02




「…義父(おやじ)さんは?」
三郎が遠慮がちに問う。ほんのり頬に朱を刺しているが、口調も目つきも常と変わらない様子だ。
「義父はおろおろしてた。大丈夫か?薬足りてるか?しんどくないか?って。まるで義父自身が痛いかのように蒼白になって心配してくれた…」
そう言う鴻の視線は、何処か遠くを見つめるように細められる。
もしかしたらその時の情景を、今また鮮明に映し出しているのかもしれない。
「本当の息子のように、大事にしてくれているよ」
照れたように首を竦め、酒を煽る。
鴻も、雷蔵同様顔色も口調も変わらない。
酒に強いのだろうか?
だけど、笑む口元は普段よりも油断したもので、目尻も柔らかく下がっている。
(―――前よりちゃんと、笑うようになった)
それに気が付いたら、腹の底がくすぐったいような衝動に駆られ「ふふっ」と笑ってしまった。
「あっ、珍しい」
「兵助が破顔してる!」
勘ちゃんが目をぱちくりとさせ、八が俺を指差して驚愕の眼差しを向けて来た。
「指を差すな」
と、向けられた指を払おうとしたが、距離感が掴めず空振りをする。
「ふふっ、もしかして、兵助酔っぱらってるんじゃない?」
そう言って雷蔵がいつもの穏やかな笑みを浮かべるので、俺もつられて「ふふっ」と、また笑った。
「珍しい事が増えたと思ってはいたが…破顔するとは。貴重なものを見たな」
雷蔵の言葉に相槌を打ちながら、三郎がしげしげと俺を見た。
不躾な視線にむっとしかけたが
「好い顔だ」
と、鴻に頬を撫でられ、心地好さに思わず目を瞑ってしまった。

そこで、俺の記憶は一旦途切れる。

次に自分が眠ってしまったのだと気が付いたのは、口元を擽られる感覚に意識が引き上げられたからだった。
重く動きが鈍くなっている瞼を何とか押し上げる。
揺らめく焦点がやっと合った時に視界に入ってきたのは、俺の口元を中指の背で撫でる腕。
そしてその腕を伝って見上げた先に居たのは、布団の上に胡坐を掻いて俺を見下ろす鴻の姿だった。

―――ドッ、と心の臓が拍動する。

どうやら俺は眠ってしまったのだと理解し、横たわっている場所が鴻の布団の上だという事も把握した。
「俺、眠ってしまったんだな…すまない」
何だか気恥かしくて、額を布団に押し付けるように俯く。
「謝る事は無いさ」
そう言って、口元を撫でていた手が今度は頭上に宛がわれ、ゆっくりと撫でられた。
「皆は?」
「もうお開きにして自室に戻ったよ。気持ち良さそうに眠っていたから、兵助は預る事にしたんだ」
…三郎が苦渋に満ちた顔をしたんだろう事が想像出来た。
後が恐いな。
「ふっ、」
そんな事を想像したら可笑しくなって、また笑った。
酒の効果なのだろうか?
普段よりも気分の振り幅が大きいように思う。
「ん?何か楽しい事でも思い出したか?」
唐突に笑った俺を見下ろして穏やかに微笑む鴻を見上げたら、急に泣きたくなった。

鴻の微笑みは見慣れている。
いつも穏やかで慈愛に満ちていて。
その微笑みに救われた事も幾度もある。
だけど、違うんだ。
ここ最近は違う。
前みたいな、相手が一番で、相手の幸いが全てで、その為なら自身の幸いは零でいいと思っているような一歩下がった見守り方じゃなくて。
そうじゃなくて。
今は、
今の鴻は、そこに自身の幸いを見付けられたような、そんなぬくみのある笑み。

「鴻、お前はちゃんと笑うようになったな」
俺はむくりと起き上がり、鴻の瞳をまっすぐに見つめる。
「前よりちゃんと、心から笑うようになった」
暗がりで目視は出来ないと分かっていても、彼の瞳に混在する凪いだ緑と蒼の色を探した。



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