01



ああ、どうしてあなたは
「農業の息子、嘗めるなよ」

日向先輩のこの言葉は、きっと私たちの中で名言になるだろう。
…意味が分からない。

突拍子もない台詞に、会計委員会一同が唖然となる。
それにはお構い無しの様子で潮江先輩をひと睨みした日向先輩は、ぐいっと着物の裾をたくし上げ「三木、ぼぅっとしてないで片付けろよ」と、私たちに笑みを向けた。




―――少し時間を戻そう。
私たち会計委員たちは、会計室で休日の委員会を行っていた。
それは、早朝に帳簿が合わないとお達しに来られた潮江先輩の命により、見直しを始めたからだ。
朝餉の時刻が過ぎ、昼餉の時刻も過ぎ、疲労と空腹で朦朧とする中、厠に立ったままなかなか帰って来ない左門を気にしつつも早く終わらせたい気持ちが勝り、一心不乱に帳簿を照らし合わせていた矢先
スパァァァァァンッ!!
と、会計室の障子戸が勢いよく開け放たれた。
驚いて障子戸に目を向けると、片腕に左門を抱き上げ仁王立ちをする日向先輩が視界に飛び込んできた。
「へ…えっ?」
いきなりの出来事に、帳簿と睨み合いをしていた私たちは算盤も手にした筆もそのままに、ぽかんと日向先輩を見遣る。
「お疲れ」
一身に困惑の視線を受けているというのに、全く気になさらない様子でそう言うと、ぽんぽん、と空いた掌で左吉・団蔵・私の頭を順繰りに撫でる。
そのままドスドスと潮江先輩の前へ歩み寄ったかと思うと、左門を降ろしながら文机の前にドカッと腰を下ろして先輩同士が見合う形に納まった。

「何だ、いきなり」
ぐっと眉間に深い皺を寄せた潮江先輩が筆を硯に置く。
「ん?三木たち以下、下級生を部屋に返すんだよ。今日休みじゃんか」
しれっと日向先輩が答える。
「休みだろうと関係無ぇ。帳簿の誤差が認められたんだ、その誤差が広がる前に早急に正す必要がある」
ふんっ、と鼻を鳴らした潮江先輩が、再び視線を帳簿に落とし算盤を弾く。
「文次郎の言っている事は尤もだと思うけど、お前の事だ。どうせ朝も昼も食わず、こいつ等にも食わしてないんだろ?」
じっと潮江先輩を見据えたまま、日向先輩も一歩も譲らない様子で食い下がる。
「俺達最上級生ならまだしも、下級生、それも一年生は著しい成長期の真っ只中だ。筋力などを発達させる為に必要な栄養を三食の食事で摂取させ、鍛えればその分身体を労わる必要がある。それには睡眠は不可欠だし、免疫力の向上にもなる。そもそも、その免疫力を高めるのはやっぱり均衡の取れた食事で、ほうれん草とか人参は目に良いんだぞ!文次郎の隈にも効くかもな!」
あははははっと、最後は快活に笑った。
「ったく、よくしゃべる奴だなお前は。五月蠅くて仕方がねぇ」
がりがりと不機嫌そうに後ろ頭を掻く潮江先輩は、観念したように溜息を吐く。
その様子を私たちはハラハラと見守るしかなかった。
しかし不思議な事に、日向先輩は強引な事の運び方や物の言い方に反して、そこに嫌味が無い。
だから血気盛んな潮江先輩がいつ怒り出すかと心配する反面、そうならないとも思っている私たちは、止めに入る事もなく、ただ黙って行く末を見守る。




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