い布がヒラリと揺れた。
心臓がドキリと跳ねる。
「……楢川?」
「な、七瀬君……ってびしょ濡れじゃないですか!」
覗いたのは赤い髪の彼で。
ホッと息をつきかけたところで彼が水浸し状態であることに気づく。
何か拭くものはないだろうか、と尋ねられ、一先ず自分の荷物からフェイスタオルを持ってきた。
「……!これ、は……楢川のじゃないのか?」
「はい、あ、まだ洗濯後未使用なので」
受け取る直前に僅かに躊躇った七瀬君にそう言えば、いやそういう意味じゃ……となぜか困った表情をされてしまう。
彼の長い髪からぽたりと水滴が滴った。
「もう、早く拭かないと風邪引いてしまいますよ!」
「あ、あぁ……」
有無を言わせず頭にタオルを被せわしわしと水気を拭き取る。
その時、だった。
「瞬、センセーが着替えあるって……」
「……何を、している?」
低く響く声が二つ。
どちらも聞き覚えのあるもので。
声だけで誰か判断出来た。
無意識に体が強張り、一瞬呼吸をするのを忘れそうになる。
「草薙君、……真壁、君」
振り返れば、赤い瞳と正面にぶつかった。
タオル越しに七瀬君の髪に触れたまま、固まる。
少しの時間、誰も喋らず。
すごく変な空気が流れた。
沈黙を破ったのは、草薙君で。
「ほ、ほら瞬!とりあえず先に着替えようぜっ」
「ああ、というか引っ張るな草薙!自分で歩ける!……楢川すまない、また後で……!」
「あ、はい……」
此方に歩いてきた彼は七瀬君の腕を取ると、そのまま半ば引き摺るように外へと歩き出す。
二人が一緒に出ていってしまい、残されたのは。
真壁君と私。
横目に彼の様子を窺えば、頗る機嫌がよろしくない様子。
彼はもう此方を見ていなかった。
綺麗な眉が中央にぐっと寄っているのを見とめ、畏縮してしまう。
でも、黙っていても仕方がない。
そう覚悟を決めて紡ぎかけた言葉は、明るい声に遮られた。
「真壁く……」
「翼くーん!何してるの?お店開いちゃうわよ!」
「ああ、先生。すぐに行く」
表から聴こえてきたのは彼を呼ぶ南先生のそれ。
私の掠れた声は。
彼には届かなかったみたいだ。
此方を見ることなく調理場から出ていく彼の穏やかな横顔に、心が、頭が冷えていくのを感じた。
(12/12/10)
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