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君だから、
※時間軸としては、本編『それは恋情〜』終了後暫くしての話しです。
ご注意ください。












「君は、怒らないよねぇ」
身体を畳に投げ出し、腕を枕にして横向きに寝転んだ雑渡が、緩慢な口調で零す。

今は夜も大分過ぎ、色濃く闇が深まった頃。
上級生が夜間錬をする他、大抵の者は寝静まっている時刻での訪問だというのに、呆れはしても怒りはせずに招き入れた部屋の主に「怒んないの?」と再度投げ掛ける。
「…何です、藪から棒に」
文を認めていた手を止め、部屋の主である近江鴻が雑渡を振り向く。

「おちおち曲者を招き入れても良いのかい?怒って追い返せばいいのに。左近君のように」
くっくっくっと、何処か面白がるように片方の口だけが上がったのを、口布越しでもはっきりと見止められた。
「そう仰るのならこんな時刻に来ないで下さい。余計な騒ぎを起こして先生方や先輩方の手を煩わせたくないだけですと、以前も申し上げたではないですか」
と、冷えた口調で切り捨てる。
「相変わらず私には辛辣だねぇ。だけど、呆れではなくて怒って欲しいんだけどなぁ」
むくり、と内容にそぐわないのんびりとした仕草で身体を起こす。
「君、私に呆れたり軽蔑の眼差しは向けるけど、怒りはしないよね。学友相手に対しては怒るどころか、叱りはしても呆れたり軽蔑したりもしない」
「どうしてそんな事が言い切れるのです」
四六時中見ているわけでもないでしょうに、と言外に問う。
「私だから、だよ」
んふふっと、その問い掛けに何処か意味深に目元を細めて嗤った雑渡に、近江はぎゅっと眉間に皺が寄るのを自覚する。
「ふふふっ、本当に好い顔するよね、私と居る時だけは」
嫌がられているというのに、至極嬉しそうな様子で眼前に手を伸ばす。
―――さらり、と頬に掛かった髪を優しい手つきで耳に掛けてやる姿は、意固地な子どもをあやすような仕草に映る。

「お戯れを。仰っている意味を理解し兼ねます」
ふいっと顔を背け、その手を逃れる。
「本当かなぁ〜賢い君なのに?認めたくないだけなんじゃないの?」
くつくつと意地の悪い笑みを浮かべた雑渡が、ぐっと距離を縮める。
それに反応して逃げるように身を捩るが、文机を背にしていた為にあっけなく捕まる。

「ねぇ、怒ってみせてよ」
耳朶に唇を寄せて囁くように誘う。

「急に言われても、怒れるものではないでしょう」
はぁ、と小さく溜息を吐き、雑渡の顔をぞんざいな仕草で押し退ける。
「酷い。何も掌で顔面押し遣らなくてもいいのに〜」
そう言って肩を竦めると、元の位置へと戻る。
そのままだらりと足を投げ出して座ると、瞳を眇めて近江を見詰めた。

「ねぇ鴻君、気付いている?君は人と対等には並ばずに常に一歩下がってばかりいるから、そこまで関心が向かないんでしょ?」
ぴくり、と近江の瞼が動く。
「ん〜、関心が向かないって言うのは語弊かなぁ。どっちかって言うと、自分に関心が無いから怒る前に許してしまえるのかな?解って欲しいと思うよりも先に、相手がそれで好しとするなら自分は二の次で構わないって」
「…」
「そうやって君は許して受け入れるけど、それは一方的な情でしかないって思わない?相手からしてみれば肩透かしなんじゃないの?」
にやにやと、雑渡がいやらしい笑みを浮かべる。
「それにつけて私は、少なからず呆れたり軽蔑の眼差しは貰えているから、周りの同級の子たちよりも関心を持たれているって事でいいのかな?」
ふふふっ、嬉しいなぁ。などと雑渡が軽口を叩く。
「…本当に厭なお人だ、貴方は」
「くくっ、君は潔いよね。反論しないんだ?顔は物凄く不服そうなのに」
けらけらと笑い声を上げる雑渡に、再び近江が嘆息する。
「反論する事があるとすれば、別に貴方に関心があるわけではありません。出来れば極力関わりを持ちたくないくらいです」
「知ってるよ〜。でも、私が唯一君の負の感情に気押されない存在だって事には変わりないからねぇ」
どこか試すような口調で答える。

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