03




「鴻も十を迎えたのだものね。最近は本に美しくなって…あの子たちが騒ぐのも無理はないわ。」
胡蝶蘭は、自分の足を拭う近江の手元を眺めて言う。
「鴻、そろそろ女を知る気にはならないの?」
そう胡蝶蘭が口にすると、近江の伏せられた睫毛がふるりと震える。
「…まだまだ乳臭い童子にございます故、そのような事を考えるなど私には早計でございます。」

パチン。 パチン。 と、爪の弾かれる音だけが響く。

「そうやってあの子たちはかわされていくのね。」
ふふふ、と袖を口元に当てて胡蝶蘭が可笑しそうに笑う。
「…あっという間に、匂い立つほどの色香を漂わす男子に成長してしまうのでしょうね、お前は。そうしたら惑わされる子がもっと増えてしまうのかしら?」
近江の正座した腿に足を置き、大人しく爪を切られていた胡蝶蘭がススッ、と足の付け根まで移動させる。
「今夜、私の元においでなさい。」

パチ…ン…。
今まで小気味良く響いていた音が、躊躇うような鈍さを孕む。

「恐れ多きにございます…」
そう断ろうとすると「鴻、私に恥をかかせないでおくれね…?」と、恥じらう様子の胡蝶蘭に先手を打たれてしまった。
「…滅相もございません、恐悦至極にございます。」
動揺を悟られまいと、努めて平静を装う。
「ですが何分不慣れです故、失礼がある事と存じます…ご容赦下さいませ。」
そう居住まいを正して危惧している事を伝える近江に、胡蝶蘭は優しく微笑む。
「気を楽になさいな。何も今すぐ取って喰おうと言うのではないのだから。」
くすくすと笑う様子に、今までの駆け引きをするような緊張が和らぐ。

再び、パチン。パチン。と音が響く。

「許しておくれね、鴻。私もお前に惚れている一人なのよ。」
お前の“お初”を誰にも渡したくなかったの。と言葉を続けて微笑む。
爪を切り終え、やすりで形を整え始めた近江は、この意地らしい姐さんを愛らしいと思う。



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