02




―――さわり

と、二人を夏の風が撫ぜていく。
山道に入った二人にはキラキラと木漏れ日が降り注ぎ、時折吹く風が木々を囁かせた。
「…うん、とても嬉しい事が、あったんだよ。」
並んで歩く鉢屋に顔を向けると、近江は目元を大層柔らかく綻ばせて勿体ぶる様に言った。

一瞬止まったのではないかと錯覚しそうになる程大きな心音が一つ、どくん、と高鳴って脳天に響く。
(…可愛い。)
そんな事を、私は恥ずかしげもなく思う。
普段の鴻は話を聞く側に回り、話題を拾ったり広げたりするのが上手い。
その為、聞かれたりしない限り自らの話しに持って行ったりする事はほとんど無かった。
そんな鴻がこんな風に勿体ぶった口調で話すのはとても珍しい。

「何が、あったんだ?」
幼子に先を促すように聞いてやれば、鴻はふふっと笑った。
「俺にね、妹が出来ていたんだ。」
とてもとても幸福そうに呟いた。
「…はっ?“出来ていた”っていうのはどういう事だ?ご懐妊の知らせだったのか?」
何だか引っかかる言い方に、思わず聞き返す。
「ううん、もう産まれていた。」
くすくすと思い出し笑いをする鴻に、私は呆気にとられるしかなかった。
「吃驚だろ?俺も吃驚した。」
ころころと鈴が鳴る様に笑む鴻の様子を見ていれば、心底喜ばしい事だったのだろうと判断出来た。
「…何と言うか、この親にしてこの子ありって事なんだろうな。流石鴻のお母上と言うべきか。」
苦笑を浮かべる私に、鴻がきょとんとした顔を向けて寄越した。
「それが、お前の無自覚だと思うと性質が悪い。」
普段の、時たま感じる鴻のズレを思い返して再び苦笑が洩れた。
(そんな所も愛おしいと思う私は、相当だ。)
知らず自分への苦笑も零れる。

「なぁ三郎、稚児(ややこ)って本当に小さいんだな。手なんかこぉんなに小さくて、乳の甘い匂いがして。」
鴻が手振りを交えて話す。
「だけど、あんなに小さな口からでもちゃんと声を上げるんだぜ?みーみーって、猫が鳴いているのかと思うような声で。ちゃんと、泣くんだ。」
愛おしいものを思い出すように鴻の瞳が細められる。
「泣くんだよ。生きているって、俺たちに教えるんだ。」
そこできゅっと鴻が口を噤んだ。
ピタリと歩む足も止まり、不思議に思い鴻を振り返った私は、驚愕した。



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