03




「ははっ、気付いていないのか?兵助、お前もよく笑うようになったよ。前よりもずっと」
そう言って手を伸ばしてきたかと思うと、目覚めた時のように、中指の背で俺の口元を撫でた。
「さっきも眠りながら笑んでいた。嬉しそうに」
何か良い事があったのか?と瞳を眇めて問う彼を、抱き潰さんばかりに掻き抱きたくなる。
(お前が笑うから。幸せそうに笑うからだ)
零れ落ちそうになるその言葉を寸でで呑み込み、別の疑問で返す。

「なぁ鴻、この感情を何と言えばいいんだ?」
袷を握り、その奥で鼓動する強さと、それがきゅぅっと引き絞られるような感覚に想いを馳せる。
そして、引き絞られたそこから滲み出る甘い痛みと、溢れる温情。
俺を見返すその瞳に囚われると歓ぶこの身体と、歓ぶと同時に襲い掛る泣きたくなるような情動。
「嬉しいと切ないが一緒に来て、守りたくて、でも抱き潰したくなるような衝動」
口にした途端、その感覚がまざまざと込み上げてきて思わず目を瞑る。
自然と袷を握る手にも力が増した。
当然着物に刻まれる皺が増え、くしゃりと拉げた。

「兵助、それはな、」
そう言って、袷を握り締めて強張る俺の手を、ぽんぽんと優しく慰撫する。


「“愛おしい”って事なのかもしれない」


「えっ?」
愛おしい?と言外に問えば、鴻がゆっくりと二度頷いた。
伏せられた瞼が、ゆっくりと瞬く。
「俺、知っていたつもりだったけど、本当は全然知らなかったんだって、最近気付いたんだ」
重なる鴻の掌が、温かく気持ちが良い。
「あの一件があって、自分がどういう風に皆に想われていたのか、初めてちゃんと判った。それと同時に、俺が知っていたつもりの“相手を愛おしいと思う気持ち”が、一方的なものでしかなかったという事も、後々知った」
「…どういう事だ?」
「うん?」
そう言って、ついっと上げられた眼。
再び交わった視線に、心の臓がびくりと跳ねた。

(―――いい加減慣れろ、俺)

「俺は、ずっと相手が幸いであればいいと思っていたんだ。だけど、自分自身もそれにより幸いでないと意味が無いんだって」
言葉を噛み砕くように一度噤む。
「相手に与えるだけではなくて、相手が受け取って還してくれたモノの中に、俺自身が幸いを見つけて、それを共有出来なければ相手は哀しいんだって教えて貰った」
「…誰に」
「ははっ。決まっているじゃないか。お前たちだよ、兵助」
重ねられた掌が、意志を持って俺の手の甲を握る。



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