05




馬鹿だ。
本当にお前は馬鹿だ、鴻。
人の感情を察するのに長けているようで、こと恋情になると驚くくらい無知だ。

そんな事くらいで気持ちが変わるほど、私の想いは上辺だけのものじゃない。
その程度でお前を見る目が変わるほど、私の想いは浅くはない。
通常を装う事しか出来ないくらいに恐いんだ。
聞き出す一歩を踏み出せないくらいに震えるんだ。
お前が好きで、好きで、仕方ないから。

「…馬鹿だ。お前は本当に馬鹿だよ、鴻。」
あまりの不器用さに、私は思わず笑ってしまった。
「逆だよ、鴻。私はお前が好きで好きで、平常心を装う事しか出来ないくらいに恐れている。お前に拒否をされたら…って。それ程までにお前に惚れている。」
私は、今度は鴻を見据えてしっかりと伝える。
「二人きりで向き合うのも緊張してしまうくらいに、だ。」
私の頬に添えていた手を握り、そのまま左胸の上へと導く。
そこからは、どくん、どくん、という拍動を伝えた。
鴻は一瞬驚いた様な表情をしたが、すぐに柔らかく微笑んで私を見遣った。

「本当だ、速いな。」
鴻がくすり、と笑った。
そして一瞬逡巡した後「三郎、俺はな、」と、鴻が添えた手を引いて居住まいを正した。

「正直、三郎の言う恋慕の情や、逸る鼓動の類をあまり良く分かっていないと思う。今まで、無意識にそういうのとは切り離して生きてきたから・・・」
先程鴻の言っていた“先があるなんて思っていなかったから”というのにも繋がるのだろう。いや、鴻の生き様全てがその言葉に集結しているようにも思う。
命に執着が無い、他人は思い遣るのに自身には無頓着、色への関心も、誰かに傾倒することも無いようだった。
それは、何かに想いを囚われては、ただの枷にしかならないとでも思っていたのだろうか。
そこまでは私の知り及ぶところではなかったが、なんとなくそんな風に感じていた。

「だからそこは、はっきりとは言い切れないけど・・・」
曖昧でごめん、と鴻が再び謝った。
私はどう反応することも出来ずに、ただ続きを聞き入るしか出来なかった。
着地点の見えない話は、断られるのかそうでないのかを判断するには難しかったから。
だから私は、じっと鴻を見つめて、待った。


「でもこれだけは、はっきり言える。俺は三郎の言う“優しさ”で応じた事は一度も無いよ。」


しっかりと私を見据えて鴻が言った。
どくん、と私の心音が跳ねる。
それは、どういう意味だ?
そう問いたいのに、喉がカラカラに渇いて声が出なかった。

「あの夜の口付けに応じたのも、実家からの帰路の時も、お前の想いに流されたわけじゃない。ちゃんと、俺の意思も在った。」
それだけを言うと、きゅっと唇を結び、目元をほんのり朱に染めた鴻が所在無さげに俯く。


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