03




鴻は、どんどんと初心になる。

出会った頃から僕たちの仲が変わるまでは、全てにおいてどこか達観していて老成して見えた。
何をしてもほとんど動じなかったし、上手く誤魔化して躱されてきた。
人に対しても一歩引いて関わっている節があり、距離を置かれていたという程は感じなくても、誰かと衝突をしたり、あの一件以外で譲れない何かを主張された事もなければ、我儘という我儘も、愚痴という愚痴も弱音も聞かせて貰えた事が無かった。
鴻は、鴻を取り巻く人々が幸いである事が第一で、裏を返せばそれ以外に頓着がない…もっと言えば自分自身に対しての関心や、自発的に生じる何かへの執着が皆無だったと言っても過言ではない。
だからいつも鴻の部屋は閑散としている印象があったし、色への興味も希薄で、授業の一環である閨での実習以外でそれを仄めかす空気を感じた事がほとんどない。
(―――以前背中に在った傷跡が、何で出来た傷跡だったか聞けず終いだけど…)
もっと突き詰めれば鴻は廓出という事、更にはそこでお母上が遊女として勤めていた事もあり、どうやらそういう欲が削がれていったらしい。
決して色に飽きたとかお母上を軽蔑していたとかではなく、寧ろ住まわせてくれた廓の人々や勿論お母上にも感謝し、尊敬の念を持って勤勉に働いていたようだが…なかなかどうして。
もっと精神的なところで、身体的な問題を抱えてしまった事が要因でもあるようだった。

それらについては話し出したら限がないので割愛するけど、それでも僕に応えようとしてくれるいじらしさを思えば、僕の身体には甘い痺れが走り、幸福感をもたらす。
それと同時に、どうしようもない衝動が頭をもたげる。
だからこそ、辛いのだ。

傷付けたくない。
大事にしたい。
優しくしたい。

だけど、

もっと触れたい。
もっと知りたり。
もっと知って欲しい。

(出来れば鴻にも、僕と同じ想いで応えて欲しい)

なんて我儘。
なんて強欲。
今の時点でこれ程にない至福だというのに、浅ましい僕はその先を切望してしまう。

「ごめん、鴻。お前を困らせたい訳じゃないんだよ」
僕は、へにゃりとした苦笑で詫びる。
何度となく抑えが利かなくなりそうになり、その度に見せてしまう僕の男の貌。
そしていつも鴻が困り果ててしまう前に、自らその貌を打ち消して安心の言葉を伝える事が定番となりつつあった。

今まで鴻本人が受け止めていたつもりで素通りさせてしまっていた感情を、本当の意味で知った今、それを還そうと努力すればする程どんどん自覚して初心になっていく。
僕にはそれが、堪らなく愛おしい。

今はそれで、充分じゃないか。

そう胸中で独りごち、今日もこれで終わりにしようと思っていた。
…思っていた、んだけど。



「困っては…いません」



不意に、鴻が固い声で答えた。
「いえ、それでは嘘になってしまいますね…。すみません。正直、戸惑いはあります」
唐突に繋がってしまった先の言葉に、僕は僕で戸惑いを含む返事をする。
「えっ?あっ、うん。ちゃんと鴻の気持ちが固まるまで待つつもりだよ?それなのに、堪え性の無い先輩でごめんね」
なんだか情けなくなって、僕は逃げるように擂り鉢に視線を戻す。


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