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古紙(こし)の香りに誘われて

ガラリ。

その音と共に慣れた動作で図書室に入ってくるのは、五年は組の近江鴻だった。
今日の当番であった俺と雷蔵に、これもまた馴染んだ仕草で頭を下げるだけの挨拶をする。

図書室内では私語厳禁だ。
五月蝿くしようものなら躊躇無く注意という名の制裁を加える。
それを十分に分かっている近江は、言葉を発さず挨拶をする事も板についていた。

ここに通い始めた下級生の頃は、それまでの生活での癖でか、無言の挨拶というものが失礼に当たると信じ、幾度となくハッキリとした音量で挨拶をしては、思い出したように慌てふためいていた。
徐々に音量を減らし、最終的には無声で口を動かすというのから、口を噤んでのお辞儀だけの挨拶へと慣れていった。

「中在家先輩、先日薦めて下さった南蛮の本、とても興味深く一気に読んでしまいました。今日は返却をお願い致します。」
ゆっくりとした足取りで、貸出台に居る俺と雷蔵の所に来た近江は、周りに迷惑を掛けないようにとぐっと顔を近付けて囁く様な声で話す。
縮まる距離と、それ故に伏し目がちになった睫毛が良く見える。
そして、ふわり、と薬草の匂いが鼻腔を擽った。
今日は委員会が早く終わったのだろう。

「そうか。また新しいのが入ったら教える。」
俺は返却図書を受け取ると、無表情のまま事務的な仕草で返却作業を行う。
別に怒っているわけではない。
俺という人格が常にこうであるというだけだ。

下級生どころか、同級はたまた上の歳の人からも恐れられる傾向のある俺は、無口・傷による無表情を自覚している。
しかし、長年培ってきたものはすぐに覆す事は出来ない。
幸いなのは、ここ忍術学園では同級を始め、理解し認めてくれている仲間が多いという事だろうか。
近江も例に洩れず、無愛想とも見える対応を別段気にする事もなく、にこりと微笑んだ。

「是非、お願い致します。楽しみにしております。」
期待を含む笑みに、思わず笑みが零れそうになる。
けれど、そう都合良く表情が豊かになるはずもなく、微笑み返したつもりがきっと無表情で終わっただろう。

「あぁ。」
近江は、短く返事をした俺に小さくお辞儀をすると、そのまま書棚の方へと進む。
こうやって本の貸出返却に来る以外に月に数度、図書室に籠もって読書に没頭する時がある。
そういう時の近江は、普段穏やかに声を発して笑い、友人達と関わっている時とは違い、一言も声を発さず本に視線を落として静寂な雰囲気を纏う。それは何処か憂いを孕んでいた。

俺はそんな姿を無意識に眺める自身に叱咤し、仕事する手を再開させるという行動を繰り返す事にも慣れてしまった。
今日も変わらず、その時間は流れる。




古紙(こし)の香りに誘われて

(―――その姿は胸中を乱す・・・厄介だ。)





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