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「“怒る”って言うのは、負の意味合いだけじゃないんだよ鴻君。君の中で怒りは【=復讐の憎悪】でしかなかったみたいだから、仇以外の人間に対して向けるのが恐いんでしょ?」
「…ッ」
「あっ、図星だ」
謎かけに勝った子どものように嬉々とする。
「怒るという事は、憎しんで決別するだけの感情じゃない。分かってもらいたい、分かりたいのに理解出来ない焦りや悲しみだったりもする。覚えがないかい?」
片膝を立てた上に肘を置き、頬杖をする。
「ほら、左近君なんて顕著じゃない。陣左に何だかんだ噛みついているけど、子犬の戯れだよねぇ。可愛いねぇ」
その様相を思い出して目元を綻ばせた。
「尊なんて、私の事心配で心配で毎日怒ってばかりだし」
くつくつと喉を震わせ「まぁ、陣内は怒らせると大変だから遠慮したいけどね」と、眉を下げておどけた。
その様子からは、部下を想う気持ちが伝わってくる。

「…分かっています。ちゃんと、分かったんです」
観念したように近江が口を開く。
「どうして突き付ける様な事をするんですか。…意地のお悪い」
上目遣いをして雑渡を睨め付ける。
その婀娜(あだ)っぽい仕草に、雑渡の喉が鳴る。
「意地が悪いのはどっちよ。鴻君も人が悪いな〜。そんな誘うような事して」
「仕返しです」
直前までの雰囲気を粉砕して、しれっと返す。
「ふふふっ、結構堪えてる?ごめんねぇ。でも、本当の事でしょ」
全く悪びれない様子で、取って付けたような謝罪の言葉を口にする。

雑渡に言われるまでもなく、近江も自覚し始めていた。
今まで自分自身に執着が無かった所為で気が付かなかった事。
それは、他者が自分を大事にしてくれている方法が、自分が他者を大事にしている方法と全然違ったという事。
近江は、いつか居なくなるかもしれない自分の幸いなんかより、遺すかもしれない家族や友人が幸いであればいいと、ずっとずっと思ってきた。
自分の手に何があるのか、何を持っていたいかなんて考えた事は無く、ただただ周りの幸いを願い、それを護ることだけを考えてきた。
だから他人とぶつかるような事もしてこなかったし、どうしても耐えられないという事も、どうしても欲しいと思う事もなかった。
今思えば、何を置いてでも誰かを好きだと思った事も無かったと気付く。
家族が大事で、友人が大切で、父の仇が憎かった。
たったそれしか自分にはなかったのだと気が付いた時、近江は猛烈に恥じ入った。

(―――知っているつもりで、俺はどれだけの想いを無視してきたんだろう)

雑渡の言っている事は最もだった。
思い当たる節も十分にある。
それは久々知が一番顕著だったし、普段温厚な尾浜や善法寺も怒りを露わにした。
鉢屋はいつも何かに焦れていたし、優しい不破や竹谷の言い分も今なら分かる。
他の下級生や上級生も、そして土井や利吉もこんな自分に根気よく伝えようとしていてくれた事も、今ではハッキリと理解出来た。

誰かと衝突する事、それは、決別ではなく許して譲歩し合って擦り合わせて要らない所を削いで近付く為。



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